典範奉還

 

弁護士 南出喜久治(平成二十九年七月二十八日記す)

 

一 皇室典範とは何か

 

 皇室典範とは、伝統的に紡がれてきた皇室の家法のことです。これまで、皇室のことは皇室自らがお決めなさるといふ、自治と自律によつて培はれた皇室の掟(典範)のことなのです。

 我々の家族にも、家訓とか家法があるやうに、これらを定めるのは、その家族が決めることであつて、他人が口出ししたり干渉したりすることはできないはずです。ましてや、皇室典範は天皇家の家法ですから当然のことです。

 

二 宮務法と国務法の区別

 

 我が国には、古来より、「宮務法」と「国務法」といふ法体系の区別があります。

 明治期以降のことに限つて説明しますと、「宮務法」といふのは、正統な『皇室典範(明治典範)』の外に、『皇室祭祀令』、『登極令』、『皇族身位令』、『皇室親族令』、『皇室財産令』、『皇統譜令』、『皇室儀制令』、『皇室裁判令』やその他の慣習法からなる皇室に関する総合的な法体系のことです。

 また、国務法といふのは、『大日本帝国憲法』(帝国憲法)の外に、『古事記』、『日本書紀』、その中にある『天津神の御神勅(修理固成)』、『天照大神の三大御神勅(天壤無窮、寶鏡奉齋、齋庭稻穗の各御神勅)』、『神武天皇の御詔勅(八紘為宇)』、聖徳太子の『憲法十七條』、『推古天皇の御詔勅(祭祀神祇)』、さらに、『萬葉集』、『船中八策』、『五箇條ノ御誓文』、『神器及ヒ皇靈遷座ノ詔』、『勤儉ノ勅語』、『陸海軍軍人に賜はりたる勅諭(軍人勅諭)』、『教育ニ関スル勅語(教育勅語)』、『義勇兵ヲ停メ給フ勅諭』、『戊申詔書』、『施療済生ノ勅語』、『青少年学徒ニ下シ賜ハリタル勅語』などやその他の慣習法からなる国家統治に関する総合的な法体系のことです。

 

 このやうな区別を踏まへて、宮務法体系を構成する正統な皇室典範と、国務法体系を構成する帝国憲法のことを、まとめて「典憲」と呼んでゐます。

 

 そして、この「典」と「憲」の関係について、帝国憲法第七十四条は、「皇室典範ノ改正ハ帝國議會ノ議ヲ經ルヲ要セス 皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ條規ヲ變更スルコトヲ得ス」と規定してゐます。

 

 つまり、「典」を基本とする宮務法体系と「憲」を基本とする国務体系とは、それぞれ独立して相互に不干渉な関係であり、ともに国家の最高規範であるのです。

 

三 祭祀大権と統治大権の区別

 

 また、もう一つ重要な分類があります。それは、祭祀大権と統治大権の区別です。

 帝国憲法には、第一章の天皇条項に多くの天皇大権が規定されてゐますが、これらはいづれも統治に関する大権です。

 ところが、天皇が天皇であるための天皇祭祀(神宮祭祀、宮中祭祀)を主宰する大権につきましては、帝国憲法には明文の規定がありませんが、帝國憲法の憲法発布勅語にある「祖宗ニ承クルノ大権」に含まれるもので、これまでの歴史伝統から紡がれた規範としての國體の内容として当然のことなのです。

 「やまとことのは」で言へば、統治大権は「うしはく」であり、祭祀大権は「しらす」として区別されます。

 

 天皇がなされる天皇祭祀による祈りは、まさに祭祀大権による「知らし召す」ものであり、これは、憲法改正の発議大権と同様に、天皇の一身専属権(帝国憲法第七十五条)であつて、この祈りこそが天皇の天皇であることの所以であることが、後に述べる今上陛下のおことばから窺ひ知ることができるのです。

 

四 占領典範の性質

 

 しかし、GHQの完全軍事占領下の昭和二十二年に制定されたとする現在の「法律」としての「皇室典範」(占領典範)は、法規名称を偽装したニセモノです。

 そもそも、GHQの完全軍事占領下の非独立時代に制定されたとする日本国憲法(占領憲法)の第一条で、「この(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあり、主権者様であらせられる「国民」といふ「ご主人様」の下に仕へる家来として「天皇」を位置づけてゐるのです。

 そして、第二条では、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを承継する。」とあり、占領憲法下で制定された「皇室典範」(占領典範)といふのは、皇室の家法ではなく、単なる「皇室統制法」ないしは「皇室弾圧法」に過ぎないのです。

 ところが、これまで通りに国民を欺く目的によつて、あへて「皇室典範」といふ法律名称を偽装して占領憲法第二条に表記して制定したのです。

 このやうな皇室制度は、神話に煙る我が国の一視同仁の歴史において、極めておぞましい異形を晒してゐることになります。

 

五 我が国の独立と占領憲法

 

 占領憲法第九条第二項後段には、「国の交戦権は、これを認めない。」とあります。

 この「交戦権」(right of belligerency)とは、帝国憲法第十三条に定める天皇の宣戦大権及び講和大権のことであり、アメリカ合衆国憲法における「戦争権限」(war powers)のことです。

 これは、戦争を開始(宣戦)して戦闘行為を遂行又は停止(統帥)し、最終的には講和条約によつて戦争を終結(講和)する権限のことであり、いはば火器を用ゐる外交権の総称です。

 それゆゑ、非独立時代に制定されたとする占領憲法が、仮に「憲法」であるとすれば、交戦権のない占領憲法ではサンフランシスコ講和条約を締結することはできないことになります。

 この講和条約の第一条には、「日本国と各連合国との間の戦争状態は、・・・この条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。」とありますので、占領憲法は戦争状態下で制定されたことになります。そして、この時点でも帝国憲法が「憲法」として現存してゐたがために、天皇の講和大権に基づいて我が国は講和して独立を回復できたのです。なぜなら、帝国憲法第十三条には、「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」と明記されてゐるからです。

 

六 占領憲法の無効性

 

 占領憲法が憲法としては無効であることについては、谷口雅春先生のご見解のとほりですし、私も含めて多くの人がその根拠を示してをりますので、ここでは省略しますが、一言だけ申し上げると、帝国憲法が現在も生きてゐるといふことは、論理的に、帝国憲法は改正されてゐないことになります。

 その結果、帝国憲法の改正法とされてゐる占領憲法は、改正憲法としては無効であることを意味することは当然のことです。

 また、占領憲法が帝国憲法の改正法ではなく、新たに成立した「革命」による憲法だといふ見解がありますが、そもそも革命といふのは、国家の自律的な政治変革ですから、GHQの完全軍事占領下の非独立状態での革命といふことはあり得ません。革命があつたといふのであれば、GHQの軍事占領を排除して独立を成し遂げるといふ事実がなければなりませんが、そんな事実は欠片もありませんでした。つまり、革命といふのは、学者の机上の空論による全くの幻想なのです。

 そして、帝国憲法が現在も生きてゐるといふことは、革命は不成功であり、革命憲法も成立してゐないといふことなのです。

 

七 占領典範の無効性

 

 帝国憲法と先帝陛下のお陰で講和して独立を回復した我が国において、どうして伝統的に継承されてきた皇室の自治と自律による皇室典範まで奪つてしまふのでせうか。

 これは、まるで火事場泥棒のやうな敗戦利得者が皇室を弾圧して占領憲法と占領典範を制定したのです。これほど不敬不遜なことはなく、万死に値する暴挙なのです。

 占領典範は、歴史的に考察すれば、徳川幕府による皇室不敬の元凶である『禁中竝公家諸法度』や『禁裏御所御定八箇條』と同じ性質の皇室弾圧法です。

 明治の皇室典範(明治典範)では、諮詢機関として「皇族会議」があり、「成年以上ノ皇族男子ヲ以テ組織」されてゐますが、占領典範では、皇族会議を廃止して皇家の自治と自律を奪つた上、決議機関として「皇室会議」を設置しました。

 その「議員は、皇族二人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人」の十人とし、皇族議員は十人中たつた二人に過ぎません。これによつて皇室から自治と自律を奪つて監視するのです。皇族は二人だけで、残りの八人が非皇族で構成される「皇室統制会議」に過ぎないのに、これを「皇室会議」といふ名称にするのも名称偽装であり、そこまでして国民を欺き続けてきたのです。

 いづれにせよ、占領憲法が憲法として無効であることから、その無効の占領憲法を根拠として制定させたとする占領典範も無効といふことになります。親亀こけたら子亀もこけるのです。

 

八 今上陛下の「おことば」

 

 このやうに、占領憲法も占領典範も無効である状況において、我々は、今上陛下の「おことば」に刮目する必要があります。

 平成二十三年三月十六日の「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」は、政治の混乱と行政の立ち後れを見事に救つていただいた「緊急勅令」でした。帝国憲法第八条第一項には、「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ敕令ヲ發ス」とあるからです。

 先帝陛下は、大正十年十一月二十五日から大正天皇が崩御されるまで、大正天皇の摂政宮でしたが、大正十二年九月一日には、関東大震災が起こり、摂政宮が緊急勅令大権に基づき緊急勅令を煥発されて、国家の窮状を救つてゐただいたのと同様に、今上陛下もまた東日本大震災後の緊急勅令を煥発されたのです。

 そのおことばの中に、「自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います。」とあります。

 自衛隊は、誰が判断しても軍隊であり、占領憲法が憲法であれば憲法違反であることは明らかです。学説上も違憲であるとの見解が多数説で、この論争は政治的な重要な争点となつてゐます。

 占領憲法第四条第一項には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とありますので、今上陛下が真つ先に「自衛隊」の名前を挙げて慰労されるのは、自衛隊に関する論争があることを無視されて言及されたことになり、「国政に関する権能」を行使されたことになります。

 

 また、平成二十八年八月八日の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」においても、「即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。」と述べられ、さらに、「日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。」とされました。

 前にも述べましたが、占領憲法第四条第一項には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とありますので、天皇の行為は国事行為「のみ」に限定されてゐますので、「象徴的行為」なるものは認められず、占領憲法の厳格な解釈からすると、そのやうな行為を天皇が行ふことは違憲であるとする見解もあります。

 ですから、このことを容認する前提での「おことば」も、やはり国政に関する権能を行使されたことになるのです。

 

 しかし、これらのおことばに対しては、誰からも憲法違反であるとの批判がなされませんでした。今上陛下があへて憲法違反であることを認識してなされるはずはないことからすると、我々は、占領憲法は「憲法」ではなく、占領典範も無効であるといふのが御叡意であると受け止めなければならないのです。

 

九 臣民の道

 

 ところで、今上陛下は、昨年のおことばの中で、公務の軽減を求められたことも、譲位のご意向があるといふことも一切述べてはをられません。にもかかはらず、政府は、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置し、このおことばを無視する方向で検討を始め、最終的には、今上陛下の退位等に関して占領典範の特例を定めた「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を制定させ、今上陛下の退位とその時期について政府が決めることとなり、譲位を強制することになりました。

 なんといふ不遜、不敬極まりないことでせう。

 

 この度の今上陛下のお言葉を忖度すれば、我々臣民に残された道は一つしかありません。臣民の分際で、典範に容喙することは絶対に許されないのです。

 その残された道は、「典範奉還」を実現すること、すなはち、皇室に自治と自律を回復していただいて、皇室の家法としての正統なる皇室典範をお定めいただくことしかないのです。

 

 この度の今上陛下のおことばに秘められてゐる御叡慮は臣民には計り知れない深奥なるものがあるはずです。おそらく、明治典範に復元された後に、さらにそれを歴史伝統に基づいて改正されることを示唆してをられるのだと推察いたします。

 

 占領典範第四条には、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」とあり、これは、明治典範第十条の「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」を受け継いだものです。この規定は、実のところ、明治政府が譲位を禁止するやうに容喙して宮務法を歪めた結果なのです。これまでの宮務法では、「譲位」の制度があり、上皇と天皇との権威が分裂して政争の種になつた歴史があつたことから、明治政府の不満分子が退位した上皇を担いて内乱となる危険があるとして、譲位の制度を認めなかつたのでした。結果論ですが、もし、明治典範に譲位が禁止されてゐなかつたとすれば、西郷隆盛をこよなく信任されてゐた明治天皇が西南戦争を契機として譲位されることもあり得たのでした。

 

 しかし、今上陛下は、現代ではそのやうな危険はないと判断してをられるか、あるいは譲位が維新回天の契機となつてきた歴史の智恵を守るために、譲位を示唆され、伝統的な宮務法に復元しようとのお考へなのかも知れません。

 明治典範が譲位を禁止したのは、その点において皇室の自治と自立を制限してきたものであり、さらに、それ以外のすべての事柄について皇室の自治と自律を完全に奪つたのが占領典範であるとご認識されてをられることは確かだと思ひます。

 ですから、皇室の伝統的復権を願つて、この度のおことばを煥発されたのです。

 

 従つて、我々が、占領典憲の無効確認を行つて帝国憲法の復元改正への道筋をつけると同時に、皇室に正統典範を奉還して皇室の自治と自律を回復して改正していただくといふ伝統保守の王道を歩めないのであれば、それは「保守」ではありません。

 

 仮に、どうしても占領憲法を前提としたいといふのであれば、第一条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあるのを、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である。」として後段を削除し、さらに、第二条の「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」とあるのを、帝国憲法第二条の「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」に依拠して、「皇位は、世襲のものであつて、天皇の定める皇室典範に遵つて、これを継承する。」と改正する以外はありません。

 

 また、仮に、占領典範を前提とするとしても、皇室の自治と自律を保障するために、占領典範第四条の「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」を限定的に解釈して、天皇の御叡意による譲位は、この限りではないと解釈されるべきです。この規定は、崩御は天皇の意思を介しない事柄なので今上による皇嗣への譲位の意思表示がなく、崩御と即位との間に時間的間隙(空位期間)が生まれることを防ぐためのものと解釈できるのです。皇統連綿といふのは、その時間的間隙がないことを意味しますので、崩御の場合に限つて必要な規定なのです。ですから、この反対解釈として、譲位の場合は皇統連綿における時間的間隙がありませんので、今上の御叡意によつて自由になされればよいのです。

 

 ところが、今回成立した「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」は、政府が勝手に取り決めた時期に、今上を「強制退位」、「強制譲位」させるといふものであり、この度の今上のおことばを無視し、皇室の自治と自律を完全に奪ふといふ最悪の結果になりました。

 退位の恒久法であらうが臨時法であらうが、政府が退位の時期を勝手に決めることは、そもそも無効なのです。

 

 このやうなことすら主張できない人たちは、保守の仮面を被つた天皇否定、天皇褒め殺しを狙ふ左翼以外の何者でもありません。