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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百九十三回 祭祀の民 その六

おこたらず あまつくにつを つねいはひ まつりてはげむ くにからのみち
(怠らず天津國津(の神々)を常祭祀して励む國幹の道)


世界宗教を名乗る宗教は数多くあります。


それらが集まつて、万国宗教会議とか、世界宗教会議とか、そして、昭和45年には「世界宗教者平和会議」(Religions for Peace)が設立され、これは、「諸宗教間の対話と相互理解から生まれる英知を結集し、平和のための宗教協力を行う」ことを行動目的とした非政府組織(NGO)です。


このやうな世界的組織は、宗教間対話(Interfaith dialogue)とか、宗教多元主義(Religious pluralism)のいふ考へにより、異なる宗教を信仰する人々の間で宗教間の対立を解消し、平和を目的として協力し合ふために話合ひをすることを目的としてゐます。さまざまな宗教が同じ社会に存在することを認め、お互ひの価値を認めながら共存する宗教的態度に基づくものです。


しかし、これは完全に矛盾した話です。この指(最高神)に停まれといふのが宗教の本質なのに、その指に停まらない者を認めることは、教義の否定です。教団としては、その神を信じなくなつたり、神の言葉を疑つたり(異安心)、他の神を信じたり(棄教)すると、地獄に堕ちると厳しく強迫します。

つまり、信心とは恐怖の表裏の関係なのです。


つまり、このやうな脅しを背景とした教義を推し進めると、恐怖に駆られた信者が覚悟を決めて棄教し、それを救つてあげると誘ふ他の宗教を信じてしまふことを促進させることになりかねません。さうすると、宗教戦争になります。

そして、異教徒は殺せと言つて、お互ひに殺し合つたり、罵り合つたりして、信者に醜く悍ましい姿を晒すと、それを不安がつて信者が離れてしまふことになることも組織防衛として検討されてきたわけです。

そして、お互ひの教団が棲み分けすることによつて相互の存続を保障し合ふことを期待します。


異教徒の存在を認めて、お互ひの価値を認めながら共存するといふのは、宗教的価値を相対化することです。これは、自己の宗教こそが絶対無二とする宗教の絶対性を否定することです。これは、人の道における寛容とは異なるもので、教義の否定に他なりませんが、それでも、宗教的紛争をせずに生きながらへるために停戦合意をするのです。


わが国でも、比叡山宗教サミットとかいふ集会を開いたりしますが、要するに、世界宗教として選ばれた自分たちは宗教界のサミット(頂上)にゐるのだといふ自惚れです。比叡山といふお山の大将だといふことなのです。


ところで、宗教の絶対性といふものには、致命的な矛盾があります。


「信じる者は救はれる」といふことは、信じない者は地獄に落とされて救はれないことになりますが、さうであれば、その宗教は、信じる者だけの宗教となり、普遍性がなく、特殊性の宗教になります。さうであれば、絶対的な価値の教へではなくなります。

そこで、キリスト教(ベテロ、パウロ教)では、「予定説」が生まれました。信じれば救はれるといふ教義は、救はれる者となるか否かはその信者が決めることになり、誰を救ふか否かは神の意志によるものなのに、人がそれを決めるのはGodの絶対性を損なふことになります。

そのため、信じても信じなくても、キリスト教を肯定しやうと否定しやうと、教団に寄進してもしなくても、善行を行はうが悪行を行はうが、信心のあり方とは全く関係がなく、救はれるか否かは神のみぞ知ることになります。さうであれば、確かに、宗教の絶対性、Godの絶対性は確立します。これは、パウロからアウグスティヌスを経て、カルバンの神学に受け継がれた思想です。

しかし、それでは、キリスト教を信じることは必要がなくなります。信じなくても地獄に堕ちるか否かは解らないし、信じても天国に行けるか否かも解らないからです。「信じる者は欺される」ことにもなります。


この予定といふのは、「予定は未定」といふ意味での予定ではなく、予め既に決定されてゐるといふ意味での予定なのです。「予定の変更」といふことは形容矛盾であつて、あり得ないことなのです。


親鸞は、歎異抄の第三条で、「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」と語つてゐます。その意味は、善行を積み、修行し、自力で浄土に赴かうとする善人ですら、阿弥陀仏に救はれ、往生を遂げることができるのに、自力で何かをすることも信心する気持ちもない悪人が往生を遂げることができないはずはないといふのです。


これは、見事と言つてよいほどの逆説のレトリックです。


「努力したひとは往生できると思はれる。ましてや、努力しない人は努力した人以上に往生できる。」と聞けば、誰が努力しようと思ひますか。


善人のすべて往生を遂ぐのではありません。しかし、善人以上に悪人は往生を遂ぐといふのですから、悪人の方が往生を遂ぐ確率が高いといふことです。


しかし、この言葉は、善人でも悪人でも区別なく往生できるとして、悪人が信心することを奨めるには持つて来いの殺し文句です。

このやうに説明すればみんなが目覚めて努力するやうになり、それが信者を獲得する方便に使はれるのです。


親鸞の師匠の法然は、「念仏為本」と説き、称名念仏を広めましたが、親鸞は、その後、「信心為本」を説きました。称名念仏をすれば救はれるといふのが法然、称名念仏をしなくても信心を得れば救はれるといふのが親鸞の教へです。


いづれもそれは、意識的に念仏をするとか、意識的に信心を得るとかといふ知情意の世界のことです。生まれたばかりの赤子や知的障害者には、その意識が持てないので除外され救はれることはないとするのです。

聾唖者は念仏を唱へることはできませんが、信心を得ることはできます。ですから、聾唖者は法然では救はれませんが、親鸞では救はれます。浄土門の世界では、ただそれだけの違ひです。しかし、赤子のままで死んだ人、知的障害者は、法然も親鸞も救はれないとすることになります。


こんな教へは、究極の身障者差別思想です。

そして、極端なまでの個人主義なのです。


親鸞は、『歎異抄』第五条で「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。」と述べてゐます。


いろいろと理屈を述べてゐますが、念仏は父母の孝養にはならないもので、自らの行ふ念仏の効力は父母の孝養には及ばないといふことです。普通ならば、父母の孝養として、念仏をして追善供養により父母を成仏させることを子孫は願ひますが、念仏はあくまでも自分自身のためだといふ究極の個人主義宗教なのです。


ところで、念仏するとか、信心を得るといふとか、そして、祈ることは、すべて自力です。そんなことを教義の本質(為本)とすることは、「絶対他力」ではありません。絶対他力といふのであれば、念仏も信心も捨てることです。さうであれば、赤子も知的障害者も救はれます。

しかし、さうすれば、教団は立ち行かなくなります。


阿弥陀如来の立てた衆生済度の「本願」は、衆生がなすべき自力を求めてゐません。阿弥陀如来を罵る衆生でも救済するのが「本願」です。さうであれば、称名念仏を行ふことも信心を持つことも不要です。そのやうな努力は「自力」であり、絶対他力ではありません。京都市左京区に「百万遍」といふ地名がありますが、称名念仏を百万遍行たことが地名の由来です。百万遍も行ふのは、立派な「行」であり難行道であつて、易行道ではありません。


江戸時代中期の富永仲基が『出定後語』で説いたやうに、大乗経典は、釈迦が没して約500年後に成立したもので、これは釈迦の教へではありません。

いろんな人の考えへや手が加はつてゐます。経典には相互に矛盾することが説かれてゐますが、それは多くの人の創作の集大成ですから無理もありません。

その一つや二つの極限られた経典を金科玉条の教へとして組み立てられた各種の仏教には、啓示宗教の強みと弱みがあります。


法然も親鸞も、そして、これまでの仏教宗派の創始者も、大乗経典の出自を知らずに無批判にその説かれてゐることが釈迦の教へであると素朴に信じたのです。やはり「信じる者は欺される」のです。


親を捨て、子を捨て、妻を捨てた釈迦は、仏教の創始者にならうとしたのではありません。生涯修行者であり説法者として、サンガ(僧伽)を率ゐたのです。厳しい戒律を守つて禁欲に修行を真剣に続けることで人々に説法の真実さを伝へやうとしたのです。


誰も破戒僧を尊敬することはないのです。


これは、『國體護持総論』の第一章に述べたことですが、江戸後期の農政家である二宮尊德の口述(『二宮翁夜話』日本経営合理化協会出版局)によれば、二宮翁は、親鸞の肉食妻帯は卓見ではないかとの意見に対し、「それはおそらく間違つてゐるぞ。」として、仏道を田んぼの用水堰に喩へ、「用水堰は、米をつくる大事な土地をつぶして水路としたものだ。仏道といふものは、人間の欲をおさへ釈迦の法を水路として世を救はうとする教へであることは明らかなことだ。人間には男女があつて結婚して相続していくものだから、男女の道は天然自然のものなんだが、この性欲といふ欲をつぶして仏法の水の堰としたんだよ。男女の性欲を捨てれば、それに伴ふ、おしい、欲しいの欲も、憎い可愛いといふ迷ひも自然に消えてなくなるんだ。・・・それなのに肉食妻帯をゆるしておいて仏法を実践せよといふのは、ちょうど用水路をつぶして稻を植えよ、といふのと同じじゃないか、とワシはひそかに心配して為るんだよ。」と答へてゐます。まさしく卓見なのです。


法然は、時の関白・九条兼実の庇護を受けるため、兼実が浄土門の信仰を固めるため、聖俗の区別なく浄土に行けるのであれば、その証として法然に肉食妻帯を奨めたのですが、法然はそれを嫌つて、弟子の親鸞にそれをさせることを命じたのです。

親鸞の肉食妻帯といふ破戒は自発的なものではありません。戒を守るのが僧であるにもかかはらず、破戒をすれば僧ではなくなり、俗になります。親鸞は法然の命令とは言へ、大いに悩んだことでせう。


そして、破戒を決断したのです。決して、自発的にしたのではありません。親鸞は浄土真宗の開祖ではありません。宗祖と呼ばれますが、浄土真宗は蓮如の教へ、蓮如教なのです。親鸞は、最後まで破戒坊主の末路がどうなるのかを悩んでゐた思ひます。一生涯真摯に悩み続けた人でした。

そして、親鸞の妻・恵信尼に宛てた娘の覚信尼の手紙には、親鸞が病気のために苦しみながら亡くなつたことから、そのやうな臨終で、本当に浄土に往生されたのかとの心中の不審を語つてゐるのです。


ところが蓮如教は、親鸞の肉食妻帯を自発的、意欲的に行つたかのやうに歴史を改竄し、親鸞の迷ひを全否定します。


仏教に限らず、教団維持の論理といふのは、これほどまでに非情なものなのです。

南出喜久治(令和4年4月1日記す)


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