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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第六十八回 賭博依存症

かけごとは とがめられるも ふださしは おかみをあげて そやすはなどて
(賭け事は咎められるも札差し(証券取引)はお上(政府)を上げて煽すは何どて)

民間人が胴元となるカジノ経営を合法化する統合型リゾート(IR)推進法のプログラム法案が昨年平成28年12月6日に衆議院で可決し、同月14日には参議院が修正案を可決して衆議院に回付され、翌15日に衆議院で可決して成立した。

参院の改正案とは、ギャンブル依存症対策を義務づけたものである。


これについては、賛否両論があつて、国会での審議も紛糾したが、どうも議論が咬み合つてゐない。

この問題の争点の立て方として、一般論としては、①罰則を以て禁止する賭博を例外的に合法化することにどんな根拠と理由があるのか、②ギャンブル依存症の対策がどのやうにとられるのか、③マネーロンダリング(資金洗浄)、治安の悪化、犯罪組織の介入及び青少年への悪影響などをどのやうに防止できるのか、④カジノを容認することにどんな経済効果があるのか、などの争点が指摘されてきたが、②以下の争点は、①が肯定されてからの争点であるにもかかはらず、これらが並列的に混在して議論されてゐる。


すでに賭博合法化に一歩踏み出したので、①の争点について考へる前に、まづは、①が肯定されたことを前提として、②以下の争点について考へてみることにする。


ギャンブル依存症の元患者や家族らからは、「依存症対策が不十分だ」と批判の声が上がつてゐるとの指摘があり、厚生労働省研究班の平成25年の調査によると、国内でギャンブル依存症の疑ひがある人は推計536万人に上るといふ。


しかし、ギャンブル依存症は、競馬、競輪、競艇の公営ギャンブルや、そのノミ行為によるものもあるが、最も多いのは、国内最大の違法賭博営業として政府が黙認してゐるパチンコ・スロットによるものである。まさか、違法な博打打ちの賭場に出入りしてゐて、その依存症になつてゐるやうな人は皆無であらう。もし、そんな人が居ればギネスブックに乗るだらう。


ところで、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風営法)によると、第23条第1項第1号(現金又は有価証券を賞品として提供すること)及び同第2号(客に提供した賞品を買い取ること)は禁止されてゐる。しかし、パチンコでは特殊賞品(特殊景品)をダミーとして、「三店方式」による景品買取りで資金循環がなされて、マネーロンダリングが公然となされてゐる。パチンコは、この三店方式による景品の買取りが禁止されれば営業として成り立たない。ところが、賭博を取り締まるべき警察は、パチンコのプリペイドカード利権に手を出して、警察官僚の天下り先としてプリペイドカード管理会社を設立して支配し、この賭博営業を公然と容認してゐるのである。


韓国ですら、パチンコは平成12年ころから広がつてゐたものの、いはゆるパダ・イヤギ(海物語)事件によつて平成18年には完全禁止されたにもかかはらず、いまや我が国は、違法なパチンコ賭博が公然と蔓延し、ギャンブルの種類の豊富さとその取引総額において、世界一の賭博国家、無法国家、不道徳国家の最たるものになり果ててゐる。


そして、この多種多様の我が国におけるギャンブルのために、ギャンブル依存症の人が生まれるのも当然のことであり、その中でも、最も手軽でのめり込み易いのがパチンコであるから、ギャンブル依存症の大半はパチンコ依存症である。

現に、生活保護を受給する者がパチンコ依存症になる比率も高いし、パチンコ依存症となつて生活が成り立たなくなつたために生活保護を受給する比率も高いといふ悪循環を生んでゐる。


さらに、ギャンブル依存症といふのは、ギャンブルなら何でもするといふものは少なく、特定のギャンブルに特化して依存することが多い。パチンコに嵌まればパチンコだけであることが多く、同時に、その他のギャンブルにも数多く嵌まる人は少ない。人によつてギャンブルにも好き嫌いや得手不得手があり、何でも手を出せるほどの資金力がある人は、それほど多くはない。

そのために、パチンコ依存症やその他のギャンブルに嵌まつた人が、カジノができたからと云つて、カジノに手を出してのめり込むことは少ない。だから、ギャンブル依存症の元患者やその家族の心配は杞憂にも等しく、そもそも自己責任で予防する外はない。


ギャンブル依存症は、ギャンブルの規模に対する一定の比率で発生するものであり、もし、ギャンブル依存症をなくすといふのであれば、ギャンブル自体をなくすことしかない。それが唯一かつ最良の対策なのである。


もし、ギャンブルの全面禁止をせず、あるいは、私的な違法ギャンブルであるバチンコ・スロットを禁止せずに、カジノを容認するとすれば、当然に、カジノ依存症対策に要する様々な経費と労務が必要となる。また、同様に、前記③の争点である、マネーロンダリング(資金洗浄)、治安の悪化、犯罪組織の介入及び青少年への悪影響などを防止する対策に要する様々な経費や労務も必要となる。

技術的には、どのやうな場合でも完璧に近い防止策をとることができるが、それらの問題解決を完璧にしようとすればするほど膨大な経費と労務が必要となる。


さうすると、前記④でいふ、カジノの経済効果との関係で疑問が出てくる。


そもそも、賭博といふのは、ゼロ・サム・ゲームであり、付加価値を産むものではないので、賭博自体には経済効果はない。あるとすれば、外国人観光客からの富を吸ひ上げるといふ阿漕な利益と、賭博営業を支へる施設や雇用から生まれる付加価値があるだけで、それが②と③で必要となる経費と労務を上回るものでなければ経済的メリットはない。ましてや、賭博による利益を財源として、それが支弁されるといふのでなければ、意味がない。つまり、賭博の利益は賭博業者だけが得て、②と③の経費を国家や自治体などが負担するといふのでは話にならない。


これらの検討から前記①の根本問題を考へるとすると、結論は容易に出てくる。

何ら国民の福祉にならないどころか、福祉に害をなす賭博を特定の私企業に対して例外的に認める理由も根拠も全くないのである。

むしろ、カジノどころか、この際、パチンコをも完全廃止することによつて、賭博禁止の原則へと回帰し、抜本的な依存症対策を行つて、一億総活躍社会の実現を目指すことの議論がなされるべきであつたが、これが全くなされなかつたのである。


つまり、賭博は刑法上禁止されてゐるにもかかはらず、全国的で大規模なパチンコ営業といふ違法賭博を警察が黙認し、事実上の賭博解禁状態(無法状態)が続くのは、政治献金利権や天下り利権があるからである。ここから炙り出さなければならないのである。


そして、今後は、原則通り賭博を例外なく一切禁止するか、あるいは、カジノを含めて全面的に解禁するか、といふ議論から出発する必要があつたのである。利権の炙り出しから出発すれば、カジノ法制の廃止と風営法の厳格適用によつて、賭博国家といふ汚名が返上できるのである。


いづれにせよ、拙速にこの法案を成立させたのは理由がある。この法案はプログラム法案であり、平成29年に具体化させ、大阪万博にカジノを導入するには、博覧会国際事務局に来年5月下旬までに届ける必要があるからである。

これは、日本維新の会が夢洲に誘致をめざす平成37年の大阪万博のために、スケジュール的には平成28年中にこれが成立しないと間に合はないことから、自民党が日本維新の会から突き上げられて、公明党との協議を見送つてまで見切り発車で前のめりになつた結果である。


しかし、平成32年の東京五輪が終はれば、アベノミクスは終はる。それをなんとかつなぎ止めるために、その5年後の大阪万博を推進させようとすることにあるらしいが、一過性の万博に継続的な経済成長を期待すること自体に無理があることに気付かない愚かな見通しである。


ともあれ、どうしてこんなことだけに大騒ぎするのだらう。カジノ法案をごり押ししようとする日本維新の会代表である松井一郎は、この法案に反対した民進党らに対して、「バカな政党」だと罵つたが、民進党は、この批判(侮辱)発言について「どうでもいい」として、反論しなかつた。


なぜ、こんな低俗のやりとりしかできないのだらうか。どうして、社会に蔓延る「賭博」の様々な態様と実態が世界と日本の社会に及ぼす悪影響について、もつと大局観から物事を見ようとしないのだらうか。不思議でならないのである。


こんなチンケで不毛な賭博議論をして、その依存症を懸念するのであれば、どうして世界的規模の多種多様な金融商品を金融市場といふ賭博場で賭博取引させることを政府が奨励し、その結果、汗水たらして働く世界の善良な人々の生活に著しい悪影響を与へ、資産と所得の絶望的な格差を拡大させることを加速させてゐる現状にどうして目を向けやうとしないのであらうか。


ここで暗躍する金融賭博依存症の人々は、投資家といふ病名が付いてゐるらしいが、誰もこれを治療しようとしないし、賭博依存症対策は全くなされてゐないのである。むしろ、どんどんと賭博を奨励し、依存症患者を増やすことが世界的に行はれてゐるのである。


パチンコ依存症の人では、自己の生活を危機に追ひ込むことはあつても世界の経済を危機に追ひ込むことはない。しかし、金融賭博依存症の人は、世界的規模において犯罪的と云つても差し支へない程度に、格差を拡大させてそれを極限化させる危機に追ひ込んでゐる。ところが、政治家も経済学者、それにマスメディアらは、誰もこの恐ろしさを指摘できない、まさに「バカ」なのである。


「臭い匂い元から絶たなきやダメ!」。
 昔、ジョンソン&ジョンソンのこんなCMキャッチコピーが流行つたことがあつたが、もし、民進党などが松井に反論するとすれば、賭博経済を批判することから始める必要があるのに、それができる意思も能力もないために、民進党以上に「バカな政党」の日本維新の会から逆に「バカ」だと言はれても民進党が何も言ひ返せないのは、所詮、「釜中の魚」の如く、目糞と鼻糞とが、世界の危機に気づかずに、低レベルの政治ゴッコのお遊びをしてゐるからである。





南出喜久治(平成29年2月1日記す)


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