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海洋国家の防衛

平成13年12月22日に東シナ海で海上保安庁が追撃し船体射撃して撃沈させた不審船事件について、中国人民解放軍機関紙「解放軍報」は、同月31日、海上保安庁巡視船の発砲を「正当防衛」とする日本政府の立場を否定し、日本の「軍事強国」化に警鐘を鳴らす論文を掲載し、追撃、撃沈の法的根拠がなく、専守防衛の戦略方針に反すると主張した。これに同調する国内の学者や評論家も多く、民主党の菅直人幹事長も「相手が射撃後の射撃は正当防衛だが、(その前の)排他的経済水域で威嚇して停船させるための射撃は正当防衛とは意味合いが違う」とするのであるが、結論を云へば、我が国の内外で結成された反日勢力によるこれらの主張は、現行憲法が有効であることを前提とすれば、残念ながらこれを認めざるを得ない。

蓋し、海上保安庁法第25条によれば、「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」とあり、軍隊でないはずの海上保安庁の巡視艇が、大口径の機関砲を撃つて不審船を撃沈させることには法制度上の問題がある。また、自衛隊法第80条(海上保安庁の統制)第1項には、「内閣総理大臣は、第76条第1項(防衛出動)又は第78条第1項(治安出動)の規定による自衛隊の全部又は一部に対する出動命令があつた場合において、特別の必要があると認めるときは、海上保安庁の全部又は一部をその統制下に入れることができる。」とあり、同第2項には「内閣総理大臣は、前項の規定により海上保安庁の全部又は一部をその統制下に入れた場合には、政令で定めるところにより、長官にこれを指揮させるものとする。」とあるので、軍隊でない自衛隊の統制下に、同じく軍隊でない海上保安庁が組み入れられたとしても、あくまでも警察的な「正当防衛」を越えることはできないからである。さらに、自衛隊ですら、自衛隊法第82条(海上における警備行動)に「長官は、海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため特別の必要がある場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊海上において必要な行動をとることを命ずることができる。」との規定があるだけで、やはり「正当防衛」の枠を越えることはできないからである。

このやうに、「正当防衛」といふ警察権の枠を越え、自衛権の行使として追撃と撃沈を認める必要があるといふ「必要性」と、現行法制下でそれが可能かといふ「合法性(合憲性)」とは正反対に対立するのであり、この矛盾を見透かしたかのやうに、不審船引き上げに対して中共側から5億円か6億円の漁業補償費を請求してくるのであるが、これらの悪循環の根本原因はやはり現行憲法の存在それ自体にある。それゆゑ、これを根本的に解決するための唯一の方法は、現行憲法を無効とすることしか道はないのである。

ともあれ、中共が持ち出した漁業補償の前提となる「漁業権」なるものは、国内及び極東において防衛上の桎梏としてしばしば登場してくる。国際問題においても国内問題においても、これがあたかも平和のシンボルであるかのやうに。

しかし、この「漁業権」とは一体何者なのか。

 

明治8年、政府は、海面官有宣言を行ふと同時に、太政官布達により、海面の使用を希望する者に使用願ひを出させ、使用料を定めて借用させる海面借区制といふ制度を設けようとした。しかし、これは、江戸時代の幕府や藩主から慣習や論功により特権として認められてきた漁場利用の既得権を補償もなく奪ふことになるため、漁師の猛反対によつて、翌9年にはこの布達が撤回され、各地方で、水面を使用して続けられてきた漁場では、それまでの慣習に従ふ旨の新たな太政官布達が出された。その後、久しく慣習として認められてきた漁業権について、我が国は、明治43年に「旧漁業法」(法律第58号)を制定して、慣習上の「海の入会権(いりあひけん)」として、一定の漁場に制限し、海軍の水利権などとは競合・抵触させないものとしたのである。

ところが、GHQは、その占領下の昭和24年に、「旧漁業法」を廃止して現行の「新漁業法」(昭和24年12月15日法律第267号)を制定させ、漁業権を「物権」として認め、漁場制限を逐次解除して、その漁業権を領海全域、内水面全域にまで拡大させることを「民主化政策」の名の下で行つたのである。

しかし、アメリカでは、公用財産である内水面や領海(海区)に私的な権利である漁業権を設定することは否定されてゐる。アメリカでは、議会がアラスカ先住民に対してのみ漁業権を与へたが、その後、アラスカ州最高裁は、その漁業権付与を違憲とする判決がなされたのであつて、公用財産を私的に利用させる漁業権といふ概念自体が否定されてゐる。また、このことは、欧州においても同様で、オランダでは明確に漁業権は否定されてゐるのである。

漁業権を認めてゐないアメリカが何故に我が國の隅々にまで漁業権を認めたかと云へば、それは、我が國の報復戦争を極度に畏れたアメリカが、日本弱体化政策の一環として、帝国海軍の有してゐた海岸の水利権を奪ひ、これを全て漁師に漁業権として分割して与へ、これにより、軍港の再建設をするためには、法的に漁業権を収用する手続が必要となり、財政的にも漁業権の保障を余儀なくさせることによつて、再軍備を阻止しようとしたためである。そして、水上警察の施設建設も軍事的に転用しうるとの懸念から、全国津々浦々の内水面にも遍く漁業権を与へた。そのGHQの占領政策を承継した傀儡政府もまた、漁業権については特別の利便を与へ続け、漁業権を設定する対価の支払ひも免除し、さらに、特許権の特許料のやうな権利継続のための対価に相当する負担をも免除してゐる。つまり、漁業権は物権とされてゐるところ、その設定の対価を一切徴収せず、無償となつてゐる。地上権も物権であるが、地上権の場合は、設定の対価(地上権価格)を支払ひ、さらに、地代をも継続して支払ふ必要があることから比較すると、漁業権は、GHQの占領政策の残滓である不合理な特権として今もなほ維持し続けてゐるのである。

 

ところで、海洋国家である我が国の国防を考へるとき、そもそも海の産軍協同の視点を外してはならない。つまり、海洋国家の軍隊の役割は、海の道を経て国内へ物資を流入させる海運業と水産資源を確保する漁業が営む海域を守ることにあると同時に、これらの産業活動による国防に不可欠な海域情報を蒐集することにある。しかし、エネルギーと食糧の自給率を年々低下させて海外への依存度を高めてゐる我が国においては、いくら海の守りの軍備を世界最大級に増強したとしても、その軍事力だけでは最早その自衛可能な限界点を越えてゐるために、有事には深刻な事態を引き起こすことであらう。

このエネルギー安保、食糧安保の視点から、その自給率を高めることこそ、海洋国家の防衛論に不可欠な要素でありながら、現在の防衛論は専ら軍備(軍事力)のみしか着目されない点に我が国の防衛論の致命的な甘さがある。

我が國の食糧自給率は、供給カロリーベースによると、昭和35年で79%。昭和50年で54%。平成9年で41%(小麦9%、大豆3%)とされ、現在では30%程度となつてゐる。古い統計でも、遊休農地は11万7000haで、これは長野県全農地に匹敵する面積で、さらに、年々耕作放棄地が拡大してゐる。

では、どうしてこのやうに我が国は自給率を年々低下させてきたのであらうか。それは、ここにも日本再軍備の阻止を目的としたGHQの政策があつたからである。

今、本土決戦を想定した有事法制の審議がなされてゐるが、本土決戦のためには、まづ、自給率が高くなければならない。自給率が低ければ、海外に物資を依存することになるが、制海権も制空権も完全に奪はれた大東亜戦争の末期のやうな状況では、如何に精鋭部隊が本土を守らうとも、餓死といふ見えざる敵の前に全員玉砕せざるを得ない。

そのことを知り尽くし、我が国が報復戦争にいどむことを恐れたGHQは、余剰農産物の戦略兵器化構想を打ち立てる。通常の兵器は、それを使用することにより破壊し殺傷するものであるが、食糧戦略兵器は、食糧・飼料の供給を他に依存してゐる人畜に突然供給停止することにより根こそぎ餓死させるものである。そして、それは、MSA(Mutual Security Act)として、日米安全保障条約(旧条約)を独立と引き替へ締結して間もなく日米相互防衛援助協定の調印によりその目的を達成させるのである。これは、正式には、日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(昭和29年5月1日・条約第6号)と呼ばれるもので、これにより我が國は、一気に自給率を年々加速的に低下させる一方で、連合国は、逆に、自給率を年々高め、余剰農産物といふ名の戦略兵器を増産させていく。表向きは、西側陣営の国際的分業といふ美名の下に、我が国はこの謀略にまんまとはめられたのである。

そして、慶大医学部の林髞(タカシ)や朝日新聞の「天声人語」(昭和32年9月3日、昭和33年3月11日)など、GHQの手先となつた学者やマスコミを利用して、「コメを食べるとバカになる」といふデマのキャンペーンを大々的に展開し、独立後も学校給食は全てパン食にさせるなど、国民のコメ離れを強引に導き、遂に、昭和36年に「旧農業基本法」を制定させることになる。これは、選択的拡大と称して、食糧自給路線の放棄、国際分業の徹底といふ比較優位説(リカード)を高らかに歌ひ上げさせ、日本を引き返しのできない穀物輸入体質化へと追ひ込んだのである。

その後、アメリカは、この戦略兵器構想を我が国だけではなく、さらに、ソ連にも拡大させた。つまり、昭和47年、ソ連が凶作となり、それが今後慢性化すると予測したアメリカは余剰穀物をソ連へ緊急輸出し始めたのであつた。ところが、翌48年4月、今度はアメリカが異常気象による凶作となり、トウモロコシ、大豆がフメリカでは絶対的に不足した。その結果、食肉物価の高騰を招き、同年6月27日、アメリカは、大豆の我が国向けの輸出を停止したのである。この輸出禁止が長期化すれば、我が國から豆腐や醤油や納豆などは高騰し、最後には消えてなくなる。しかし、同年9月には、幸ひにも輸出停止が解除となり難を逃れたが、この事件は丁度、第一次オイルショックの時期と重なり、その陰に隠れて人々は殆ど話題にしなかつたが、これは、3%の自給率しかない大豆だけの問題ではなく、自給率が全般的な低いことが亡国への道であるとの深刻さを如実に物語るものであつた。異常気象や天変地変による農作物の凶作は今後ますます頻度を増してゐるからである。

我が國では、平成12年3月になつて、ようやく自給率の数値目標を設定しようとする「新農業基本法」が制定されるが、これとても単に数値目標を設定するだけで、その達成のための方策が全くないザル法である。はたして、これで食糧安保への道を歩み出すことができるのか、甚だ疑問である。

また、現在、世界では、農産物の遺伝子組み替へが問題として議論されてゐるが、一般に論じられてゐるこの問題意識にも食糧安保の視点からは大きなズレがある。確かに、食品の安全性とか健康への影響といふ問題は決して皆無とは云へないとしても、ターミネータ・テクノロジーが世界の食糧安保を危くする点こそが最大の問題なのである。このバイオ・テクノロジーは、種子会社が自社の種を生産農家に購入させ続けるために、生産農家がその種から種(第二世代)を得られないやうに、遺伝子の組み替へによつて第二世代を発芽させない技術を開発し、その特許を取得してゐることにある。これにより、世界の生産農家は、自家採取が不能となり、ひいては食糧の依存体質を固定化させることになるからである。

そして、現在ではさらに深刻な問題がある。つまり、低コスト牛肉(ハンバーガー用)は、世界の畜産農家を疲弊させ壊滅させ続けてゐるからである。低コスト牛肉を供給するには、牛に良質の飼料を与へ続ける飼育方法では絶対に不可能である。「放任放牧」でなければならず、牛1頭に付き1ha(100m四方)の放牧地が必要とされる。そのため、ブラジルなどの森林は伐採され続ける。ブラジルの牧場主はブラジル人ではない。ブラジルからアメリカ、日本その他の地域へ運ばれる。しかも、その価格は過当競争によりさらに値崩れし、生産農家をぎりぎりまで圧迫する。「ハンバーガー(牛肉)を食べればブラジルの熱帯雨林を破壊する。」として、ブラジル産の安価牛肉ハンバーガーのボイコット運動がベジタリアンが中心となつて展開されてゐるが、この程度では現代の過激な資本主義の猛威に抗することはできない。激安のハンバーガーを頬張りながら、環境問題を論ずるなかれ。「消費者保護」といふ得体の解らないデマ・スローガンに幻惑されて、着実に世界は荒廃し続けてゐる。

このことは、ハンバーガー牛肉だけではない。コーヒー豆についても同様である。安売りのコーヒーショップなどが世界に氾濫する姿は、生産農家の過酷な状況が蔓延してゐることをそのまま投影してゐる。生産農家は買ひ叩かれて、今や採算が取れない限界点に達してゐる。そして、その生産を止めれば、敗者となつて失業し、農地の荒廃が待つだけである。それだけではない。次は、生きるために、リスクを覚悟でケシ栽培を始める。コーヒーの銘柄と同じ名前の麻薬があるのは、このためであつて、例へば、タイ北部の山岳地域で、その昔、ケシ栽培に代はる転換作物として国連によりコーヒー栽培が奨励されたが、今では、再び逆戻りしつつある。世界の農業は、こんな商業主義の猛威の前に破滅の道を歩み続けてゐると云つても過言ではない。

 

我が国は、大東亜戦争の敗戦後も更なる敗戦を重ね続けた。それは、極東国際軍事裁判の受容と現行憲法の制定といふ二大決戦に敗れ、占領中に張り巡らされた「漁業権」といふ機雷を除去できないままである。そして、世界有数と云はれる自衛隊の軍備さへも全く無力化させる連合国の食糧戦略兵器の前、食糧自給率の低下といふ度重なる敗退を余儀なくされてゐる。

食糧とエネルギーの自給率を低下させ、国際分業を徹底することによつて生まれるものは、マルクスのいふ窮乏化理論が世界的次元で拡大し貧富の乖離が一段と加速し、世界を不安定化させることでしかない。今こそ、自立再生経済理論を以てこの過激な資本主義に立ち向かひ、我が国の安全保障と世界の安定を目指すことが刻下の急務なのである。

平成14年8月12日記す 南出喜久治

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