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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百八十八回 反ワクチン・反マスク訴訟 その八

くすりには くすしちからを そなへども いまはさはりの ものとまがへり
(薬には奇し力を備へども今(現代)は障りの物(毒物)と紛へり)


もともとBC兵器として開発された武漢ウイルスが、故意か過誤かは未だに不明であるものの、令和元年12月にわが国にも伝播して今年で足かけ4年になるが、国の公衆衛生政策の歪みによつて、武漢ウイルスをワクチン接種のみで封じ込められるとするワクチン一本足打法の思ひ上がつた盲信政策を糺すため、令和3年7月30日に提訴した反ワクチン訴訟は、今年1月13日に、第2回口頭弁論が東京地裁531号法廷で開かれた。


以下において、この13日の裁判の具体的な状況を報告したい。


この日の東京地裁は、所長命令により、午前中はこの事件だけとなり、他の全ての事件は、期日を取り消された状態で、この事件のみの対策のため東京地裁では特別警備体制が実施されることになつた。

午前8時20分から午前中まで一般の来訪者(弁護士の帯同者も含む)は総務省側の正面玄関からのみの入庁に制限され、一般の訪問者は、この事件の傍聴券のある者以外は入庁できない措置となつたため、東京地裁前に集まつた支援者が裁判所の構内に入ることすら禁止され、早朝から多くの支援者が正面玄関前の路上に溢れ返つてゐる。


傍聴券も、リストバンドになつて、傍聴券を譲渡することを禁止してゐる。裁判が始まる10分前まで、これから始まる裁判のことなどについて、主任の木原功仁哉弁護士と私とが、東京地裁前に集まつてこられた多くの方々に事情を説明し、開廷の10分前になると、裁判所職員の誘導によつて、原告の中村篤史氏と一緒に裁判所に入つた。警察官や警備員が裁判所を埋め尽くし、5階の531号法廷に行くまでのホールから通路、エレベータホールの両側にビッシリと立ち並び、私たちが1人1人通れる程度の隙間しか空いてゐない状況である。このやうな厳重警戒の中を進んで法廷に案内されたが、法廷内にも10人ほどの警備員が法廷内部に居た。


入廷すると、すでに抽選で選ばれた26の傍聴者が着席してゐた。1人だけマスクをしてゐた人が居たが、その他の傍聴者は全部マスク不着用である。支援者であることが直ぐに解る。持ち込みが禁止されてゐるプラカードやゼッケンなどよりも明白な意思表明の効果がある。


しばらくして、被告国の指定代理人が入つた後、春名茂裁判長と陪席裁判官2人の計3人の裁判官が入廷した。


私は、昨年暮れに、裁判所に対して、弁論が始まる前に、冒頭で意見を述べる予定があることを伝へてゐた。その意見の内容については一切説明してゐなかつた。すると、書記官から、今年になつて、その意見内容について事前に文書にて提出してもらへるかとの要望があつたが、私は、直ちに峻拒した。そして、その理由を説明した。


前回の第1回口頭弁論では、時間配分の関係もあるので事前に木原功仁哉弁護士の意見陳述書の内容を知りたいので提出してほしいといふことを信じて提出したところ、その一部について削除要求をするといふ憲法違反の検閲が行はれ、当日になつて、木原弁護士に指摘部分を朗読してはならないとの露骨な検閲が実行され、その削除する理由の説明をすることなく、いきなり木原弁護士に退廷命令が出されて実力で法廷外に排除されたことがあつたために、再び裁判所による違憲の検閲を受けないためにも、文書の事前提出を一切断るといふのがその理由であると説明した。書記官は、それ以上何も言はなかつた。そして、当日を迎へた。


被告国の準備書面の提出期限は、第1回口頭弁論において、昨年令和3年12月17日と定められてゐたが、当然に、訴状で主張してゐる事実の認否をしなければならないにもかかはらず、提出してきた準備書面は、既に公開してゐるとほり、訴訟要件に関する主張のみで、事実主張についての認否を全く行はない、全く騙し討ちのやうな準備書面であつた。私らとしては、このやうな騙し討ちで認否をしない被告国に対する抗議の意味で、被告国の準備書面に対する反論として、令和4年1月7日付けで準備書面(5)を提出してゐた。


裁判官らが入廷して裁判が始まつた。冒頭に、春名裁判長は、初めに注意事項が2つあるとして説明し出した。


一つ目は、裁判所としては、コロナ対策として、決して強制ではないがマスクの着用をお願ひしてゐるので、傍聴者の中でマスクをしてゐない人が居られるので、マスク着用をすることに同意いただける方は直ぐに申し出てください、といふ趣旨のことを言つた。

しかし、そのことを行動表現としてゐる支援者が傍聴してゐるのであつて、その要望に応じる人が居る筈がないことぐらい当然に解るはずであり、結局は誰からも何の反応もないといふ失態を演じたのである。


次に、法廷内で不規則発言などにより法廷の秩序を乱す行為があれば、直ちに退廷命令を出すことになるので、そのやうなことがないやうに、との注意がなされた。


これほど異常な警備体制によつて裁判所の構内と構外に数百人の警察官や警備員を配置したのは、原告や原告代理人、それに26人の傍聴者が不規則発言などをして退廷命令がなされたときに、逮捕して強制的に法廷外に放り出すためであつたことになるが、さうであれば、これほどの過剰警備は異常といふ言葉を通り越した事態であることを春名裁判長が告白したことになるのである。


そして、春名裁判長の注意事項の説明が終はると、いよいよ弁論が開始する。


私は、冒頭に意見陳述の機会を与へてもらふことを予告し、そのための文書を出すか出さないかの協議があつたのであるから、当然にその機会を与へることを了解してゐた筈である。ところが、それが無視された。それこそ、法廷の秩序を乱したとして、自らに退廷命令を下して退廷しなければならない事態である。


私にその機会を与へず、まづは被告国に対して、12月17日付けの準備書面(1)を陳述されますかと、その陳述を促した。陳述を促すと言つても、準備書面の全文を朗読させることなく、単に被告側が「陳述します」と言へば、準備書面の内容の全てを朗読した扱ひにするのである。そして、被告国側は、「陳述します」とだけ言つた。


これでは、傍聴者は、どんな内容の準備書面なのかがさつぱり解らない。こんなことでは、口頭主義、直接主義による公開の法廷による公正な裁判とは到底言へないのである。せめて、その主張の要旨を口頭で説明し、公開の法廷における審理の内容の公正さ担保するために、傍聴者に審理内容を明らかにして理解させる措置がなされなければならないのである。


私は、裁判所の書記官が昨年暮れに、弁論の冒頭に行ふ意見の内容を知りたがつて連絡してきた際に、裁判所との間で余り事前の調整をしてしまふと、多くの支援者から、裁判所との馴れ合ひがあるやうに謂はれなき疑惑を持たれては困るので、こちらの準備書面については、本来の「陳述」としての全文の朗読に代へて、要旨の告知をしたいと申し入れたが、返答はないままであつた。


そして、やつと春名裁判長は、次に、原告側に向かつて、同様に、原告らの1月7日付け準備書面(5)を陳述されますか、と尋ねてきた。


私は、立ち上がつて、春名裁判長にかう言つた。


事前に、裁判所に対し、弁論を始める前に陳述の機会を与へてもらふやうに要請して了解してもらつたはずである。ところが、それが無視されて弁論が始まつたが、このやうな対応は極めて遺憾であるとの趣旨の抗議をすると、やつとその発言の機会を与へてくれたので、私は、次の趣旨の発言を行つた。


第1回弁論期日(令和3年10月12日)の前に、木原功仁哉弁護士の意見陳述書を確認したいとの名目だつたので事前に提出したが、その目的は憲法の禁止する検閲を行ふためであり、現にその検閲を行つて、その記述の一部の削除要求して、弁論期日の当日、その部分の朗読しようとした木原弁護士に対して、削除を求める理由も告げずにいきなり退廷命令を発令して実力行使したことは「言語道断」であつて到底容認できない。そのため、裁判官全員を特別公務員暴行陵虐罪等で東京地検に刑事告訴し、裁判官弾劾法による訴追請求を行つた。そして、さらに裁判官忌避の申立を行ふか否かを検討したが、それを行ふと、多くの国民が感心を持つて注視してゐるこの裁判の審理が中断し、それでなくても提訴から半年も経つのに、未だに請求原因事実の認否をせずに訴訟要件に関してのみ争つてゐる被告国の思ふ壺になる。請求の趣旨第12項の損害賠償請求については、請求棄却を求め本案の答弁を行ひながら、未だに事実の認否しないのである。そのために、審理が中断してしまふことを回避するために、忌避申立を断念し、むしろ、審理を早めることを裁判所に要望することにした。裁判所に対しては、適正な訴訟指揮権を行使して、この認否を早急にさせるやうに命ずることを求める。


そして、せめて1か月に1回以上のペースで口頭弁論期日を指定して集中審理されることを要望する。事前に私の事務所に連絡があり、次回期日を4月26日午前11時30分にしたいとの連絡があつたが、これは承服しかねる。これも了解はするが、その間に2月と3月にも弁論期日を指定して頂きたい。


私が、第1回口頭弁論期日における裁判所の行為を言語道断であるとして語気を荒げたところ、春名裁判長は、私の発言中に口を挟んで、裁判所としては適正な措置をとつたものであると言つてきた。このことに対し、私は、いま私が発言中である、と言つて、裁判長の不規則発言を注意した。一体誰が法廷の秩序を乱してゐるといふのか!と思はず叫びたくなつた。


「裁判官は釈明せず」といふ法諺がある。裁判官は、一旦下した判決や決定について、事後になつてそのことを正当化するための弁明、弁解、言ひ訳をしないといふルールである。それに反して春名裁判長が弁解したのは、木原弁護士に対する検閲による言論封殺と退廷命令は、やはり後ろめたい気持ちがあつたことを示してゐる。

裁判所が当該部分の削除を求める理由に全く法的根拠がないことについては、第181回の「反ワクチン・反マスク訴訟 その三」で述べたとほりである。


そして、私は、その発言の後で、1月7日付け準備書面(5)について言及した。


しかし、この要旨の告知をしても、傍聴人に理解してもらふのは難しいと思つたので、準備書面の内容の訂正をあへて行ふことにして、この準備書面で最も重要な部分の説明をするために発言を始めた。


それは、既に公開してゐる、この準備書面(5)と裁判の翌日である令和4年1月14日付け準備書面(6)で主張してゐるので、ご覧いただきたい。


要約すれば、次のとほりである。


大規模災害などによつて死亡者が例年に比べて増加することがある。厚生労働省の人口動態統計によると、たとへば、平成6年の死亡者数は875,933人であつたが、阪神淡路大震災のあつた翌平成7年は、死亡者数が922,139人となり、46,206人、約5.28%増加してゐる。

また、平成22年の死亡者数は1,197,012人であつたが、東日本大震災のあつた翌平成23年は、死亡者数が1,253,066人となり、56,054人、約4.68%増加してゐる。

さらに、厚生労働省が令和3年12月21日に発表した人口動態統計速報(令和3年10月分)によると、令和2年2月から10月までの死亡者数は、1,000,282人であつたが、ワクチン接種が始まつた年の翌令和3年2月から10月までの死亡者数は1,054,613人となり、54,331人、約5.43%増加してゐる。

しかし、令和2年と令和3年とを比較して、いづれの年も、人口動態統計に影響を与へるやうな大災害はなかつた。唯一、国民の健康に影響を及ぼすものとしては、令和3年2月17日からファイザー製ワクチンの接種が始まり、それ以後、1日100万人を目標とした大規模接種が実施されたことだけである。

これによつて、死亡者が急増した。つまり、ワクチン接種が大災害だつたといふことである。

疫学的、統計的には、ワクチン接種によつて、直接的死因、間接的死因となり、あるいは既往症、基礎疾患などを抱へる人の死期を早める効果によつて死亡者が急増したことが証明できるのであつて、今回のワクチンは、やはりこれまで同様に「殺人ワクチン」であるといふことである。


かういふことを法廷で述べた。


医学的な因果関係を立証するのは至難の業である。国は、いつもそのやうにして責任逃れをしてきた。医学的因果関係については、反ワクチン運動に携はつてゐる人の中も個々の死亡事例について疑問を抱いてゐる事例もある。そんな個々の事例での見解の相違によつて、運動を分裂させてはならないのである。

しかし、この疫学的、統計的事実を強調するのであれば、誰も反対する人が居ないはずであつて、運動が分裂することもない。


そして、私は、法廷で最後にかう付け加へた。


被告国は、今回のワクチンを導入するにあたつて、国民が納得できるやうに、その安全性、有効性について説明責任を果たすと約束したのであるから、この訴訟で求めてゐる事実関係について速やかに詳細に認否して、国民が納得できる説明をすることが求められてゐるのであつて、これを隠蔽したり遅延させたりすることは到底許されないのである、と。


そして、次回期日の調整となつたが、被告国が、認否をするのに時間がかかるといふことで、2月28日を期限として提出したいとしてゐるので、その日を期限として提出してもらふことにすると春名裁判長は言つた。つまり、事前に被告国と裁判所とが合意してゐたのである。どうしてそんなに提出までに時間がかかるのか不思議でならないので、もつと早く提出させるべきであると異議を述べたが、裁判所は被告国の事情を無視できないとしてこれを決めてしまつたのである。そして、それに対する原告側の認否反論を4月15日までとするとして、次回期日を4月26日午前11時30分、今回と同じ531号法廷とすることに決まつた。初めから被告国側と認否の引き延ばしのために摺り合はせしてゐたといふことなのである。


この裁判の後、私たちの帰りを正面玄関前で待つてゐてくれた支援者に合流して、法廷での状況を詳しく説明して理解を求めた。傍聴してくれた、ある支援者が、私が春名裁判長に向かつて「言語道断」であると舌鋒鋭く批判したことについて、驚きと感動を覚えたと興奮した様子で感想を述べてくれたことが印象的だつた。


そして、そのまま午後からは日比谷公園前の厚生労働省前へ移動して、そこでの抗議集会デモ、そして、銀座に向けてデモを行ひ、銀座三越前で街宣活動、そして、再び日比谷公園を経由して東京駅までデモ行進をし、数千人の規模となつた。これについては、担当者が詳しく説明してくれると思ふし、既に動画などで明らかになつてゐる。


次回もまた、裁判所前に多くの支援者に集結してもらつて、裁判の後に、その場での報告を行つた上で、引き続いてデモと街宣との組み合はせで、反ワクチン、反マスクの運動を盛り上げていただき、反ワクチン運動のうねりによつて犯罪的政策を推進する政府に膺懲の鉄槌を下さなければならない。


南出喜久治(令和4年1月17日記す)


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