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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第三十二回 方向貿易理論 その五

かぶかはせ かかはりのない くらしにも おほひかぶさる だきつきおばけ
(株(株式、債券)為替(国際為替)関はりのない暮らし(社会生活)にも覆ひかぶさる抱き付きお化け)


(承前)


リカードなどに始まる自由貿易と徹底した分業によるグローバル体制で拡大し続ける経済であつても、もし、世界と地球が均質で無限大の存在であれば、行き詰まることがないのかも知れません。

しかし、人類の知的好奇心は無限大に宇宙までに広がつても、人類は少なくとも近未来において地球を離れて生活することはできません。また、地球もこれ以上大きくなることもなく、無限大方向への発展は限界があるので、必ず限界に達することになります。もう、地球は開発し尽くされて、既に限界に達してしまつてゐるのです。

にもかかはらず、無限大方向への発展を追ひ続けることには大きな矛盾があり、いつしか完全に成長の限界点に達して破綻に至ることは必至です。


それなのにどうして、いまだに無限大方向へと発展しようとするのでせうか。それは、賭博が常習化すると、仮にこれが間違つてゐると気付いてもまますエスカレートしてのめり込んでしまふからです。

世界の「賭博場」で、株が上がつたり下がつたり、為替相場が変動したりする賭け事が日々繰り返されてゐますが、これは、世界の実体経済を反映したものではなく、大多数の人々の生活とは無縁の事柄であるのに、これが経済全体に影響を及ぼすといふ世界の賭博経済の仕組みが出来上がつてしまひました。博打打ちは堅気に迷惑をかけてはならないといふ掟があつたのに、これがいまや完全に反故にされてしまつたのです。


この賭博経済を生んだ土壌は、商品経済と貨幣経済です。賭博経済は、この商品経済と貨幣経済に寄生して咲き誇つてゐる徒花であり、賭博経済だけを切り取つて駆除できない仕組みになつてゐます。この賭博経済は、無限大方向の発展をし続けなければ死滅してしまひます。まさに「飽和絶滅」の方向です。


「商品経済」とは、自給自足といふ財の生産と消費の一体性が崩壊して、生産と消費とが分離され、他者との分業と交換によつて成立した経済です。これは、自給自足経済と対極にあります。当初の商品経済は、「余剰」の生産物が商品となりましたが、資本制経済による利益追求原理から、商品は「余剰生産物」ではなく、必然的に「販売目的」で大量生産された商品となりました。


交換の媒介として貨幣を用ゐなくとも物々交換によつても交換経済は成立しますが、その規模は小さいものです。ですから、交換流通の効率を上げるために、初めは誰もがその価値を認めて必要とする商品(たとへば米)を交換の媒介に使ひました。これが「商品貨幣」です。たとへば、海でとれた魚と山里でとれた山菜とを直接交換しようとしても、山菜と海藻とを交換したい人にとつて魚は不要だといふことが起こります。そこで、魚と米、山菜と米、海藻と米との交換ができれば、米との交換を媒介にして間接的に欲しい物を手に入れることができます。

そして、この商品貨幣は、米から金、銀などに変はりましたが、これ自体が「商品」であることは変はりはありませんでした。商品とは、「使用価値」と「交換価値」の双方を備へてゐるものです。このやうにして、米本位制、金本位制、銀本位制といふ商品貨幣を基軸とした経済になつたのです。


ところが、取引の簡便さから、兌換制度を取り入れ、金属や紙で作つた「通貨」を発行し、これといつでも金銀などに交換できるものとして、金銀などの商品貨幣の代用物を作りました。これが通貨制度の始まりです。通貨は、それ自体には使用価値はなく、専ら交換価値しかありませんので、当初は「商品」ではなかつたのです。


ところが、これがだんだんと変質して行きます。通貨の発行限度額は、兌換制度からすると、金銀塊自体(地金、地銀)の総額であり、兌換の引換準備として金銀塊の保有を求める「正貨準備制度」であつたものが、地金銀以外に、商業手形、国債、政府証券、外貨、外国為替などの「保証物件」を保有してゐれば、その総額まで発行できるといふ「保証準備制度」に移行し、さらには、兌換制度を廃止し、これによつて価値が不安定となつた通貨と物価との関係を調整させるやう管理当局の自由な裁量によつて金融政策を実施させて政策的に通貨を管理させて発行できるとする「管理通貨制度」へと移行します。


数十年前に、「花見酒の企業金融」といふことが問題になつたことがありました。どんなことかと言ふと、たとへば、資本金1000万円のA社と、同じく資本金1000万円のB社とがあつたとします。しかし、このままでは、増資して会社規模を大きく見せることができません。ところが、何の企業活動もしないで、A社とB社とが示し合はせることで、お互ひが資本金1億円の会社にすることができる方法があるのです。それは、まづ、A社が500万円の増資をし、その引き受けをB社が行ひます。そして、今度は、直ぐにB社が500万円の増資をし、その引き受けをA社がします。これを何度も何度も繰り返して行けば、A社もB社も資本金1億円にすることなどは朝飯前です。この方法で必要な原資は500万円だけで、A社とB社が相手の増資の度にそれをキャッチボールすれば、資本金1億円どころが、いくらでも実体が伴はない増資できることになります。何もせずに花見酒をしてゐる間に、あれよあれよといふ間に外部金融ができるといふことです。これと同じことが各国間の中央銀行の間で可能なのです。


そして、これに加へて、昭和46年に、ドルの金交換停止などによつてブレトン・ウッズ体制が崩壊し(ニクソン・ショック)、固定相場制から変動相場制へ、金融自由化、為替取引完全自由化(為替取引の実需原則を廃止)、金融商品、金融派生商品の多様化と拡大化といふ一連の流れが一挙に進みました。これによつて、通貨は一人歩きする怪物になつたのです。


これらのことにより、使用価値がなく交換価値しかないために「商品」ではなかつたはずの「通貨」が、「商品」とされて、それ自体が投機取引の対象となり、賭博経済を一層加速させることになりました。その博奕場では、様々な金融商品が取り扱はれ、それ以外にも先物市場といふ博奕場まであり、基幹物資までもが大量に先物取引される事態になつたのです。このやうな賭博経済に世界全体が巻き込まれて支配され、基幹物資の価格の乱高下を生じさせ、世界経済に甚大な影響を与へて世界を不安に陥れてしまつたのです。


マルクスは、その著書『資本論』の中で、「通貨の魔術」といふ言葉を使つてゐます。

物体には神秘が宿ります。物体に神性を感じる信仰を呪物崇拝(フェティシズム)と言ひますが、経済学でも「物神崇拝」があり、実物の投影であつてその交換手段であるはずの従たる通貨が、それ自体に価値があるかのやうに錯覚して一人歩きする現象が起こりました。従たるものが主たる地位にすり替はつたのです。このことを端的に言ひ表したのが、マルクスの言ふ「通貨の魔術」です。これは、パブロフの条件反射のやうに、通貨を見れば実体価値があると錯覚することなのです。


しかし、この問題は、共産主義のやうに、いきなり商品経済や貨幣経済などを廃止することで解決できることではありません。レーニンは、大正7年(1918+660)のロシア共産党(ボリシェヴィキ)第二綱領で貨幣制度を廃止しました。貨幣制度は、資本主義の要諦であり、これによつて私有財産制による富の蓄積を生み、富の遍在と生産財の独占、階級形成の原因であるとするのがマルクス・レーニン主義の根幹理論であつたからです。ところが、レーニンは、翌年(1919+660)にこれを放棄してしまひ、これによつて、経済理論としての共産主義は放棄されることになりました。


賭博経済を止めさせるために、貨幣制度を単純に廃止すればよいといふものではなく、貨幣制度の根本を見直して、その内容と態様を変更することから始めなければなりませんが、このことについては、後日改めて述べることにします。


いづれにせよ、商品経済と貨幣経済などを自給自足経済と対立させて考へるのではなく、「将来において貿易をなくす目的のために、その手段として貿易を継続する。」のと方向貿易理論と同様に、「将来において商品経済や貨幣経済、そして信用取引をなくす目的のために、その手段として商品経済や貨幣経済、信用取引を継続する。」といふ方向性が必要になつてきます。


基幹物資の自給率を向上させる方向を目指すのと同様に、自給自足経済社会の「普及率」を向上させる方向を目指すのです。さうすれば、貿易依存率も徐々に低下し、海外の金融資本に依存する比率も低下し、その徒花のやうに世界を蚕食し続けてきた賭博金融資本も消滅して行くのです。


マルクスの理論は、この交換経済のもたらす弊害を是正する方法を用意せずして、一挙に貨幣制度を廃止しようとした点において、理論的にも実際的にも、根本的かつ致命的な誤りを犯しました。しかも、貨幣制度自体を来たるべき社会の実現にとつて、不倶戴天の敵として憎悪の対象としてしまつたことに破綻の最大の原因がありました。しかし、方向貿易理論により自給率を向上させる過程において、商品経済と貨幣経済は、自給自足経済を補完し、これと両立共存しうることができるのです。


そして、世界がさういふ方向に動き出せば、金融資本は、国内単位のみで循環することになり、国際金融資本は消滅の方向へと向かひます。賭博経済は次第に失速して、早晩、国際的な博奕場である外国為替相場市場は縮小され、「実業」の貿易決済だけを行ひ、それも徐々に終息することになります。賭博資本は撤退を余儀なくされ、マネーゲームは終息するのです。これにより、賭博経済は終焉を迎へ、金融商品の先物取引は勿論、投機的な商品の先物取引などの「虚業」は結果的に禁止されることになります。つまり、証券取引所も閉鎖され、株式、社債その他の多くの金融商品の投機的売買は賭博経済の終焉と運命を共にするのです。


そもそも、株価や為替の相場変動は、国家や社会の財政状態や経営成績の変動の投影ではなく、これとは無縁の政治的、経済的な意図と推測と煽動に基づいてをり、実態のないアナウンス効果によつて投資家の気分を右往左往させて起こるものであることは周知の事実なのです。だから「景気」といふのでせう。一般に人々の生活が賭博によつて影響されるやうな国家や社会を擁護する者は、どう考へても人類の敵であると云つて過言ではありません。


雇用を生み出す会社組織は、投機株主や投資株主のものではありません。働く者のものためにあります。株式制度や会社制度を廃止して、経営者と労働者の共有といふ企業組織制度を確立すべきです。そして、雛形理論に基づいて、さらにその企業組織制度を家族制度に相似したものとして改革されなければなりません。


ともあれ、このやうな様々な制度改革を実行して自給率を漸次向上させたとしても、一国だけで自給自足が直ちに実現しえない事情もあります。そのやうな場合は、経済ブロックを形成し、経済的国家連合を結成することになります。そして、その経済ブロック内の国家間の貿易と、そのブロック外の国家との貿易とを区別して、後者から前者へと徐々に転換させて行きます。そして、最終的には、経済ブロックを解消して、各国の自給自足体制を確立させるといふ多段階方式でこれを実現することになります。


なほ、基幹物資の中には、石油などのやうに特定地域に偏在してゐるものがあることから、基幹物資ごとに自給自足の経済ブロック単位を設定し、段階的にその極小化を図ることになります。勿論、その場合は、新たな代替エネルギーの確保と開発がなされれば、石油等に頼る必要がなくなり、徐々にその経済ブロックは縮小し、さらには消滅します。

しかし、代替エネルギーの原料が、石油などのやうに世界の地域に偏在するものであれば、やはり同じ問題を引き起こしますので、各国各地域のどこにである物質を原料とするものが開発されることが必要です。


ただし、現在のところ、石油などに代はる基幹物質は存在しません。石油は、エネルギーとして基幹物質であると同時に、種々の製品や商品の原材料としての基幹物質でもあり、しかも、食料生産の原価としても組み入れられてゐます。石油は、産業的汎用性が著しく高い資源です。それは、石油製品が生活の中に広く入り込んで、モータリゼーションを支へてきたことからも理解できます。多くの製品、商品及び作物などの価格は、それを製造し栽培し、輸送することに使はれる石油の原価を基礎として決定されます。大量消費に向けられた農産物は、生産過程において石油や電力を費消し、その電力供給もまた石油の依存率が高いことからすると、原価的にみれば、農業生産物も石油製品であり工業生産物と同じです。それゆゑ、食料自給率とエネルギー自給率とは不可分の関係にあることから、その観点で自給率を見直すことが必要となります。我が国の食料自給率がカロリーベースで約40パーセントであるとしても、石油の自給率が零に等しいわが国の現状では、実質的な食料自給率は絶望的な数値となるはずです。


ともあれ、石油は、「実業」の観点からして、原料、製造、物流、生活資材などを支配する「国際通貨」としての「商品貨幣」です。消費財ではありますが、生産調整などによつてコントロールされた石油は、経済の基軸となつてをり、世界の実体経済(実業)においては「石油本位制」の様相を呈してゐます。

それゆゑ、世界各地で自給自足体制を確立させることについては、この石油に関して特別の配慮がなくてはなりません。結論を言へば、究極的には、石油を「世界の公共財」として、生産国らの所有とさせないことが必要となります。勿論、生産国の既得権益は認められるべきですが、メジャー(major)といふ国際石油カルテルや石油輸出機構(OPEC)などによる寡占状態は、戦後の国際体制に勝るとも劣らない邪悪で利己的なものであつて、世界をこのま自給自足体制へと向かはせるのであれば、国連などによる国際体制と共に解体させなければならない対象となります。


反グローバル化運動による批判の矛先が、世界貿易機関(WTO)、世界復興開発銀行(IBRD)、国際通貨基金(IMF)などの国際経済機関に向けられたことは、同じ問題意識によるものだと思ひます。

それゆゑ、自給自足体制へと向かふ国家が連合し、国連から脱退して新たな国際組織を結成し、石油利権の寡占組織との交渉窓口となつて、このやうな寡占状態から世界を解放させ、石油を「国際的公共財」とする努力を続けなければなりません。


自給自足体制の確立のためには、このやうな様々な問題があるとしても、方向貿易理論を各国が現実的に政策として数値目標を立てて実施して行けば、劇的に大きな世界の意識転換が生まれる可能性もあります。

各国は、方向貿易理論によつて、これからは、自給率を高めるための自給自足を向上させる技術やその生産基材を輸入し、他国へは、自国の自給自足の技術とその生産基材を輸出することを繰り返す貿易を続けて行けば、必ずゴールは見えてきます。

次回は、いよいよ方向貿易理論の核心について述べることにします。

南出喜久治(平成27年8月1日記す)


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