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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第四十回 ワクチン水俣病

みをすてて おさなごまもる おやごころ くにをまもるは やたのひながた
(身を捨てて幼子守る親心國を守るは八咫の(長大な)雛形)


私は、平成27年10月11日、世田谷区民会館で、日本ホメオパシー財団と日本ホメオパシー医学協会の主催した「第16回JPHMAコングレス ホメオパシー・インナーチャイルド学術大会」に、由井寅子会長からの要請を受けて参加した。

この学術大会のテーマは、「病気にならない生き方、食を見直し、心を癒そう!」といふもので、由井会長の依頼は、私に子宮頸がんワクチン問題について講演してほしいとのことで、会場の近くにある松陰神社を参拝してから会場に入つた。

何百人もの多くの参加者が列を作つて入場して行く様子を見て、これまで誹謗中傷を受けながらも真実を貫き、多くの実績を上げてこられた由井会長の功績はすばらしいもので、同じやうに、逆境を撥ねのけて飛躍してきた戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長の功績と重なるやうに感じた。


会場に着席する前に、この日のメインゲストであるインド政府の伝統医学省のホメオパシー中央リサーチ研究所長官であるR・K・マンチャンダ博士とアミータ・マンチャンダ博士のご夫婦を紹介され、この日の大会は意義深いものであると実感し、ワクチン禍問題をインドにおいて直視してもらふため、是非とも私の話を聞いてほしいとお願ひした。


私は、ご承知のとほり、平成22年6月に、子宮頸がん予防ワクチンの危険性に対して警鐘を鳴らし続け、同年7月23日には、『子宮頚がん予防ワクチンの危険性』と題する論文を発表し、これは今でもインターネット上で公開されてゐるので是非ともご覧になつてほしい。これは、サーバリックス(グラクソ・スミス・クライン社)の認可後で、ガーダシル(メルク社)の認可前の時期における論文であるが、ガーダシル認可後の現在においても訂正すべき点はないものである。

そして、この発表と同時に、私は、厚生労働省や製薬会社及び病院等の医療関係者に対する公開質問状を出したが、関係者はこれを完全に無視するどころか、様々な方法で私に対する工作や妨害、誹謗中傷を今もなほ繰り返してきてゐる。


数年前に、子宮頸がんワクチンのことで取材したいとのことで、フリージャーナリストの斎藤貴男氏から取材を受け、サンデー毎日に記事を売り込んで掲載させる予定だと言つてゐたが、結果的にはその記事は掲載されなかつた。それほど逆風の時代だつたのである。


ところが、今年4月になつて、集英社インターナショナルから斎藤氏からの贈呈として、斎藤貴男著『子宮頸がんワクチン事件』が送られてきた。早速これを斜め読みすると、主要参考文献に私が5年前に発表した『子宮頸がん予防ワクチンの危険性』が記載されず、本文にもこれが引用も紹介もされず、「あとがき」のところで、こんなふうに書いてあつた。


「ジェンダー(社会的・文化的な性のありよう)のテーマに引き寄せたHPVワクチン論。本文では触れられませんでしたが、実は南出喜久治さん(一九五〇~)という弁護士が二〇一〇年七月にネット上に公開した「子宮頸癌ワクチンの危険性」という論考があります。〈日本人をモルモット代わり〉〈壮大な人体実験〉などといった表現も目立つものの、早くから海外の情報を収集し、今日の知見を先取りもしていた、貴重な文献です。南出弁護士は、一方で、大日本帝国の現存を宣言している「國體護持塾」の塾長でもあります。二〇〇六年に山形県鶴岡市で加藤紘一・元自民党幹事長の実家に放火した右翼団体幹部の弁護も担当していました。日頃は国家体制や巨大資本に近い人びとが、このワクチンに対しては敵意をむき出しにする傾向があるのに興味を引かれます。」


これを見て、斎藤氏の私に対する強い悪意を感じたので、直ぐに斎藤氏の自宅に電話して次の点に関して抗議した。

そもそも私の論文は「子宮頚がん予防ワクチンの危険性」といふ題名であること、「今日の知見を先取りもしていた、貴重な文献です。」としながら、「主要参考文献」に記載してゐないこと、「〈日本人をモルモット代わり〉〈壮大な人体実験〉などといった表現も目立つものの」といふ表現は、私の論文全体の趣旨を紹介するには余りにも偏頗性があること、私は大日本帝国憲法が現存してゐることを宣言してゐるのであつて、大日本帝国の現存を宣言してゐるのではないこと、私の過去の弁護士活動を紹介するとしても堀米事件だけを意図的に紹介することに違和感があること、私が「日頃は国家体制や巨大資本に近い」とするのは全く誤りであること(その対極にあり、最も遠い関係であること)、私の論文がこの問題提起の嚆矢となつたことが評価されてゐないこと、全体として、この問題提起における私の貢献度を軽視し、私の言動を否定的に紹介して揶揄したやうな表現になつてゐることなどを指摘して、強く抗議したのである。

斎藤氏は、当初はいろいろと言ひ訳けをしてゐたが、最後には非を認め、増刷発行の際には訂正すると約束してくれたが、斎藤氏の本音としては、私が左翼の弁護士による訴訟ビジネスの先鞭をつけた結果になつたことを好ましく思はず、できる限り私が警鐘を鳴らしてきたことの事実を隠蔽したいといふところにあるのではないか疑つた。


ワクチン訴訟ビジネスを開拓する営業行為としてこの問題について私が警鐘を鳴らしてきたといふ批判もあるために、私はこれに一切関与してゐない。ワクチンが認可される前には全く声を上げなかつた日弁連や全国の弁護士会は、ワクチン禍が拡大してからも未だに沈黙を守つてゐる。御都合主義の極致である。

マッチポンプによる利権追及のために左翼弁護士らが始めたワクチン訴訟ビジネスに私が与することはない。私としては、事後救済よりも、これ以上被害者を出さないための事前予防のために、これからも警鐘は鳴らし続けることに徹したいのである。


このやうに、この問題をセクト主義的な視点で分断させて発信したり活動したりするやうなことは誠に残念でならない。これもまた、ワクチン接種を奨励する勢力に利することにしかならないからである。


平成25年6月14日に厚生労働省から、ワクチンとの因果関係を否定できない持続的な疼痛が子宮頸がん予防ワクチンの接種後に特異的に見られたことから、同副反応の発生頻度等がより明らかになり、国民に適切な情報提供ができるまでの間、定期接種を積極的に勧奨すべきではないと勧告がなされた。ところが、その後において、ワクチン接種の奨励を復活させやうとする勢力からの執拗な動きが続いてをり、それにメディアも加担してゐることからすると、今後も分断工作をしてくることは必至である。


私がこの問題を指摘し始めた後に、由井会長も独自の視点でこの問題を取り上げて、ワクチン禍の重篤な副作用に苦しむ患者に対して医療救済を実践され、その臨床成果の実績について、この世田谷区民会館の大会で発表されたことによつて、予防のためにワクチン接種をさせないといふ警鐘を鳴らずだけではなく、治療のためにも大きな貢献されてゐることを詳しく知ることができ、本当に頭が下がる思ひである。


現在、この問題に警鐘を鳴らして発信するメディアは、私の知るところでは『世界日報』だけであるが、これをワクチン接種を推進させようとする勢力は、『世界日報』が統一教会と関係があるとして、私や由井会長の運動も統一教会と連携してゐるなどと、手を変へ品を変へて捏造したデマを拡散させてきてゐる。


マンチャンダ博士は、私が講演を終へて降壇したときに、すぐ駆け寄つて私に激励と連帯の握手を求められた。熱い思ひは伝はつたのだと思つた。これにより、インドではこんな被害を食ひ止め、ワクチン接種の根本的な見直しがなされることを願つて止まないのである。


そして、私は、その後になされた由井会長の講演の内容に驚愕した。それは、由井会長がワクチンによるアナフィラキシーショックの重篤な患者をホメオパシーの技術で救ふためのなされた臨床経緯に関する様々な映像(顔をマスキングしたもの)を見て、ここで明らかにされた激しい不随意運動が止まらない患者の症状は、有機水銀中毒による、ある「水俣病」と同じであり、これ活字による情報には接してゐたが、映像の力は、その数百倍のものがある。

そこで思つた。これは、ワクチンの副作用とか、ワクチン禍と言つた生やさしい名称では、真実を隠蔽することになる。これからは、「ワクチン水俣病」と呼ぶべきだと思つたのである。変はり果てた娘の姿を前に、ワクチン接種を奨めた母親の自責の念に苛まれながらも、歯を食ひしばつて懸命に看病し続けてゐる母親の姿を見て、涙が止まらなかつた。


国家が刑罰権を行使する場合は、謙抑性の原則により「疑はしきは罰せず」であり、有罪の証明責任は国家を負ふ。これに対して、食品と医薬品の有害性、危険性に関しての大原則は、「疑はしきは禁止する」でなければならない。

憲法学においては、「二重基準の審査」(double standard test)といふものがある。これは、経済的自由権と精神的自由権とを区別し、後者を優越的地位にある権利として、それを制限する法律の合憲的審査に厳格な基準を適用する反面、前者を制限する法律には合憲性を推定し、より緩やかな基準によつて審査するといふものである。そして、その根拠の一つとして用ゐられるのが「思想の自由市場の理論」である。これは、経済の自由市場における「有害食品(薬品)」と、思想の自由市場における「有害思想」とを比較して、後者の有害性は自由市場の中で淘汰されて有害性は減少ないしは消滅しうるが、前者の有害性の被害は自由市場の中で淘汰される性質のものではなく、これによる被害は即効的かつ甚大で回復不能なものになるといふ決定的な差異があるからである。

それゆゑ、国民の生命と健康への危険性が疑はれる食品や医薬品などについては、科学的根拠に基づいて安全性の証明がなされない限り、その使用、消費、販売、貯蔵、保管などが即時、全面的に禁止されるべきである。つまり、具体的には、安全性の疑はれるものは、需要者側では「疑はしきは使はず、買はず、食べず」であり、供給者側では、疑はれる物の製造、販売、使用の全面禁止である。


従つて、国民の側には、その「危険性」の「証明」をする必要はない。国民の側が危険性の疑惑を指摘をすれば、国家の側がその「安全性」の証明責任と説明責任を負ひ、安全であることの証明と説明を公表しなければならない。ところが、昨今のワクチンに関しては、あたかも危険性が証明されてゐないので使用できるといふやうな本末転倒の議論がまかり通つてゐることは由々しい事態なのである。


インプルエンザワクチンや子宮頸がんワクチンなど、多種多様の最近のワクチンには水銀やアルミニウムなどの重金属が混入されてゐることから、水銀禍やアルミ禍が複合的に累積して、水俣病と同じ症状やそれ以外の複雑な症状を示すのだと思ふ。それを由井会長を初めとするホメオパシーに精通した人々が治療のために努力され、確実な成果を上げてをられることに心から感謝して、私は会場を後にした。

南出喜久治(平成27年12月1日記す)


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