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トップページ > 自立再生論02目次 > R04.03.15 第百九十二回 祭祀の民 その五

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百九十二回 祭祀の民 その五

おこたらず あまつくにつを つねいはひ まつりてはげむ くにからのみち
(怠らず天津國津(の神々)を常祭祀して励む國幹の道)


長崎県西海市が管理する横瀬浦公園には、等身大のルイス・フロイス像が立ち、こんな観光案内をしてゐます。


「日本初のキリシタン大名・大村純忠が開港し、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイス上陸の地とされる横瀬浦にある公園。展望台からは、かつて南蛮船の目印とされた白い十字架の建つ「八ノ子島」や港町の風景が楽しめます。」


しかし、この大村純忠は、横瀬浦周辺の広大な土地を領土的野心を持つたルイス・フロイスのイエズス会(ポルトガル)に領土割譲した人物で、それを褒め称へることが、現代においてどのやうな意味を持つてゐるのかといふ視点が全く欠けた愚かな観光案内です。


わが国の国益を踏まへて観光案内をしない西海市は、一体どこの国の自治体なのでせうか。


現行刑法では、内乱罪(第77条)や内乱予備罪・内乱陰謀罪(第78条)があります。

刑法第77条の内乱罪とは、「国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者」に適用され、死刑などに処せられるのです。


つまり、大村純忠の行為は、いまで言へば、内乱罪か内乱予備陰謀罪に該当します。


キリシタン大名が、基督教に帰依することは信教の自由として認められても、世界中に領土を拡張して帰依した信者を巻き込んで統治させるといふイエズス会の思想侵略、領土侵略に追随して加担することは、もはや信教の自由があるとして保護されるものではありません。


永禄6年(660+1563年)、国賊・大村純忠がその前年にイエズス会に寄進した横瀬浦の港とその周辺の広大な土地を大村純忠の兄弟である後藤貴明が、大村家臣団と横瀬浦奉行である針尾伊賀守貞冶とで挙兵し、横瀬浦港に向けても進軍し、イエズス会に支配された横瀬浦の港を焼討ちして、フロイスらイエズス会とその同調者を追放しました。

這々の体で長崎に逃げ延びたフロイスでしたが、大村純忠はさらにフロイスを庇護し続け、天正8年(660+1580年)に大村純忠が長崎の統治権をイエズス会に与へました。長崎をイエズス会専用の港にすることで南蛮船がもたらす貿易利益を独占しやうとした大村純忠と、長崎をスペイン領として、ここを拠点に布教と領土の拡大を目論むイエズス会との共謀による「邦土僣窃」を目論んだのです。


つまり、後藤貴明と針尾伊賀守貞冶がフロイスが支配しやうとした横瀬浦の港を焼き払つたのは、大村純忠とイエズス会による「邦土僣窃」を阻止するためです。

大村純忠を排除するだけの挙兵であれば、横瀬浦の港を焼き払ふ必要はないのです。

大村純忠は、異教徒は殺せとのフロイスの教へを忠実に守り、仏教徒の居住を禁止し、領内の寺社を破壊し、先祖の墓所も打ち壊した蛮行に加へて、領民にもキリスト教の信仰を強いて僧侶や神官を殺害し、改宗しない領民が殺害されたり土地を追はれるなどの事件が相次ぎ、家臣や領民の反発を招くことになつたことが挙兵の動機でした。


そのやうな事実を豊臣秀吉は後に知ることになります。


そして、これがスペイン・ポルトガルによる日本征服の第一歩となるとの強い警戒心から、豊臣秀吉は、天正15年(660+1587年)にバテレン追放令を発布し、長崎のイエズス会が領土として占有してゐた土地を取り上げて秀吉の直轄領としたのです。これが、江戸幕府による禁教令によつて、イエズス会らの布教を口実とする領土的侵略からわが国は守られました。


つまり、後藤貴明と針尾伊賀守貞冶の義挙が外国の侵略からわが国を防衛する救国運動の嚆矢となつたのです。


これは、バテレン追放令や禁教令といふのは単純に宗教弾圧であると言ふことはできません。布教に藉口したイエズス会らの領土的侵略行為を防いだ祖国の防衛行為だつたのであり、これに加担した者を処断するのは当然であつて、侵略者を手引きする加担者について、侵略者側では被害者であるとして、たとへば日本二十六聖人として祀るのは自由ですが、侵略された側からすれば、単なる侵略行為の加担者といふ加害者に過ぎないのです。


西海市がすべきことは、侵略者の頭目であるフロイスや国賊の大村純忠を讃へるのではなく、その奪還に命を賭けて邦土僣窃を阻止しやうとした後藤貴明や針尾伊賀守貞冶の「顕彰碑」を横瀬浦公園に建立すべきなのです。


ところで、そもそも、Godといふものは、人間の理性の働きにより、想念によつてGodの概念が作られました。

「こんな我々の住む世界を作つたのは、何か偉大な力によるものに違ひない。さうだ。その偉大なるものが存在し、それをGodと名付けやう。さうすると、我々は、その偉大なるGodによつて作られたことになる。」
といふことです。


 つまり、I was born by God です。


しかし、元はと言へば、God was born by human だつたのです。人間の持つ理性のみによつてGodが生まれたのです。Godは人間の理性の産物です。理性のない動物ではGodを想念することができないのです。


さうするとどうでせう。


God was born by human.and human was born by God.and God was born by human.and・・・・・・・・
と永遠に続く循環論法です。これは論理学で言ふところの、論点先取りの虚偽の一種です。


そして、これが虚偽であり矛盾であると思ひ続けることは精神的に不安定となるため、それを避けて精神を安定化するために自己防衛の本能活動としての「防衛機制」(適応機制)が働きます。


簡単に言へば、開き直りです。開き直つて、どのやうにするかと言へば、思考停止することです。


I was born by God(human was born by God).


これだけで打ち止めして、一切循環させずにこれですべて押し通すのです。


これが啓示宗教です。聖書や仏典を絶対視して、虚偽と矛盾が二度と表に出てこないやうに頑丈な教義によつて包み込んだ教条主義で身構へます。これに異議を唱へるものは異教徒であり、仏教においては仏敵として、異なる者を徹底的に排除します。

その排除されるものの中には、祖先崇拝などの祭祀が当然に含まれます。


ところで、


 I was born by God(human was born by God).


といふ虚偽と矛盾から湧き出る不安を払拭するためには、そのコンプレックスの裏返しとして、自己陶酔による頑なに原理主義を貫くことによつて身を守らうとすることです。

コンプレックスが強ければ強いほど自己陶酔は強くなります。


イエズス会が戦闘的な布教と武力制圧計画を含む領土的野心を抱いて世界を侵略したのは、まさにGodへの絶対的帰依による自己陶酔なのです。


大村純忠の晩年は、その自己陶酔が消え失せてしまつた哀れなものでした。


ともあれ、イエズス会の布教の執念と領土的野心は一体のものです。信者の獲得と領土の獲得。これが信仰の証であり成果です。


イエズス会の野望は、まだまだ続きます。文明開化を標榜した明治政府になつて、わが国に第2派が押し寄せます。


それが、ラフカディオハーン(小泉八雲)の『お大の場合』(The Case of O-Dai)の話のやうなことがわが国各地で起こりました。


この話は、あちらこちらで紹介して居ます。平成22年10月1日の「青少年のための連載講座 祭祀の道」の「第二十二回 祭祀と宗教」でも述べましたので一読してください。


この物語は、こんな内容です。


2人の女宣教師が、お大を信者にすれば村人を入信させると考へて、お大に給料まで出して唆し、お大の家で祖先を祀つてゐた厨子と位牌など川に投げ捨てさせます。このことのおぞましさを知つた村人は、お大を村八分にして排斥したので、宣教師の布教の思惑は外れ、お大は弊履の如く捨て去られます。位牌を投げ捨てた川に入水自殺することができなかつたお大は、生きるために身を持ち崩して消え去つてしまつたといふ松江であつた悲しい実話です。


このやうに、宗教の歴史といふものは、領土の侵奪といふことも含めて、祭祀の民に対する迫害、弾圧などによる祭祀の絶滅を目的とした暗黒の歴史でもあつたのです。

南出喜久治(令和4年3月15日記す)


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