國體護持總論
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著書紹介

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實效性

似非「時效」の主張は重ねて云ふに及ばず、また、「既成事實」の正體は、違法な實力(暴力)の連鎖的繼續状態であつて、これが法創造の原動力たりえないことは前述したが、それに加へて、國民の意識が定着したとする點については、むしろ次のとほり、逆に「不定着」の事實が繼續してゐることを指摘したい。

すなはち、交戰權を持たない占領憲法は制定及び施行の時點において、「戰爭状態」であり、既に當初から實效性がなく、效力がなかつたことは既に述べた。さらに、附言すれば、第二章でも明らかなとほり、占領憲法の要諦である第九條が、假に當初は實效性を保つてゐたとしても、その期間は、施行された昭和二十二年五月三日から昭和二十五年七月八日までの僅か三年餘に過ぎないことに留意すべきである。つまり、昭和二十五年七月八日は、マッカーサーが、朝鮮戰爭を契機として警察豫備隊七萬五千人の創設と海上保安廳八千人增員を許可したときであり、このときから再軍備が實現し第九條の實效性は否定された。そして、同年十月には、米軍の上陸作戰を支援するため、海上保安廳の掃海隊が朝鮮半島沖の機雷處分に投入された。これは、戰闘地域での日米作戰の合意に基づくものであつて、同月には海上保安廳の掃海艇一隻が機雷に觸れて沈没し、十八人が重輕傷、一人が死亡(戰死)した。そして、灣岸戰爭、カンポジアPKO、イラク戰爭などを經て、完全に第九條は死文化し、再軍備が國際的に認知された。イラクのサマーワが戰闘地域か否かといふ議論は、過去の歴史的事實を知らない者の戲言であり、空虚で欺瞞に滿ちたものに過ぎないのである。

それゆゑ、占領憲法第九條は、再軍備の實現によつて憲法としての實效性を既に喪失してゐると評價される反面、この再軍備の實現は、逆に帝國憲法第十一條の實效性が復活(繼續)して現在も存續してゐるものと評價できる。また、第九條以外の占領憲法の各條項について實效性があるとされる事象についても、それは同時に、概ねこれに對應する帝國憲法の各條項によつても説明できるものである。これは帝國憲法の實效性が繼續してゐることの證明となるのであつて、未だに帝國憲法はその實效性を喪失してゐないことになる。

つまり、帝國憲法は法としての妥當性と實效性が存在し、占領憲法にはそれがいづれも備はつてゐないので、憲法としての效力を有してゐるのは帝國憲法しかありえないといふことである。

附言するに、そもそも定着有效説が、國民の意識として「定着」したといふ點も單なる虚構にすぎない。この「定着」については世論調査などに準據するといふのであるが、そもそも世論調査なるものは、その目的、項目、對象、範圍などにおいて恣意的な要素が入りやすく、世論誘導の手段として用ゐられてゐることは公知の事實である。にもかかはらず、この世論調査等を根據として國民の意識なるものを推定することは統計學的な正確さを備へてゐない危うい言説である。

さらに、世論調査に準據するとしても、本書で述べるやうな占領憲法の生ひ立ちを詳しく説明した上で世論調査がなされたことは一度もないのであつて、この定着有效説は、このこととの關連において、次の重大な點を缺落させてゐる。それは、占領憲法制定時から現在に至るまでの「憲法教育」の實態についてである。義務教育に用ゐられる教科書には、占領憲法の出生の祕密を記載してゐないし、無效説の存在とその内容や論據に至つては全く記載されてゐない。檢定基準自體にもその項目がない。このやうな教育實態は、義務教育のみに限らず、その他の公教育や社會教育、家庭教育においても同樣であつて、現在もなほその状況は繼續してゐる。このことは、無效説を排除する思想統制が行はれ、占領憲法が「有效」であるとする洗腦教育であつて、その教育を受けた者が成人して國家の意思形成に參加したとしても、その意思形成は、詐欺、強迫の状態が繼續したことに基づくものであるから、この呪縛と強制から解放されない限り、「不當威壓」(undue influence)の法理は今もなほ適用され續ける。洗腦された者の多數決なるものは、「大衆の喝采」を擬制した全體主義國家の行ふ手法であつて、これを以て「定着」といふことは斷じてできないのである。

ましてや、占領憲法の改正手續について、その概要が明らかになつたのは平成七年になつてからである。平成七年になつて衆議院憲法改正委員會小委員會の議事録の公開がなされ、小委員會とは名ばかりで、單なる英文の「翻譯委員會」に過ぎないことが初めて明らかになつたのである。これでは、それまでの事情を根據とする全ての後發的有效論が成り立ち得ないといふことになる。

それゆゑ、占領憲法の制定經過事實が記載され、占領憲法の效力論爭の存在とその内容について兩論併記された教科書による教育(眞の憲法教育)がなされて教育の正常化が實現し、このことが遍く周知された状況になつた後でなければ、定着有效説はその論據の前提を缺くことになるのである。

また、この定着有效説については、これと「憲法變遷論」との關係で矛盾が生まれる。定着有效説は、つまるところ、「國民の歡迎と支持」があつたとするのであるが、憲法の變遷があるとする見解も、これと同じ論法を用ゐてゐる。憲法規定と現實とが齟齬を生じたとき、事實に規範力を認め、その事實の反復繼續に法の效力要件である實效性を備へた場合に、憲法(規定)が變遷して、改正されたと同等の效果があるとするのである。いはば「濳りの改正」である。しかし、法の效力要件としての妥當性については、どのやうな事態となれば妥當性が付與されるのかについては定かではない。ともあれ、この憲法變遷論と定着有效説とは、同じ基礎に立つために、反復繼續する事實の性質がどのやうなものであり、どの程度の反復繼續であれば、「定着」したと云ひ、あるいは「變遷」したといふのかが不明である。そして、同じ事象の事實について、一方では定着したと云ひ、他方では變遷したといふ相對立する判斷もありうるのである。たとへば、自衞隊と占領憲法第九條との關係で云へば、定着有效説では、自衞隊が存在する事實があつても、戰力不保持を含むこの條項が定着したとするのに對し、この事實を以て第九條は自衞隊の存在を容認して戰力(自衞力)保持へと變更(改正)されたと見る憲法變遷論もあるのである。

また、變遷論は、各條項毎で判斷するのに對し、定着有效説は、おそらく占領憲法全體が定着したか否かであり、各條項毎に判斷はしないものと思はれる。さうすると、各條項毎に定着の程度が異なることは容易に想像できるにもかかはらず、一律に定着したか否かを判斷するといふことは、餘りにも荒すぎる議論である。その意味では、各條項毎に變遷したか否かを判斷する憲法變遷論の方がまだ良心的な理論であると云へる。

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