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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第七十二回 典範奉還

えせのりを したりがほにて かすめとり つくろひだちを ねらふまがひと
(似非典憲をしたり顔にて掠め取り繕ひ立ち(改正)を狙ふ禍人)

私は、昨年8月8日に賜つた天皇陛下のおことばを踏まへて、この課題について、昨年の明治節にしたためた「皇室の自治と自律による皇室典範に復せ」(原題「皇室典範とは何か」)を『月刊日本』12月号で発表して声を上げた。


その内容はかうであつた。


皇室典範とは、伝統的に紡がれてきた皇室の家法のことである。皇室のことは皇室自らで決めるとする自治と自律によつて培はれた皇室の掟(典範)のことである。

しかし、現在の「法律」としての「皇室典範」は、法規名称を偽装したニセモノである。そもそも、GHQの完全軍事占領下の非独立時代に制定されたとする日本国憲法(占領憲法)の第1条で、「この(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあり、主権者様であらせられる「国民」といふ「ご主人様」の下に仕へる家来として「天皇」を位置づけてゐる。そして、第2条では、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを承継する。」とあり、占領憲法下で制定された「皇室典範」(占領典範)といふのは、皇室の家法ではなくなり、単なる「皇室統制法」に過ぎないのに、これまで通りに国民を欺く目的によつて、あへて「皇室典範」であると偽装して占領憲法を制定したのである。

このやうな皇室制度は、神話に煙る我が国の一視同仁の歴史において、極めておぞましい異形を晒してゐる。


占領憲法第9条第2項後段には、「国の交戦権は、これを認めない。」とある。この「交戦権」(right of belligerency)とは、帝国憲法第13条に定める天皇の宣戦大権及び講和大権のことであり、アメリカ合衆国憲法における「戦争権限」(war powers)のことである。これは、戦争を開始(宣戦)して戦闘行為を遂行又は停止(統帥)し、最終的には講和条約によつて戦争を終結(講和)する権限のことであり、いはば火器を用ゐる外交権の総称である。それゆゑ、非独立時代に制定されたとする占領憲法が、仮に「憲法」であるとすれば、交戦権のない占領憲法ではサンフランシスコ講和条約を締結することはできないことになる。その第1条には、「日本国と各連合国との間の戦争状態は、・・・この条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。」とあるので、占領憲法は戦争状態下で制定されたことになるが、この時点でも帝国憲法が「憲法」として現存してゐたがために、天皇の講和大権に基づいて我が国は講和して独立を回復できたのである。


帝国憲法と天皇のお陰で講和して独立を回復した我が国において、どうして伝統的に継承されてきた皇室の自治と自律による皇室典範まで奪つてしまふのか。火事場泥棒のやうな敗戦利得者が皇室を弾圧して占領憲法と占領典範を制定したのである。これほど不敬不遜なことはなく、万死に値する暴挙なのである。


占領典範は、歴史的に考察すれば、德川幕府による皇室不敬の元凶である『禁中竝公家諸法度』や『禁裏御所御定八箇條』と同じ性質の皇室弾圧法である。


明治の皇室典範(正統典範)では、諮詢機関として「皇族会議」があり、「成年以上ノ皇族男子ヲ以テ組織」されてゐるが、占領典範では、皇族会議を廃止して皇家の自治と自律を奪つた上、決議機関として「皇室会議」を設置した。その「議員は、皇族2人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官1人」の10人とし、皇族議員は10人中たつた2人に過ぎない。これによつて皇室から自治と自律を奪つて監視するのである。皇族は2人だけで、残りの八人が非皇族で構成される「皇室統制会議」に過ぎないのに、これを「皇室会議」といふ名称にするのも名称偽装であるが、そこまでして国民を欺き続けてきたのである。


この度の天皇陛下のお言葉を忖度すれば、我々には一つの道しかない。それは、「典範奉還」を実現すること、すなはち、皇室に自治と自律を回復していただいて、皇室の家法としての正統なる皇室典範をお定めいただくことしかない。そのためには、仮に、占領憲法を憲法として認めるとしても、第1条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあるのを、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である。」として後段の削除改正をし、さらに、第2条の「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」とあるのを、帝国憲法第2条の「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」に依拠して、「皇位は、世襲のものであつて、天皇の定める皇室典範に遵つて、これを継承する。」と改正することになる。


政府のみならず、国民においては、皇室の自治と自律による皇室典範といふものは、国民主権によつて定めうる範囲から除外しなければならないといふ、我が国の歴史伝統に根ざした正統な理解が必要である。そのことすらも全く理解出来てゐない者が、それと目くそ鼻くその同類者を「有識者」として選任したり、「専門家」を人選してヒアリングするなどといふことは噴飯ものも甚だしいものがある。


以上の論評を発表した後にこの問題の推移を見続けたところ、有識者会議によつて論点整理としてまとめられた後、平成29年3月17日に、衆参両院正副議長の斡旋で各党派の全体会議により、陛下一代限りの特例法制定といふ既定路線に則つた方向で、同年5月に法案提出がなされることが決まつたやうである。


しかし、今改めて天皇陛下のおことばに思ひを致すとき、多くの人が様々な評価をしてはゐるが、私は、このおことばの中の「天皇といふ立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控へながら」との箇所と「天皇として大切な、国民を思ひ、国民のために祈るといふ務め」といふ箇所を重く受け止めて思惟に浸つてゐる。


「天皇といふ立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控へながら」といふのは、これほどまでご皇室にご不便、不自由をおかけしてゐることであり、誠に申し訳ないる限りである。

そして、占領憲法では、天皇としての存在のみが象徴天皇の地位と機能であるにもかかはらず、それを乗り越えられて、歴史伝統に基づく「祈り」こそが天皇としての大切な務めであるとされたことに天皇と臣民との紐帯を感得して救はれる思ひがする。


そして、このおことばこそが、平成23年3月11の東日本大震災が起こつた5日後の同月16日のおことばと同様に、帝国憲法第13条の緊急勅令であつたことが再確認できたのである。

それは、政府と国会が一致協力して、緊急勅令である天皇のおことばに従つて曲がりなりにも立法化することになつたからである。これがまさに承詔必謹なのである。


占領憲法第4条第1項に、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」とあるが、この度のおことばは、帝国憲法に則り、国政に関する権能を行使されたのであつて、占領憲法無効宣言の「密勅」として承るべきものである。すめらみこといやさか。

南出喜久治(平成29年4月1日記す)


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