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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第四十四回 まごころ

くすのきの みなみをうくる われもまた ななたびうまれ てきをほろぼす
(楠木の南を受くる吾もまた七度生まれ敵を滅ぼす)
みのために のりにもどすを ためらふは くにうしはくに ふたごころあり
(身(保身)のために法(帝国憲法)に復原すを躊躇ふは国家統治に二心有り)


初めの一首は私の覚悟を、次の一首は楠木正成公の「身のために君を思ふは二心君のためには身をも思はじ」の本歌取りとして詠んだものです。

この本歌は、二念なき心、まごころを貫いた大楠公(正成公)の生き様を示した歌として、滅私奉公、至誠の信念が心を振るはせて伝はつてきます。


『太平記』によれば、正成公が湊川の戦ひで自刃するとき、弟の正季公に最後の一念を尋ねると、正季公は、「七生マデ只同ジ人間ニ生レテ朝敵ヲ滅サバヤトコソ存候ヘ」と答へたとあります。

湊川の戦ひでの正成公と正季公の兄弟の自刃、四條畷の戦ひでの正行公と正時公の兄弟の自刃、正家公の討死、そして楠木一族のすべてとこれに従つた多くの者の全滅を招いてでも守り通したのは一体何だつたのでせうか。


このことと、七生滅敵、七生報国、そして非理法権天といふ深奥なる精神と不動の達観に一歩でも迫ることが、私たちの生き方の指針となつてゐるものです。


『論語』には、孔子(夫子)の高弟である曾子が「夫子之道、忠恕而已矣」(夫子の道は忠恕のみ)と語つたとあります。この「忠恕」とは、「忠」が「まごころ」、「恕」が「おもひやり」を意味し、その「道」とは、つまるところ自己愛、家族愛、郷土愛、そして祖国愛の実践のことです。儒教では、様々な徳目がありますが、その教へ一言で集約すれば、この「忠恕」なのです。


それゆゑ、教育ないしは教学の目的は、井戸の深さ(知識教養の深さ)を求めることにあるのではなく、これを手段として、すべてを包み込む忠恕の水の多さ(祖国愛の深さ)を得る求道にあるのです。


吉田松陰が、「井を掘るは水を得るが爲なり。學を講ずるは道を得るが爲なり。水を得ざれば、掘ること深しと云ども、井とするに足らず。道を得ざれば、講ずること勤むと云ども、學とするに足らず。因て知る、井は水の多少に在て、掘るの淺深に在らず。學は道の得否に在て、勤むるの厚薄に在らざることを。」(講孟余話)と説いたことと同じです。


楠木一族は、この「まごころ」と「おもひやり」の完成のために滅亡したと言へます。そして、大楠公のみならず、「至誠通天」(至誠天に通ず)を座右の銘とした吉田松陰の生き様も、「誠」の旗を掲げた新撰組の士道も、「消えざるものはただ誠」(昭和維新の歌)として蹶起した二・二六事件の将校も、後世において群雀たちが様々に論ふとしても、それぞれの立場で志操の「誠」があつたことを否定することはできません。


この「まごころ」、「誠のこころ」についてさらに言ふとすれば、陸軍中野学校の創立精神も「誠のこころ」だつたことを忘れてはなりません。


陸軍中野学校と言へば、日露開戦前に、陸軍の明石元二郎大佐といふ稀代の情報将校によつて、近代戦に不可欠な情報活動、謀略工作の成果の実績を嚆矢として、日露戦争後に組織的に整備された「特務機関」の流れをくんだ本格的な陸軍のインテリジェンス機関として有名です。


私も、北支那方面軍の軍事顧問部に属する特務機関の将校だつた父の過去における任務への関心もあり、父と一緒に、昭和41年に市川雷蔵主演の大映映画『陸軍中野学校』を見に行つて、初めてその存在を知りました。

多くの人は、過去にあつた日本のスパイ養成所であるとの認識により、その知的な興味で陸軍中野学校のことを語ります。そしてそれを満足させる多くの書物もありますし、それ自体は誤りではありませんが、別の側面があつたことを決して忘れてはなりません。


それは、陸軍中野学校のみならず、海外にある特務機関のすべてについて、ポツダム宣言受諾の前後における「忠恕」の活動に注目する必要があるからです。


海外の特務機関、その中でも戦地にある特務機関の活動に関しては、別の機会に譲るとして、ここでは、陸軍中野学校に関して述べたいと思ひます。

これについては幾つかの文献がありますが、中でも、斎藤充功著『陸軍中野学校極秘計画』(学研新書)に詳しく述べられてゐますので、ここで語られてゐる事実を踏まへて、陸軍中野学校の「忠恕」を紹介してみたいと思ひます。


昭和20年8月14日から翌15日にかけて、皇居を占拠しようとするクーデター未遂事件(宮城事件)があつたことはご存知だと思ひます。つまり、天皇の玉音盤を奪取して、ポツダム宣言の受諾を阻止して本土決戦で連合国との徹底抗戦を強行し、少しでも有利な講和の条件を連合国に認めさせる目的で企てられた事件のことです。


しかし、これには、陸軍中野学校の関係者は一切参加してゐません。それは何故かと言ひますと、陸軍中野学校が、國體護持のために何が必須な措置であるのかを知つてゐたからです。

それは、皇統護持です。皇統護持が國體護持の中核であり、それに命をかけるのが臣民の「まごころ」だつたからです。


情報機関ですから、ポツダム宣言の受諾を巡る関連情報は当然入手してゐます。本土決戦をするだけの戦力はありましたが、東京や主要都市へのさらなる空爆や原爆投下を想定すると、その抵抗は時間の問題であり、本土決戦の長期化は民族の滅亡を招きかねません。さうであれば、民力が未だ維持されてゐる状況下で早期にポツダム宣言を受諾した上で、まづは國體護持の中核である皇統護持を確実にすることです。


来たるべき連合国による占領は、皇統護持にとつては極めて危険な事態となり、どのやうなことが起こるかは予測できませんでした。連合国によつて昭和天皇と皇太子その他の男系男子の皇統に属する皇族全員を弑逆して皇統断絶がなされるといふ事態が迫つたとき、それでも緊急的に皇統護持を護持するためにはどうしたらよいか。それは、男系男子に属する皇位継承者の皇族を一人でも身を挺してお守りすることは勿論のこと、最後の引き当てとして、甲州市勝沼に疎開してをられた北白川宮家第五代当主である八歳の若宮殿下である道久王の居所をGHQに知られないやうに身を隠して密かにお守りすることであると判断したのです。

道久王は、父君の長久王の母君である房子内親王は明治天皇の第七皇女であることから、「男系男子」の皇統に代へて「女系天皇」による皇統護持を図らうとしたのです。


これは、現在における脳天気な女系天皇、女性天皇の議論とは程遠い緊急性と切迫感がありました。


しかし、このまま男系男子の皇統を断絶させてなるものか。それには、もし、男系男子の皇統に属する皇族を弑逆するやうな動きがあつたときは、マッカーサーを初めとするGHQ要人全員を暗殺してこれを阻止することしかないのです。不用意に暗殺すれば、その反動と報復によつて皇統断絶のための弑逆行為が熾烈になる可能性もあります。これが陸軍中野学校の関係者を苦慮させたところなのです。


つまり、陸軍中野学校の方針は、この「皇統護持工作」と「要人暗殺工作」を両輪としたもので、陸軍中野学校関係者は一丸となつてこの作戦を遂行することとなつて、野に下つてもこの作戦を継続したのです。ここに、国家の保存本能行動の要諦として、臣民としての「まごころ」を見ることができます。


しかし、GHQは、男系男子に連なる皇族を露骨な形で弑逆しなかつたものの、あたかも真綿で首を締めるやうに、秩父宮、高松宮、三笠宮の三宮家を除く11宮家51人の皇族の皇籍離脱を強引に決定し、男系男子の皇統の立ち枯れを図つたのです。


現在でも、女系天皇や女性天皇の議論は続けられてゐますが、前回(第四十三回)でも述べたとほり、それ以前に、占領典範を廃止して、正統典範を復元し、ご皇室に自治と自律を回復していただくための「典範奉還」を果たすことが、楠木一族が全滅によつて死守しようとした臣民の「まごころ」を再現することではないでせうか。


南出喜久治(平成28年2月1日記す)


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