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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第七十回 テロの行方と国際血盟団 その二

まつろはぬ ひとをあやめと とつくにの かみにしたがふ ひとはやみたり
(服はぬ人を殺めと外国の神(God)に従ふ人は病み(闇)たり)

本稿は、第五十五回「テロの行方と国際血盟団」の続編である。


そもそも、テロはなくならない。災害と同じである。テロは、人類の歴史とともにあつた。テロ撲滅といふのは不可能であり、そのやうな掛け声は、これに便乗して権力統制の強化を図る側面がある。


テロにも、権力側からのテロ(権力テロ)と反権力側のテロ(反権力テロ)とがあるが、権力テロの方が、本当は一番恐ろしいのである。スターリンや毛沢東、ポルポトなどによる大虐殺の方が、反権力テロよりも格段に凄まじく大規模である。否、反権力テロが起こつたことを口実として、治安対策強化の名目で、ますます権力的統制が強化され、より不自由な社会となる危険が常に隣り合はせとなつてゐるのである。


フランスで平成27年1月に起こつた反権力テロのシャルリー・エブド襲撃事件、そして、同年11月にはパリ同時多発テロ事件が起こつたことを受けてフランス政府が行つた非常事態宣言による権力的統制による権力テロや、平成28年7月に起こつたトルコの反権力テロであるクーデター未遂事件と、その後に非民主的な方法で行はれた政府による大量の逮捕、解雇、自由規制やメディア規制などの権力テロなどは、ワイマール憲法が、国会議事堂放火事件を契機としてナチ授権法といふ主権的独裁によつて崩壊したことと同じ危険を孕んでゐる。


経済の行き詰まりに加へて、テロが多発して権力的な秩序統制がなされ、それによつてさらに経済が沈静化して行き詰まるといふ悪循環を見据ゑて、エマニュエル・トッド(フランスの思想家)は言つた。「近い将来にヨーロッパでは独裁政権が誕生し民主主義は制止される。」「民主主義とグローバル経済は両立しない。」(『デモクラシー以後』藤原書店)と言ふのである。「グローバリゼーションの経済」と「民主主義の政治」はうまく整合しない。つまり、自由主義経済と民主政治とは相互に矛盾対立する。そのことからしても、主権的独裁の出現は杞憂とは言ひ切れないものがある。


我が国でも、与野党の談合によつて、与党側が求める通信傍受法(盗聴法)の適用範囲の拡大などを行ふことと引換に、野党が求める取調の可視化に関する刑訴法改正とヘイトスピーチ規制法の成立を受け入れるといふ取引をして成立した。これは、いづれ共謀罪も制定され、さらなる言論統制及び言論弾圧へと向かふ警察国家化の予兆でもある。


フランス革命における九月虐殺といふ恐怖政治がテロの語源となつたことは既に説明したが、この九月虐殺は、まさに権力テロである。シャルリー事件は、肖像化を禁忌するイスラム教の側からすれば、ムハンマドを風刺画にして揶揄したメディアといふ第三権力に対する報復なのであつた。


フランスがどうしてこれほどまでに風刺画に拘るかと言へば、それはフランス革命の成功体験にある。当時のフランス国民の90%以上を占める第三身分は殆どが文盲であり、ブルボン王朝の批判を文書で周知させることができなかつた。そこで、風刺画を用ゐた。しかも、言語で表現できないために、限りなく誇張したものを作成し、打倒すべき王族を極めて醜悪に描いて嫌悪感を煽つた。それが大衆の憎悪と激情を高め、大虐殺の革命へと突つ走らせた。この大成功の体験に味を占め、その後も風刺画はメディアが世論喚起するための有力な道具として認知されて今日に至つてゐる。


しかし、ムハンマドを風刺画で揶揄する行為は、イスラム教徒からすれば最大のヘイトスピーチである。昔、サルマン・ラシュデーの小説『悪魔の詩』が、ムハンマドとイスラム教徒を侮辱したとして、平成元年にイランのホメイニ師が、この出版に携はつた関係者全員に対して死刑宣告を出したことがある。そして、これを翻訳した筑波大学助教授の五十嵐一氏が平成3年7月11日に筑波大学構内で何者かによつて殺害された。

このことからしても、シャルリー事件は起こるべくして起こつた悲劇なのである。


そして、さらに、フランスのニースでは、平成28年7月14日の革命記念日のパリ祭当日、トラック・テロが起こり、多くの死傷者を出した。フランス革命がフランス建国の原点であるからこれを祝つて花火大会をすることになるのであらうが、「パリ祭」の実質的の意味は、フランス革命の「テロ祭」なのである。テロ祭当日にテロが起こつたといふ、なんとも皮肉な悲劇なのである。


このやうな経過からすると、シャルリーの有害無益なヘイト風刺画から、その後のフランスにおけるテロの連鎖が起こつたことを否定することができないのである。フランス革命を礼賛する心底には、テロ礼賛、テロ容認があることを認識して、「私はシャルリー」と叫んで連帯するといふやうな軽薄さと矛盾を素直に自覚しなければならないのである。


人類は、時代時代で様々なテロを経験してきた。当初は、テロも戦争も同じであつた。ホッブズの唱へた「自然状態」といふのは、万人の万人に対する戦争(闘ひ)状態のことで、人と人との相互テロ状態のことである。


Godが作つた世界の状態が自然状態であるから、自然状態で戦争(闘ひ)がなされることは、Godの為せる業であり、戦争はGodの意志に反しないものとして肯定される。そして、戦争がGodの意志に反しないものであれば、それを行ふ暴力組織(権力)もGodの意志に反しない。そして、その権力が、これに対抗する暴力(反権力)を殲滅させて暴力を独占することもGodの意志に反しないのである。


啓蒙主義の時代になると、理神論などが登場して、これらの理屈は当然のことと考へられるやうになつた。そして、ナポレオンの時代になると、クラウゼヴィッツが『戦争論』を著し、「戦争」の定義が生まれ、これまでのやうに、戦争とテロとを区別しなかつた時代から、区別される時代へと向かつた。


クラウゼヴィッツによると、「戦争とは、相手をわれわれの意志に従はせるための暴力行為である。」とした。これでは概念が広すぎるが、クラウゼヴィッツは、さらに、「戦争とは、拡大された決闘である」とも言つた。


この戦争=決闘といふモデル図式から、武器対等の原則、不意打ちの禁止などの「戦時国際法」が生まれてくる。今では、決闘は犯罪だが、当時は、作法に従つた決闘は合法だつた。

作法に従はない決闘は犯罪(違法)である。ルールがあるものとないもので区別し、ルールに基づく戦争は合法とされた。


そのために、「戦時国際法」では、戦争とは、国家と国家とが火器を用ゐて行ふ「外交」と位置づけられた。正規の軍事組織同士での戦ひであり、軍服勲章等で戦闘員であることを表彰した軍人同士が、組織の命令に従つて組織的な戦闘行為を行ふのが戦争であるとされる。戦闘員の表彰も付けず、独自の判断で戦闘行為を行ふ便衣兵(便衣隊)は戦時国際法の適用(保護)を受けなくなり、捕虜となる資格はなく、即時処刑することが許された。つまり、「ランボー」は便衣兵なのである。


そして、戦争以外は、違法な暴力行為(テロ)とされた。従つて、そのために、戦争ではないもの、つまり、事変、内戦、内乱は戦争ではなく、鎮圧されれば、一般の犯罪として処罰され、内戦、内乱が鎮圧されない場合、つまり、反政府勢力が勝利したときは、逆に革命として正当性が付与され、旧政府は反革命の犯罪者となる。


ところがである。ソ連崩壊以降、アメリカの軍事力がダントツとなつたことに対抗して、アメリカの敵対勢力は、対等では戦へない状況の打開策を求めることになつた。そこで、敵対勢力は、それが政府組織であれ非政府組織であれ、戦時国際法の範囲を超えた特別な形態の戦術を重視し始めた。そして、中共の人民解放軍の喬良と王湘穂が提唱した「超限戦」(無制限戦争、unrestricted warfare)といふ新しい戦略概念の理論を嚆矢として、いまでは、この理論に基づいて、交戦主体や攻撃目標が多様化した「ハイブリッド戦争(紛争)」といふ戦争形態が出現することになる。


アメリカも、平成13年の9・11以後に、アフガニスタンのタリバン政権にアルカイダ指導者オサマ・ビン・ラディンの引渡要求をして、ブッシュ大統領は、「対テロ戦争」を宣言した。そして、同年10月7日からは、アフガニスタンへの空爆を開始した。平成15年3月からは、ブッシュ大統領が「十字軍戦争」であると、いみじくも吐露してしまつたイラク戦争が始まり、その後サダム・フセイン政権は崩壊したものの、IS(イスラム国)との泥沼の宗教戦争に陥ることになつたのである。

また、平成23年5月には、アメリカ海軍特殊部隊がイスラマバード近郊でビン・ラディンを殺害したと発表した。これら一連の経緯と真偽については、いまもなほ事実関係が不明であるが、いづれにせよ「対テロ戦争」といふものは、個別的な殺害も含め、何でもかんでも「戦争」となつて、再びテロと戦争との境目が全くなくなつてしまつたのである。


つまり、対テロ戦争が開始されてからは、完全にハイブリッド化し、正規軍と非正規軍の区別、戦闘員と非戦闘員(民間人)の区別もなくなり、攻撃対象も、軍事施設と非軍事施設の区別もなくなり、物的人的破壊のみならず、情報破壊(サイバー攻撃)も含み、宇宙空間まで領域を拡げてしまつた。


さらに、社会一般においても、自殺を美化し、イジメで自殺した子どもを神聖化し、英雄視する。自殺した子どもに対して、「天国に居る〇〇ちゃん」と呼びかけるのが何の躊躇いもなく社会風俗化した。自殺すれば地獄に落ちるとするのが多くの宗教の教へなのに、自殺を美化する特殊な宗教もどきの文化がマスコミを通じて広がつてゐる。そのうちに、無理心中、自爆テロなどを正当化する素地ができあがつてくる危惧もある。


また、単なる私利私欲による犯罪であつても、昭和43年の金嬉老事件を嚆矢として、犯人や評論家などと称する者たちによつて、犯人の生ひ立ちや生活環境、発言内容から、後付けの理屈で無理矢理にその犯罪に、社会性、政治性、宗教性があるとの位置づけがなされて、犯人を英雄視して行く世の中になつてきたのである。


このやうな世相においては、平成27年1月、安倍首相によつてなされた反IS経済援助宣言は、明らかに兵站協力宣言であり、ISからすれば宣戦布告と見做されるといふ感性が鈍化してくる。交戦権のないはずの我が国が宣戦布告をすることの矛盾を誰も指摘しないのは不思議でならないのである。


ISとしては、この兵站を断つことにコスト・パフォーマンスの高さを認識するはずである。それが平成28年7月1日にダッカで起こつたレストラン襲撃事件の背景事情である。これは、我が国の行ふ兵站活動の最前線の非軍事組織であるJICA(ジャイカ)をターゲットとした事件である。明らかにJICAがターゲットになつたのである。


このISの戦略目的には合理性がある。それは、支那事変における援蒋ルートを攻撃したことと同様の目的があるからである。支那事変を、あくまでも「事変」にとどめ、「戦争」としなかつたことには理由があつた。一つは、対手の国民党軍は、軍閥であつて国家ではないとの認識があつたこと。もう一つは、戦争とすると、アメリカは武器貸与法によつて、対日貿易、特に、石油、くず鉄の輸出を中立違反を理由に止めてしまふ口実を与へるとの恐れがあつたからである。しかし、アメリカは、逆に、蒋介石に対して、武器貸与法に違反してまで援助を継続した。それが援蒋ルートによる兵站であつたので、これを我が軍は攻撃したのである。いづれも戦時国際法で、戦争とそれ以外とが峻別されてゐた時代のことである。


ISは、反IS勢力への資金提供等を行ふ有志連合の我が国が、兵站協力といふ宣戦布告をして兵站を実行することを踏まへ、その先端組織である非戦闘員(兵站要員)によるJICAに対して、兵站を分断する目的で攻撃するのは当然のことなのである。



大東亜戦争が聖戦であるとの大義を肯定するのであれば、戦争とテロとが区別出来ない現在においては、テロの大義を語るべきときなのである。これにより、世界のテロのモチベーションが高まることになる。

宗教は人を殺す。キリスト教もイスラム教も、異教徒を殺せと教へる。しかし、これでは到底世界は救へない。宗教では世界は救へないのである。宗教を超えた大義。非宗教的な大義。それは、富の独占を犯罪として認識し、貧困と病気を世界からなくすといふ大志にある。


前にも述べたが、6秒に1人の子どもが貧困と栄養失調で死亡し、0.14%の者が金融資産の81.3%を所有する。たつた62人の大富豪が、世界人口73億人の下位36億人分の資産を保有してゐるといふ現状は、まさに犯罪である。この格差拡大がさらに拡大することに無為無策で放置することも、人類史上最大の犯罪である。


いまや、全世界において、愉快犯、道連れ思想、無理心中、自殺志願、引き込み心理などによる私利私欲の犯罪と、一部のイスラム原理主義に洗脳されたジハード思想による大義を装つたテロ犯罪が横行してゐるが、これらを生み出す温床は、世界において不可逆的に拡大してゐる絶望的な格差問題にある。

これを推進するのが、金融資本主義による賭博経済であつて、この世界最大の犯罪元凶を膺懲して、富の再配分を世界的に実現させるために、この問題の解決に向かつてなされるテロには、宗教その他のいかなる思想や哲学をも超えた大義がある。


このやうな世界の状況を踏まへ、しかも、テロがなくならないとの前提に立つて、テロの行く末を考へたとき、やはり行き着くところは、前に述べたとほり、どうしても「国際血盟団」といふことになるのである。


テロの方向が、無辜の一般人や貧困層に向かふ昨今のテロは、そのテロを行ふ者もまた一般人であり貧困層である。いはば貧困層同士の「水平テロ」である。これでは、何の大義もない。ISのテロはそんなテロである。


しかし、犯罪的な格差を是正するために、超富裕層に向けられた一般人からの国際血盟団的なテロは、方向的には、いはば「垂直テロ」であり、その中でも「上昇テロ」である。

「垂直テロ」でも、上部から下部に向けられる「下降テロ」もあるが、これは、犯罪的格差を擁護し、独裁を強化するためのテロであつて、何らの大義もない。


前漢の初代皇帝(高祖)となつた劉邦が、始皇帝なき秦末に、江蘇省沛県城の無血開城を実現させた方法は、秦の県令を殺害して民衆から代表を選んで自治を確立するのであれば城攻めをしないと宣言するといふものであつた。これによつて、県令は、民衆によつて首は落とされて無血開城した。こんな智恵があつてもよいのではないか。

南出喜久治(平成29年3月1日記す)


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