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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第四十三回 敗戦利得者

まがふをり みやのおきてを やみにおき めぐみをあだで かへすまがひと
(紛ふ折宮の掟(皇室典範)を闇に置き恵み(恩)を仇で返す禍人)


「敗戦利得者」といふ用語は、渡部昇一氏が言ひ始めた言葉と聞いてゐますが、私も渡部氏と対談した共著『日本国憲法無効宣言』(ビジネス社)でこのことについていろいろと話をしました。


しかし、この当時は、敗戦利得者といふのは、敗戦後の日本における政治経済体制下でその利得を得た人といふ意味に理解して批判的な趣旨で使つてゐましたが、しかし、今では敗戦利得者と聞くと、敗戦の責任を感じて自決した人々以外の、生き残つたすべての人々が敗戦利得者ではないかと自責的に思ふやうになり、この言葉を積極的に使ふことを止めました。


むしろ、この言葉の真意は、ポツダム宣言受諾から占領期を経て今日に至るまで、戦後体制といふ国家構造を積極的に支持・賛同し、この体制によつて得られる権力と利権を支配してゐることを批判することにあります。これは、個人個人の問題ではなく、組織構造的・制度的なものであることが最大の問題であり、そのやうな組織的かつ制度的視点からすると、「敗戦利権」または「占領利権」といふ言葉の方が実態を示す言葉としては適切ではないかと思ふやうになりました。


ここで言ふ、敗戦利権、占領利権といふのは、敗戦後の占領政策とその継続推進による利権、占領典範や占領憲法によつて伝統を崩壊させる法制度とその継続推進による利権のことです。


「論語」(子路)にも、「必也正名乎」(かならずやなをたださんか)とあり、物の名と実とを一致させる必要があるからです。


かうして、敗戦利権とか占領利権といふ言葉で戦後体制の組織構造と制度を見てみると、利権を支配して権力と利得を得る側と、それによつて不当に支配され被害や不利益を被る側とが峻別できることに気付きます。

このうち、不当に支配され被害や不利益を被る側、いはば被害者は誰であるかは直ぐに判ります。


それは皇室なのです。


そもそも、皇室には戦争責任はありません。帝国憲法第3条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」といふ不答責条項と、「統治すれども親裁せず」との帝国憲法の定める立憲君主制の制度運用の原則からして、天皇には法的な意味での責任はありません。

実際においても、天皇は、開戦時には原則通りに親裁されず、停戦時のみ例外的に親裁されたので、もし、責任といふ意味を道義的な意味で用ゐるとすれば、「開戦責任」はなく、「停戦責任」はあることになります。

しかし、停戦時の、いはゆる「御聖断」は、「統治すれども親裁せず」の原則の例外として、ポツダム宣言の受諾を御前会議において「親裁」されたこと、つまり、御聖断によるポツダム宣言の受諾決定がなされたことであり、これに臣民が感謝することはあつても、道義的な意味でも「責任」は全くないものです。


この度の戦争における最も大きな責任は、専ら臣民の側にありました。にもかかはらず、天皇や皇室が、多くの皇族の皇籍離脱によつて皇室衰退を余儀なくされ、皇室財産をすべて没取され、正統皇室典範が無理矢理廃止させられて皇室から自治と自律を奪ひ、帝国憲法に定めた憲法改正発議の天皇大権をGHQに実質的に簒奪されたまま「山吹憲法」が制定されて共和制憲法となり、これによつて単なる「傀儡天皇」(ハリボテ天皇)に落とし込められるなど、GHQとその後継の政権から皇室が最も大きな制約と弾圧を受けたにもかかはらず、臣民はこれに誰も反対しませんでした。臣民はまさしく漁夫の利を得たのです。これこそが敗戦利権の最たるものです。


ここで、「山吹憲法」と「傀儡天皇」(ハリボテ天皇)といふ言葉を使ひましたが、少し説明します。


昭和21年6月26日、帝国議会の衆議院帝国憲法改正案第一読会で、衆議院議員北浦圭太郎は、「八重、花ハ咲イテ居リマスルケレドモ、山吹ノ花、実ハ一ツモナイ悲シキ憲法デアリマス」と発言し、占領憲法は「山吹憲法」であると嘆きました。

八重咲きの山吹(やへやまぶき)は、花は咲いても実が生りません。それと同じやうに、第1条から第8条までの八か条の天皇条項には、元首たる天皇としての「実」がない憲法だといふのです。つまり、国民主権下の象徴天皇制(傀儡天皇制)は立憲君主制ではなく、実質的にには共和制であると嘆いたのでした。そして、北浦は、これに続いて、「山吹憲法ナドト失礼ナコトヲ申シマシテ、或ハ関係筋カラ私ハ叱ラレルカモ分リマセヌガ・・・」と発言しましが、この「関係筋」とはGHQのことです。北浦は、GHQが立憲君主制憲法に偽装して共和制憲法を作つたことを「山吹憲法」といふ表現で指摘したのでした


また、昭和48年、当時の防衛庁長官増原恵吉は、内奏に関して天皇が「防衛の問題は難しいが、国を守ることは大切だ。旧軍の悪いところは見習わないで、いいところを取り入れてしっかりやってほしい。」とのお言葉を賜つたとマスメディアに漏らしたことから、「天皇の言葉を引き合ひに、防衛力増強を合理化しようとしてゐる。」との批判を浴びて更迭されたことがありました。天皇は、この事件を受けて「もうハリボテにでもならなければ」とご嘆息されたといふのです(『入江相政日記』)。これによつて、占領憲法の「象徴天皇」とは、単なる傀儡天皇(ハリボテ天皇)であることを昭和天皇が実感された事件だつたのです。


天皇は、帝国憲法下では統治権の総覧者です。そして、それ以前にも、歴史的に見て、「権力者」(覇者)を任命することができる権力の源泉となる「権威」の主体(王者)でした。これが「王覇の弁へ」といふ我が国の伝統です。

「王覇の弁へ」とは、皇室の伝統的な統治理念であつて、この原型は、『古事記』、『日本書紀』にある寶鏡奉齋の御神勅に見られます。『古事記』上巻によれば、「詔者、此之鏡者、専為我御魂而、如拝吾前、伊都岐奉。次思金神者、取持前事為政。(みことのりたまひしく、「これのかがみは、もはらわがみたまとして、わがまへをいつくがごといつきまつれ。つぎにおもひかねのかみは、まえのことをとりみもちて、まつりごとせよ」とのりたまひき。)」とあり、天照大神の御靈代(みたましろ)、依代(よりしろ)である三種の神器の一つである「寶鏡」の「奉齋」と、これに基づく高皇産霊神(たかみむすひのかみ)の子の思金神(おもひかねのかみ)の「為政」、つまり、「齋」(王道)と「政」(覇道)との弁別があります。つまり、天皇(総命、スメラミコト、オホキミ)の「王者」としての「権威」(大御稜威)に基づく「覇者」への委任により、覇者がその「権力」によつて統治する王覇弁立の原則のことです。


 権威者であり元首であれば、当然「象徴」としての機能がありますが、占領憲法では、「象徴」だけしか与へられてゐません。権力の源泉としての「権威」はありません。

それどころか、占領期の公用語であつた英語による正式な「原文の」占領憲法(THE CONSTITUTION OF JAPAN)によると、第1条では、天皇の地位は主権の存する「the will of the people 」(人民の意思)に従ふとされ、「国民の総意に基づく」といふのは「誤訳」です。多数決で天皇を廃位させ、廃止することもできるのです。国民(人民)がご主人様で天皇はその家来だと規定してゐるのです。


天皇は内閣総理大臣を国政に関する権能を有しない儀礼行為としての国事行為として任命しますが、拒否権(ベトー)のない任命では、「任命権」があるとは言ひません。江戸時代の高家や茶坊主などの儀礼担当者に過ぎません。これを厳かに執り行ふことができるとしても、権力の源泉となる「権威」などはありません。これに「権威」があると思つてゐるのは、昔の幻影を引き摺つた「パブロフの犬」に過ぎません。実がない「象徴天皇」(ハリボテ天皇)は、もはや共和制国家のアクセサリーに過ぎないのです。


しかも、皇室は、戦前では皇族会議によつて皇室の自治と自律が維持されてきましたが、今は全くありません。戦前の皇室典範は、帝国憲法と並立する最高規範でしたが、今の「皇室典範」といふ名の法律(占領典範)は、名前は典範とされてゐますが、「典範」ではありません。その実質は「皇室統制法」ないしは「皇室弾圧法」なのです。これは法律の「名称偽装」です。臣民の分際で、そこまで皇室を蔑ろにしたのは、これまでの歴史では初めてのことです。これは万死に値する所業です。一日も早く、皇室に自治と自律の回復を実現することを主張せず、この点に触れもしない人たちは、他にどんなご立派なことを言つたとしても単なる不敬の輩です。


聞いてゐますか? ヨシコちゃん! ツネヤスくん!


皆さんも、パブロフの犬であることを自覚してゐない人や、無自覚にハーメルンの笛吹き男(女?)になつてゐる人に、このことを教へてあげてください。


敗戦利権、占領利権といふのは、占領政策による利権、占領憲法による利権、占領典範による利権といふ複合的なものですが、このうち絶対に無視できないのは、ついつい忘れがちな占領典範による利権です。統帥権の独立とか、統帥権の干犯などと美辞麗句で天皇を祭り上げて天皇から完全に統帥権を簒奪した過去の歴史は、敗戦のドサクサに紛れて再び繰り返され、火事場泥棒といふか、焼け太りを成し遂げた訳です。


今の占領典範(皇室典範といふ名の法律)には、皇室会議といふのがあり、ここで皇室の身分の得喪を決めます。婚姻する場合や皇室の身分を離れる場合などです。その皇室会議の議員は10人で組織され、皇族2人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官1人の10名で、内閣総理大臣が皇室会議の議長となつて決めるのです。


しかし、よく考へてみてください。臣民の家族では、子どもが結婚するときに、その親や兄弟や親戚などが口を挟むことはあつても、それ以上に、隣の家の人や勤め先の社長、それに町内会長や自治会長、それに市長や市会議員などで大半を占める会議で、婚姻を許すか否かが決まるといふ婚姻制度であれば、皆さんは黙つてゐるでせうか。


こんな制度は、人権や自由の侵害だといふ喧しい声がサヨクから聞こえて来そうですが、そんなことは一度もありません。

皇室会議の10人の議員のうち皇族は2名だけで、それ以外はすべて赤の他人が婚姻などに容喙する訳です。戦前は、成人男児の皇族によつて構成される皇族会議で決められて、皇室の自治と自律が保たれてゐましたが、今は、その自治と自律は全く奪はれてしまつたのです。


占領憲法第4条第1項で、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とされてゐるために、皇室の自治を復活してほしいとの意見すら禁止されてゐるのです。これほど酷い皇室弾圧法は世界を見渡しても外にはありません。


そのくせ、この重大な問題を一切指摘せずに、皇室に対する尊崇の念があるかの如く装ひ、ハリボテ天皇を象徴天皇だと詭弁を弄して唱へる者ばかりが蔓延つてゐますが、そんな者たちは、「天皇褒め殺し」の手法で人々を欺く国賊であると言つても過言ではありません。


聞いてゐますか? アキラちゃん! ヒデツクくん!


しかも、皇室弾圧の見返りに、戦争責任のある臣民側がGHQの迎合することによつて数多くの利権を手に入れたのです。GHQの占領政策を支持しこれに賛同して推進させた勢力が敗戦利権を独り占めにしたといふことです。


ところが、その利権を得た第一世代はもう鬼籍に入つてをり、今はほとんど居ません。そして、その利権は、第一世代から第二世代、第三世代へと引き継がれてゐるのです。

そして、その敗戦利権を構造的に間断なく支へてゐる核心部分が「占領憲法」なのです。ですから、敗戦利権は、この占領憲法を憲法として有効であるとする者達が担つてゐることになります。


ですから、占領憲法の「護憲派」も「改憲派」もいづれも敗戦利権を担つてゐることになります。お互ひが闘つてゐるやうに見せかけて、その実は底辺にある敗戦利権を分かち合つて共存してゐるといふ点で繋がつてゐるのです。


一昔前は、護憲派が主流で、改憲派は悪役(ヒール)でしたが、今では逆転して攻守交代してゐるやうですが、このやうなマッチ・ポンプの巧妙な役割分担で、戦後の利権構造を鞏固なものにしようとしてゐるのです。


そして、戦後の官僚制は、まさに敗戦利権で固められた牙城となつてゐます。占領憲法を死守する組織として、官僚制が中心的な役割を果たしてゐるのですが、それ以外にも敗戦利権の組織はあります。政界、官界、業界、学界、報道界の全て(政官業額報)に敗戦利権が浸透してゐます。


護憲派も改憲派も、そのいづれであつても国家の再生を妨げる「国賊」であることに変はりはありませんが、護憲派も改憲派も、自分達は善玉で、その相手方を悪玉と決めつけるために、それを聞いていゐる者は、どちらが正しいのか迷つてしまひますが、それが高等戦術なのです。


つまり、人々は迷ひながらもそのいづれかを選択することになります。そして、一旦そのいづれかの陣営に入れば相手からは当然に罵られることなりますが、そのことによつて、敵愾心を掻き立てられ、自分の陣営に救ひを求めて深くのめり込み、立派な闘士として成長して行くのです。このやうにして、両陣営とも勢力を増やすることなり、結局は、敗戦利権を相互協力して強化することに一役買つてゐるのです。


この護憲と改憲もまた、まさに立派な敗戦利権、占領利権なのです。護憲利権、改憲利権です。これらの運動を続けることが、政官業学報の各界に張り巡らせた利権集団と提携して、その運動を継続するための利権にもなつてゐます。これは、やればやるほど旨味のあることであり、美味しくて止められるものではないのです。


「どんな過激な議論をしてもよいが、メディアに露出したり、学界や言論界を飯を食つて行きたからつたら、絶対に占領憲法が無効であると言つてはならない。」といふのが、敗戦利権、占領利権の揺るぎないテーゼです。

ですから、護憲派と改憲派との論争は、馴れ合ひのためにどこか白々しいところがあるのは当然で、この利権構造を根底から完全に否定する「真正護憲論」に対しては、護憲派も改憲派も、共同歩調を取つて熾烈に攻撃してくるのです。特に、護憲派よりも勢力を強化してきた改憲派からすれば、その批判の勢力は、護憲派に対するよりも真正護憲論に対す批判の方が熾烈であることからしても、真正護憲論がまさに敗戦利権を食ひ潰してしまふ天敵であることの証左なのです。


政官業学報の五人囃子の力は強大ですが、この強い岩盤を打ち砕くのは、民の力であり、これらの最も弱い部分を攻め落とすことが必要です。それは、政(政治)です。


真正護憲論者が市区町村長の首長となり、「占領憲法無効宣言」を強行することです。少なくとも、真正護憲論者が一人でも多く地方議員となり、公開の場で占領憲法の効力論争を実施するなど、真正護憲論を発信し続けることです。そのことが話題となれば、また別の市区町村に真正護憲論者の首長が誕生し、それが全国に連鎖させるのです。まさに、千早城戦略です。


昭和44年8月1日に岡山県の奈義町議会でなされた「帝国憲法復元決議」の壮挙に続く必要があります。


これにより、国政も動き、政官業学報の五人囃子が囃し立てることになるでせう。そして、占領憲法の無効確認宣言のみならず、真つ先に占領典範の無効確認宣言を行つて、敗戦利権によつて奪はれた皇室の自治と自律を回復しなければなりません。


聞いてゐますか? シンゾウくん!

南出喜久治(平成28年1月15日記す)


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