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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百十回 山西省残留将兵の真実(その七)

ひのしたを ときはなちたる すめいくさ みをころしても かへるうぶすな
(日の下(世界)を解き放ちたる皇軍身を殺しても帰る産土(皇土))


(法的な検討課題)


1 昭和21年3月15日に現地において将兵の召集解除がなされたか否か。
 2 仮に、召集解除がなされたとしても、現地における将兵の召集解除が有効か否か。  3 将兵に対する軍の残留命令があつたか否か。  4 その後、特務団に配属してから戦闘中に捕虜となり戦犯管理所を釈放されて内地に帰還するまでの間に、自由意思で内地帰還することができたか否か。 


現地召集解除は、行政処分の一種であるところ、昭和21年4月15日に、1か月遡つた同年3月15日付で遡及的になされたものである。

しかし、特段の規定がない限り、遡及的に軍人としての地位を剥奪することはできないのであるから、本件召集解除は無効である。


召集解除は、山西軍の留用命令(徴用)がなされることが前提であつたことは前述のとほりである。

そして、昭和21年3月ころまでは、閻錫山と第一軍の判断としては留用承諾者であれば残留が可能であると予測できたが、その後、三人小組の介入強化、蒋介石(国民政府)の日本人帰国命令などにより、それまでの予測に反して留用承諾者と雖も原則として残留ができなくなつた。

召集解除は、あくまでも残留許可がなされることが条件となつてをり、その条件を満たさないこととなつた結果、事情変更の原則により召集解除は失効する。


留用命令や武装部隊の残留措置は、そもそもポツダム宣言受諾以後の停戦協定に違反して不法・違法である。

そして、当該召集解除は、この不法の内容を条件としてなされた処分であるから、民法第132条の類推により無効である。


政府見解によれば、昭和20年9月10日に陸軍大臣が発令した「帝国陸軍(外地部隊)復員実施要領細則(以下「細則」といふ。)第9条第1項第2号「外地在留ヲ希望スル者」に該当し、昭和21年3月15日までにその希望が表明されたから同日に現地召集解除がなされたとする。


しかし、将兵が希望を表明したことはなく、ましてや自由な意思に基づいて希望を表明したことはない。将兵は、同年2月上旬に布川大隊長から帰国延期の残留命令を受けた。これは、上官の命令であり、軍人の忠節、礼儀、武勇、信義、質素の精神が体現された軍人勅諭(明治15年1月4日)や、「皇軍軍紀の神髄は、畏くも大元帥陛下に対し奉る絶対従順の崇高なる精神に存す。上下斉しく統帥の尊厳なる所以を感銘し、上は大権の承行を謹言にし、下は謹んで服従の至誠を致すべし。尽忠の赤誠相結び脈絡一貫、全軍一令の下に寸毫紊るるなきは是戦捷の要件にして、又実に治安確保の要道たり。」などと説かれた戦陣訓を陸軍将校として率先垂範してきたSとしては、これに抗命することなど絶対にできないものである。


さらに、前述のとほり、この残留命令は、皇軍に対する密命として天皇陛下の御叡慮を体するものと信じるに足るものであつた。このことは、S以外の残留将兵にも共通するものである。もし、第一軍の残留工作において、組織的に配布された文書や第一軍首脳の口頭での説明の内容が、この残留が天皇陛下の御叡慮に背くことになり、承詔必謹に悖るものにはなるが、たとへ叛乱軍と評価されようとも皇国再興の実現のために残留してもらひたい、といふものであれば、殆どの将兵はこれを拒絶したはずである。


しかし、第一軍の残留工作は、このことに触れずして巧妙に密命を匂はすものであつたからこそ、多くの将兵が残留したのである。それゆゑ、仮に、自願による残留と評価される将兵と雖も、このやうな第一軍の欺罔により、残留が正当性(少なくとも我が国の国内法における正当性)のあるものと誤信したことによる残留の意思表明であれば、錯誤により無効と評価されるべきである。


また、国は、将兵が在留希望を表明したとする時期を特定しないのであるが、これについても、その具体的態様、すなはち、日時、場所、当事者、方法(文書又は口頭の区別)及び内容などは国に証明責任ある。


それゆゑ、仮に、国が、将兵に対する召集解除がなされたとする昭和21年3月15日と同じ日時に将兵が在留希望を表明したと主張するのであれば、その時点では絶対的な抗拒不能の強制下(戦闘中)であつたことは明らかである。それゆゑ、仮に、その時点で在留希望を表明したとされる場合であつても、その希望の表明は、前述のとほり錯誤により無効であるか、又は意思の欠缺により無効であるから、これを前提とする召集解除もまた無効である。


(細則第4条、第9条第2項違反)


細則第4条によれば、「外地ニ在ル部隊ノ復員ハ別ニ示スモノノ外本土ニ帰還後完結スルモノトス但シ最高指揮官ハ状況ニ依リ一部部隊ヲ現地ニ於テ復員スルコト得」とあり、同第9条第2項には、「第4条但ニ依リ現地ニ於テ復員セル部隊ノ人員中現地召集解除困難ナル人員ハ一時適宜ノ部隊ノ定員外トシテ保有スルモトノス」とある。


将兵は、そもそも外地在留を希望する者ではないので、細則第4条本文に基づき、本土帰還後に召集解除となるものである。しかし、仮に、同条但書により最高指揮官(第一軍司令官の澄田)が、「現地ニ於テ復員(召集解除)」させる場合であつても、それは「状況ニ依リ」とされてをり、その状況判断は全くの自由裁量ではない。山西省の特殊性を最も認識してゐる澄田としては、現地召集解除は絶対にしてはならないはずである。


また、残留将兵は、同第9条第2項にいふ「現地召集解除困難ナル人員」に該当するのであつて、ことさら現地召集解除をしてはならないのである。ましてや、仮にそれが可能であるとしても、「一時適宜ノ部隊ノ定員外トシテ保有スルモトノス」との規定にも違反してゐる。すなはち、特務団といふ別部隊を編成してはならず、既存の部隊のままで身柄の安全を確保しなければならなかつたのである。


それゆゑ、司令官としては、残留将兵で構成する特務団の即時解散を命じ、原隊復帰をなさしめる義務があつた。しかも、その義務の履行は、単に各兵団長に対して説得するだけでは足りず、当初において残留工作をなしたと同じ手法と熱心さで、直接に末端下部の将兵にきめ細かに伝達して説得しその意思を確認した上で復員手続を改めて履践すべき義務があつたのであるが、残留工作をなした澄田ら第一軍首脳は、この義務を怠つたのである。いはば山西軍からの身柄救出の不作為の違法がある。ちなみに、山西地区日本官兵善後連絡部長「山日連甲第158号」(昭和21年3月30日)は特務団の解散命令ではなく、形式上、その要請を行つたに過ぎないのである。


従つて、本件現地召集解除は、これらの規定に違反する措置であり、当該召集解除処分は無効である。


(処分権限の濫用)


仮に、召集解除が細則に適合するとしても、前述のとほり山西省の特殊事情を知りながら、殊更にその権限を行使したことは権限の濫用であつて無効である。

仮に、残留工作が成功し、残留希望を申し出た将兵があつたとしても、このやうな洗脳と極限状況下における承諾は、たとへ自由意思に基づく要素があると判断される場合であつても、これを無効と判断されるべきである。


確かに、河本、城野らの皇国再興の信念に基づく山西軍参加者がゐたことは否定できないが、数多くの山西省残留将兵が軍令による強制残留であつたことを挙つて主張してゐることに留意されるべきである。

通常の精神状態で、自由な意思を表明しうる言論環境であれば、誰しも「帰心矢の如し」であつて、志願までして残留を熱望する人は極めて稀である。いやとは明確に言ひ辛い残留将兵が置かれた異常な限界状況において、明確な残留拒絶の意思を表明する人は少なく、意志強固な稀な存在であることも経験的に肯定しうるのである。

よつて、このやうな群集心理を利用した手法で残留希望として処理した第一軍の本件残留措置は著しく権限を濫用したものであるから無効である。


ましてや、残留後の将兵としては、その後の長い苦難の日々が続き、激戦のため信頼する布川大隊長が戦死するなかで自らも戦闘不能の負傷をし、自決を試みたが果たせず、人民解放軍の捕虜となり、しかも、中国共産党率ゐる人民解放軍の本質ともいふべき人権無視の著しい精神的虐待と肉体的拷問を受け続けて虚偽の自白を強要されるなどした結果、言語障害の後遺症その他身体機能の低下といふ公務災害を受けたのである。


従つて、このやうな諸般の事情を考慮すれば、ポツダム宣言受諾の内容に違反した結果になるためといふ実質的な理由によつて将兵の主張を排斥であつて許されないものである。


(特務団創設及び用兵)


昭和20年10月15日には参謀本部が廃止となり、同年11月30日には勅令第675号により陸軍省官制が廃止となつて、翌12月1日からは、復員等の残務を第一復員省及び第二復員省が行ふこととなつた。


ところで、帝国憲法第11条は統帥大権、同法第12条は陸海軍編制大権を規定するものであるが、同法第13条の講和大権に基づいて、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印したことによつて、我が国は有条件降伏の内容として、日本軍の無条件降伏と完全武装解除を約したことから、この講和大権の行使の結果、以下に述べるとほり、統帥大権及び編制大権の行使は停止されることになつた。その意味では、講和大権は、統帥大権及び編制大権よりも上位に位置する天皇大権であるといふことであり、このことは、大東亜戦争の終局段階において証明されたのである。


昭和5年のロンドン軍縮会議において、「統帥権干犯問題」が論じられた背景には、天皇を大元帥陛下として、その統帥大権は、国務大臣の「輔弼」ではなくして、軍部が天皇を「輔翼」して行使しうるとの独断解釈により、内閣(国務大臣)の権限外の事項とし、さらに、天皇自身からの干渉をも排除したうへ、「統帥権の独立」の名で、その実質は「軍部の独立」を実現することを終局目的とするものであつた。「輔弼」といふ憲法上の用語の使用を避け、帝国憲法では用ゐられてゐない「輔翼」といふ用語をわざわざ用ゐたのは、内閣から分離独立した独自の権限として行使したいとする軍部の意図の現れでもあつた。

しかし、統帥権干犯問題においては、統帥大権(同法第11条)と条約大権(同法第13条)のいづれが優先するのかといふ議論は全くなされなかつたのである。もし、条約大権が統帥大権及び編制大権よりも優先するとの解釈が肯定されれば、そもそも統帥権干犯問題が起こりうる余地は無かつたのである。


ところが、ポツダム宣言の受諾に際して、この大権相互間の優先関係について、現実に決着をつけなければならない事態に直面した。その事実経過はかうである。昭和20年4月に成立した鈴木貫太郎内閣は、同年6月8日、御前会議において、聖戦完遂、國體護持、皇土保護の国策決定を行ふ。これは、本土決戦に至る統帥大権に関する問題であつて、統帥権の独立が認められてゐるため、内閣の輔弼が及ぶ事項ではない。しかし、戦局はさらに悪化し、ポツダム宣言受諾の方向へと動く。ポツダム宣言を受諾するについては、一般条約及び講和条約の締結といふ帝国憲法第13条を根拠とする外交問題であるから、立憲君主的に、内閣の補弼による運用がなされてゐた事項であつた。そこで、鈴木首相は、統帥大権の帰属者である大元帥の地位と帝国憲法上の天皇の地位とを理念上区別し、大元帥は天皇が兼務するだけで、大元帥も天皇の家臣であるとの見解を打ち立て、6月8日になされた統帥大権による聖戦完遂の国策決定と、講和大権によるポツダム宣言の受諾とは、何ら矛盾しないと結論付けた上でポツダム宣言受諾に至つたのであつた。


かくして、講和大権の行使によるポツダム宣言の受諾により、日本軍の無条件降伏と完全武装解除が合意され、その反射的効果として、他の大権事項としての統帥大権と編制大権はその行使が停止された。

それゆゑ、統帥大権と編制大権を「輔翼」するだけの軍部が新たな戦闘集団としての特務団を建制して戦闘行為を行ふことは、ポツダム宣言に違反することは勿論、第一軍の行つた特務団建制計画とこれによる具体的な特務団の創設は、以下に理由により明らかに違憲無効であつた。


そもそも、特務団の性質は、従来までの陸軍の建制、特に、Sとの関係における陸軍組織系統で言へば、大本営、支那派遣軍、北支那方面軍、第一軍、独立歩兵第14旅団、第244大隊、第4中隊の序列で編成された兵団とは全く別系統の新たな兵団なのである。

さらに、この特務団は、復員のための人員輸送などのための一時的、暫定的な「梯団」ではなく、恒常的な戦闘集団としての「兵団」の性質を有してゐる。


従つて、ポツダム宣言受諾以前であつても、第一軍隷下の師団、旅団、連隊、大隊、中隊、小隊などの兵団の建制を改編して特務団を創設する権限は、編制大権といふ天皇の専権事項であつて、第一軍司令官がこれを独自に行使しえないことは当然である。

ましてや、この特務団は、単なる復員輸送の便宜のための梯団ではなく恒常的な戦闘集団(兵団)であつて、第一軍は、この違憲無効の兵団に対し用兵(統帥)のための指揮命令を行つてゐる。


それゆゑ、特務団の創設は編制大権を簒奪し、特務団の用兵は統帥大権を簒奪する違憲行為である上、日本軍の無条件降伏と完全武装解除を内容とするポツダム宣言に違反する行為でもあるから、如何なる観点からしても、第一軍による特務団建制計画に基づく特務団の創設とその用兵は絶対的に無効である。

第一軍は、特務団といふ従来の建制とは別個の新兵団を創設し、第一軍麾下の将兵をその原隊所属の地位を維持したまま特務団への「派遣」を命じたのであつて(会議録の百々参考人証言)、原隊所属の身分を消滅(召集解除)させたうへで特務団に所属させたのではない。

その意味では、Sに対する布川大隊長の残留命令は、特務団への派遣命令といふ性質を有するものと評価できる。

また、S以外の将兵において、残留希望の有無が取り沙汰されてゐるが、仮に、残留意思を表明したと認定される将兵についても、それは、特務団への派遣について、残留意思のある者を優先的に選抜するといふ準則に基づく「志願制」を採用したものと評価されるのであつて、やはり強制残留であることに何ら相違はない。


いづれにせよ、特務団の創設及びその用兵といふ違法な目的で残留工作を行ひ、特務団への派遣(残留)のためになされた召集解除もまた無効であるこことは何ら疑ふ余地もないことである。

南出喜久治(平成30年11月1日記す)


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