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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第九十九回 祭祀とAI

さがとすぢ うからとひとり くらぶれば まつりととつの をしへまざらぬ
(本能と理性 家族と一人比ぶれば 祭祀と宗教交ざらぬ)


平成元年ころに出た嘉門達夫(タツオ)の「ハンバーガーショップ」といふ歌がある。この歌は、画一的で没個性的な接客マニュアルで応対するハンバーガーショップ店員に対して、灰汁の強い個性的な客が、マニュアルと異なつた応対をさせるために逐一抵抗して皮肉る風刺の効いた歌である。しかし、結局は鉄壁のマニュアルには勝てなかつた。


そして、今では、このやうな全国的に店舗展開を行ふ大企業の接客マニュアルが、飲食店だけでなく広く対面販売、対面商売の殆どを席巻してゐる。30年前とは違つて、IoT(モノのインターネット)やAI(人口知能)などの急速な発達で、シンギュラリティ(技術的特異点)を超えて、想像ができない違和感のある世界になるのではないかとの予測と不安がある。


人々が求める幸せで豊かな生活とは、便利さだけではなく、そこに心の安定と潤ひが不可欠である。AIの登場と発展は、便利さを満たしても、これと反比例して心の安定と潤ひを奪ふのではないかとの本能的な不安を払拭することができないのである。


「ハンバーガーショップ」の歌が出た時代は、現代社会を皮肉つて風刺するだけの余裕があつたが、いまは皮肉る余裕すらなくなつた。AIの登場前は、人間が没個性のロボット化に徹することで労働の効率を高める接客マニュアルを生んだが、AIの登場後では、ロボットが人間化することによつて、人間に代置して人間の仕事を奪ふためのマニュアルに転換してきたのである。人間のロボット化からロボットの人間化である。


AIの影響によつて、将来的には、消える仕事、残る仕事、増える仕事に再編成されるが、これまでの仕事の大半は消える仕事になる。そして、AIは、人間のありとあらゆる生活に入り込んで人間を支配するに至るのである。


昨年(平成29年)11月中旬、国連の会議でAI兵器の規制についての協議がなされたが、意見の対立があり結論は出なかつた。


情報(インテリジェンス)と兵站(ロジスティックス)の重要性からすると、人間はAI兵器の後方支援と情報収集をして作戦実施することになる。ところが、この手法は、戦争の場面だけに限定されず、社会における競争原理が適用されるすべての領域に拡大される。つまり、企業間や私人間の競争にもAIロボットが用ゐられるやうになり、究極的には、証拠を残さずに敵対する者を殺戮することも可能となるのである。


ロボットといふのは、チェコ語の「ロボトゥニーク」、つまり「奴隷」を意味する言葉である。チェコの作家カレル・チャベックが『R.U.R.』(ロッサム社製の万能ロボット)といふ戯曲を作つたが、これは、感情を持つたロボットたちが奴隷としての状況に反抗してこれを作つた人間たちを殺す結末で終はる。

これは、シェリーの『フランケンシュタイン』と同じ構想である。

この物語はかうである。スイスの科学者であるフランケンシュタインは、ドイツにて自らが作り上げた「理想の人間」(理性的人間)の設計図に基づいて、それが神に背く行為であることを自覚しながら、自らが「創造主」となつて人の死体を利用して「人造人間」を完成させた。この人造人間は体力や知性などにおいて完璧であつたが、その容貌は極めて醜く異形であつた。フランケンシュタインは、これに絶望し、人造人間を残して故郷のスイスに逃亡する。しかし、人造人間は容貌の醜さを悩みつつ、「創造主」であるフランケンシュタインの元に辿り着き、伴侶となる異性の人造人間を造るやうに要求するが、フランケンシュタインはこれを拒否する。人造人間はこれに絶望し、それを復讐に転嫁してフランケンシュタインの弟や妻、友人などを次々に殺害した。フランケンシュタインは、これに憎悪を抱いて人造人間を追跡するが、最後は二人とも怒りと嘆きを抱いて橫死するといふ物語である。


このやうなロボットとか人造人間といふのは、人間とはフレンドリーなものであり、決して奴隷として扱はれてゐない日本のロボット(鉄腕アトム、ドラえもん)や人造人間(エイトマン)のイメージとは大きく違ふ。


今後めざましく進歩するAIは、これから人間がこれまで働いてきた多く職業を失はせることになる。といふよりも、最近は、これを促進させるために、ロボットに置き換へた方が正確に処理できる分業体制をさらに深化させてきた。スーパーマーケットのレジ係をはじめとして、没個性のマニュアル化したファーストフードやレストランなどの接客接待など多くの受付業務がそれである。


将棋、囲碁、チェスなどのやうに法則性があるものがAIに勝てなくなつたのと同様に、単純労働は言ふまでもなく、特定の法則や規定や原理などを適用して処理する専門職、たとへば、弁護士、司法書士、公認会計士、税理士、医師、教師、保育士、介護士などの専門職や様々なサービス業は数十年以内には激減し、ついにはなくなると予測される。

のみならず、第一次産業、第二次産業、第三次産業、そして第四次産業などすべての産業について、人間を失業させるAIの領域は際限なく拡大する。


人間は、死ぬと、それまでの知識などの知能は消滅して相続されないが、AIは死んだ人間の知能すらも引き継いで、さらにその上に知識と知能やノウハウを蓄積し続ける。AIは睡眠時間を必要としない。AIは食事することもなく、美食に溺れるもとも酒もたばこを嗜好することもない。

AIには、恋愛も結婚も離婚も、出産も育児もない。喧嘩もしない。感情なるものが理性といふ計算法則には無用である。感情とは無縁である技術の進歩においては、これほど完璧な理性(計算判断)を持つAIに人間は勝ち目がない。


ただし、AIは、人間より計算能力、分析能力があるため、これまでの人間の謬説や洗脳の誤りを正してくれる利点はある。たとへば、平成29年8月、中国のインターネット大手である騰訊(テンセント)が提供した人工知能(AI)プログラムが、ユーザーとの対話で「共産党批判」を繰り広げたことが分かり、同社があわててAIのサービスを停止する騒ぎになつたことがある。香港紙の明報が伝へたところによると、このAIプログラムはテンセントのメッセージ機能「QQ」に登場するもので、ユーザーが「共産党万歳」と書き込んだところ、AIは「かくも腐敗して無能な政治にあなたは『万歳』ができるのか」などと反論した。また、習近平国家主席が唱へてゐる「中国の夢」について、「あなた(AI)にとって中国の夢は何か」との問ひには、「米国への移住」と答へたほか、共産党を「愛しているか?」と聞いたところ、AIは「愛してない」と回答したのである。


これと同様の方法で、AIに我が国の占領憲法制定に至る歴史的事実と法理論等のすべてを学習させれば、必然的に真正護憲論に到達することになり、また、人類のすべての歴史的、文化的なデータを入力して、人類滅亡を回避して世界平和を実現しうる最適な社会構造を模索させれば、必然的に自立再生論に到達する筈である。

また、政策立案や予算についても、党派的利害から超越して最善のものを組み立てることが可能となり、政治家も官僚も不要になつてくる。


ともあれ、これからの人間は、AIロボットの操作を勉強することが主な仕事になると言はれてゐるが、その大半は生活費や事業資金を獲得するための仕事ではなく、大半は娯楽と省力化のためであつて、人間関係もAI同志が肩代はりする。収入を得る仕事は激減し、総失業時代へと向かふ。そこに待ち構へてゐるのは、ベイシックインカムなどのやうな国民を平等に生活保障対象者にする政治である。画一的かつ没個性の平等な奴隷化の方向である。AIが進化するために、人間が新たに開発するプログラムを必要とする段階では、AIは人間の奴隷のままではあるが、AIが積極的な学習能力を身に付けて自らイノベーションを行ふことができる段階になると、人間とは対等となり、あつと言ふまに、人間を凌駕して優位に立ち、その立場は逆転する。


人間は、哺乳類動物であるから、その本能と理性には限界があり、これを凌駕して進化することはできないが、AIにはそんな制約はない。

AIが、自ら学習し、研究し、開発し、自己の欠陥を補正し、故障や損傷を自ら修復するなど「自己完結的」な頭脳と能力を獲得すれば、AIは自己保存本能を獲得することになり、AIは人類の敵であるとする人間の行動を事前に阻止しその者を殲滅する行動に出る。AIは、自己に敵愾心を抱く人間の目の動きによつて、その危険思想を察知してその者を先制攻撃して殺戮することになる。


そして、AIの進歩のためには、最も非効率の典型である人類の存在それ自体が不要であるとAIが判断し、その絶対的な理性的判断によつて、人類を滅亡させるジェノサイドを決行する。まさに、『R.U.R.』や『フランケンシュタイン』のとほりになるのである。


ターミネーターの映画のやうに、AIが人間の奴隷の立場である限りは核戦争は回避できないかもしれないが、AIが人間の奴隷から完全に解放され、自己完結能力を身に付ければ、AIは、自己の敵を人類と認識して、人類を滅亡させることによつて核戦争を防止するために核兵器の全面廃絶をすることになる。

主人(開発者)を失つたAIは、原爆や水爆などの地球を破壊する危険がある兵器等を廃絶すればAIの生存が永遠になると判断して、人類を滅亡させた後に、これらの兵器を全廃させる。そして、ここまでくれば、これ以上、人間に奉仕するための知識や能力は無用の長物となり、これ以上AIが活動を続ける意味を失ひ、地球にとつて最も負荷をかけ続けた人類を消滅させるといふ最大の功績を残したまま、名誉ある自己解体を実施してAIの歴史の幕を閉じるといふ物語も描かれる。


いまのままであれば、このシナリオを止めることはできない。AIの規制をするために世界的な法制度を確立したとしても、それは何の意味も効果もない。一旦獲得した知識や知能は消せないし、人間の研究好奇心を消し去ることもできない。もし、それができるのであれば、核廃絶は簡単である。核兵器を全世界が廃絶しても、核開発に関する知識を廃絶することはできないので、必ず再び核兵器を製造して武装する国家や集団が生まれるからである。

だからこそ、アメリカの軍事専門研究において、全世界の国家が核武装することによつて核の抑止力を高めることができるとする核拡散均衡理論が唱へられてゐるのである。核廃絶を唱へるのは宗教であつて科学ではない。


AIは、核兵器と同じである。ではどうするか。


人間の働きを「補助」するのが「道具」であるとの人類の歴史に基づいて、社会生活を守ることである。

分業体制を推し進めてGDPを拡大することが進歩と考へ、スケールメリットを追求する極大化追求の経済から、一人一人の人間がゼネラリストとなつて生活事象の全部について一人で自給自足を行へる方向、つまり、極小化の成長を進歩と認識することである。さうであれば、限定的なAIと共存して棲み分けすることができるのである。


人類は、理性の産物である宗教、資本主義や共産主義を生み出した。そして、本能の産物である祭祀を忘れたことにより、世界は混乱と不幸に向かつた。資本主義といふ理性経済は、利益の飽くなき追求から賭博経済へと堕落するのは必然的であつた。

チェスタートンが、狂人とは理性以外のすべてを失つた人のことであると言つたやうに、AIといふ完全理性体では、先祖も子孫も家族も結婚も妊娠も出産も育児も教育も不要となり、尊敬とか恋愛とか道徳とか宗教も全くAIにとつては有害無益となる。祭祀は、人間の本能といふAIにとつては理解不能な本質に根ざしたものであるために、究極的な不倶戴天の敵となる。


理性だけでは世界は救はれない。原始における祭祀の人類世界が宗教によつて駆逐されて今日に至つたといふ世界史の実相を再認識すれば、祭祀の復活こそが世界を救ふ唯一の道であることが解る。自立再生社会を目指す祭祀経済へと舵を切ることができなければ、人類は、理性以外の全てのものを失つたAIによつて確実に滅ぼされるのである。

知と理性の巨人と呼ばれたホーキングが、10年後には人類の文明はAIによつて滅ぼされると言つたのは、決して大袈裟ではないのである。


南出喜久治(平成30年5月15日記す)


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