各種論文
トップページ > 各種論文目次 > H11.07.21 鳴門事件の意義と教訓2(続き)

各種論文

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ

前頁へ

続き

七 本訴事件の第一回口頭弁論

平成十一年二月二十四日午後三時に指定された本訴事件の第一回口頭弁論期日においても、仮処分異議事件の第一回口頭弁論期日と同様の、否、それ以上の過剰警備がなされていた。「まるでオウム事件みたいや」という声も聞こえた。私の知見からずれば、東京地裁でもこのような過剰警備はしない。これは、オウム事件以上の取扱いである。

まともな回答がなされないことを知りながらも、職員に尋ねてみた。「どうして再びこのような過剰警備をするのか」と。すると、職員は、「前回は路上で混乱が生じたからだ」と説明した。これには、呆れてものが言えなくなった。前回の路上での混乱は、裁判所が道路使用許可も受けないで違法な措置をとったこと以外に何らの原因はなかったからである。己の影に脅えて、再びこのような過剰警備を行なうことを恥じない裁判所に、もはや公正な裁判を求めることが無理かもしれないと感じ、徹底抗戦の意思を固めた。

そして、口頭弁論の冒頭において、私は、裁判官全員(合議体)を忌避する申立を行なった。その理由は、平易に表現すれば、大きく別けて二つある。一つは、過剰警備を再び行なうことの意図は、両氏に対する予断と偏見に基づいていること。もう一つは、仮処分異議事件の審理と同一の裁判官が本訴事件を審理し、しかも、仮処分異議を申し立ててから現在まで四ヶ月以上、仮処分異議事件の審理が終結してから現在まででも二ヶ月以上、経っているにもかかわらず、仮処分異議決定を行なわない著しい怠慢があることである。

そして、その理由について、詳細に口頭で述べつつ、次の点も付け加えた。

もし、このような仮処分申請が部落解放同盟や朝鮮総連などの団体を対象としてなされた場合、裁判所は、審尋すら行なわずこのような決定を下ろすか。また、このような理不尽な言論弾圧に決定に対して、数ヶ月も経つのに未だ決定がなされないという理由はどこにあるのか。これは、少しでも決定を遅延させることが鳴門市側に有利となることを知っているからに他ならない。このように、鳴門市側に一方的に加担するような裁判所では、公正な裁判は全く期待できない。反日左翼には、完全な人権が認められ、その濫用も認められるが、我々には、人権は悉く否定される。このような「差別問題の差別的取扱い」や「人権保護の階層差別化」を断じて許すべきではない、と。

ともあれ、この本訴事件は、忌避申立の判断が確定するまで、休止することになった。

八 仮処分異議決定

ところがである。この期日が終わった直後、裁判所は、仮処分異議決定を出した。その内容は、禁止範囲が鳴門市役所と山本市長の自宅から一定の距離に限定したものであり、その他の者の申請は全て却下するというものであった。

しかし、例え一部取消の決定であっても、仮処分が一部でも認容されいることは承服できない。所払いの範囲が縮小限定されたに過ぎない。しかも、裁判所は、憲法判断を回避し、この問題が表現の自由の根幹に関わる問題であるとの意識が欠落していた。

そこで、このことを鳴門市民やその支援者に、裁判所の前で報告集会を開いて説明し、直ちにこの決定に対して異議を申し立てること(保全抗告)を表明した。

前に述べた朝日新聞の記者は、この一連の事件を終始傍聴し、再び取材を申し込んできた。集会にも出席したこの記者は、記者の意地にかけてこの事件を報道したいと我々に約束したので、協力に応じることにした。鳴門市側に取材しても、仮処分申請書すら見せてくれなかったということであり、我々も鳴門市側の異常な対応を知り、全ての書面や情報を提供した結果、翌二月二十五日の朝日新聞朝刊(地方版)に、この事件の内容を伝える比較的客観的な記事が掲載されたのである。

九 新市長の誕生

その後は、いよいよ統一地方選挙として、四月二十五日に投票が行われる鳴門市の市長選挙が始まった。かねてから、立候補を表明していた現職の山本市長と、元県議の亀井俊明氏の一騎打ちということであった。反対住民側では、当選可能な独自候補の擁立はできなかったが、ゴミ処理場建設にからむ山本市政批判の一点に絞った和田恒一氏が立候補して、市長選挙を戦った。

その結果、現職の山本幸男氏の票数が一二、〇五三票であったのに対し、亀井氏は、その二倍以上の二六、四八〇票という結果で、山本氏が落選し、亀井新市長が誕生した。ちなみに、和田氏は、四六一票であったが、選挙を通じて、圧倒的多数の鳴門市民から強い共感と連帯を育んだことは、我々の運動の華々しい成果の一つである。

十 高松高裁における保全抗告事件の審尋

山本氏落選後の六月八日午後三時には、高松高等裁判所で、仮処分異議決定に対する保全抗告の審理がなされた。公開の法廷での審理ではなかったため、高松高裁に駆けつけた鳴門市民や支援者には、裁判所庁内への立ち入りすら許されなかった。しかし、正面右手の構内に仮設の待合所が設けられ、そこに鳴門市民や支援者は待機していた。

そして、私と両氏の三名だけが庁内に案内され、法廷に入った。傍聴者がいないため、警備は徳島地裁ほどではなかったが、それでも一般の訪問者を一切締め出し、職員の殆どが警備を担当するという物々しさである。

私は、今までの総括的な意見陳述を行ない、両氏もそれぞれ堂々とした意見を述べたのに対し、鳴門市側は、一切意見陳述を行なわなかった。私は、既に鳴門市民の審判が下った以上、速やかに審理を終結して仮処分を取り消すべきことを強調した。主を失った代理人らに精彩はなかった。

その後、鳴門市民や支援者が待機していた待合所に戻り、その報告を行なうとともに、これからも住民運動を継続し、新市長にこの事件とゴミ処理問題をどのように対応するのかという政治姿勢を糺し、速やかにこの事件を取り下げて終結させるよう、住民代表らが強く勧告する方針を確認した。

十一 鳴門市側から全事件の取り下げ

そして、その成果が実って、去る七月十五日に、鳴門市側から、全事件を取り下げる旨の取下書が提出され、我々はこれに同意した。本来ならば、判決によって決着をつけるべき事案ではあるが、裁判所の対応に重大な疑問があることに加え、山本前市長の行なったこの事件自体については、亀井新市長の直接的な責任はない。しかも、ゴミ処理場問題を白紙撤回し、住民参加の「対話行政」を公約として当選した亀井新市長に期待するところは大きく、取り下げの決断を高く評価したからである。

十二 結び

このように、鳴門事件は、我々の実質的な完全勝利で終結した。しかし、そもそも、このような事態に遭遇するのは、我々の周りに、不純な動機や不正な方法で行なう糾弾活動が存在し、我々の純正な活動がこれと同視されてしまうという環境にあるからである。我々は、さらに一層、襟を糺し、尊皇愛国運動に邁進せねばならない。ときには、似て非なるものを糾弾することも覚悟せねばならないだろう。それにしても、私は、両氏の揺るぎ無い信念と真摯な努力に敬意を表したい。この取り組みは、我々のこれからの活動にとって、一つの道筋と光明を与えてくれた。我が民族は、謝罪要求の外圧やこれに媚びを売る売国の嵐の中で、徐々にではあるが、着実にその真価に目覚めるようとしている。そのような状況にあって、ときとして一人よがりであった我々の運動が、環境問題を語る住民との連帯の中で拡大し、民族意識が覚醒しようとする大きな地殻変動のうねりを感じるからである。我々は、まだまだ力不足ではあり、特定の人物を当選させる力は備わっていないとしても、特定の人物を落選させる力が身についてきたことを自覚して、この鳴門事件をこれからの運動の教訓にしたいと思う。

平成11年7月21日記す 南出喜久治

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ