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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百三十一回 憲法優位説と条約優位説

とつくにの ちぎりをのりと みまがひて まつりごつやみ はらひしたまへ
(外国の契り(条約)を法(憲法)と見紛ひて政治する闇祓ひし給へ)


憲法と条約との関係を巡つて、憲法が優位であるとする憲法優位説と条約が優位であるとする条約優位説とが効力論争として対立して居ることは周知のとほりです。


この議論では、憲法学者は概ね憲法優位説を、国際法学者は概ね条約優位説を採つてゐるのは、己の商売道具を大切にしようとする職人気質によるものだと考へれば理解しやすいでせう。


もちろん、我が国で、この場合の「憲法」といふのは、「占領憲法」を云ふので、これを帝国憲法であるとする真正護憲論とは議論の前提を異にします。真正護憲論では、占領憲法は憲法ではなく講和条約の限度でしか効力が認められないとする講和条約説の立場ですから、占領憲法を憲法とする前提での議論とは次元が違ひます。講和条約説を主張する真正護憲論については、いままでずつと述べてきましたので、ここでは触れません。その理論については『占領憲法の正體』などで再度確認してください。


ともあれ、最近における日韓請求権協定などにからむ日韓関係の軋轢に関して、我が国においても、この効力論争を指摘されることがありました。

それは、韓国の文在寅政権が、憲法裁判所及び大法院(最高裁判所)が日韓請求権協定などと抵触する判決を出した場合、三権分立の原則からして、政府は司法判断に拘束されるとして、憲法優位説を持ち出して主張を展開したことを契機とするものでありました。


しかし、実は、この問題は、直接的には憲法優位説か条約優位説かによつて左右されたり影響を受ける問題ではありません。ここにも文在寅政権の欺瞞と詐術があるのです。


まづ、平成23年8月30日に、韓国の憲法裁判所が「慰安婦」の賠償請求権に関する憲法訴願審判と原爆被害者の賠償請求権に対する憲法訴願審判の2つの審判において、韓国政府の不作為を違憲とする決定を下しましたが、これは憲法裁判所の判断ではあつても、これは厳密な意味で「憲法判断」ではありません。


あくまでも韓国政府の慰安婦(戦地売春婦)に対する措置の行政不作為を違憲としただけであつて、日韓基本条約と請求権協定の「合憲」を前提とした判決です。従つて、平成27年の日韓慰安婦問題合意は、この判決による韓国政府の行政不作為の違憲状態を解消するためのものでした。いはば、韓国政府の不作為違憲の状態を、本来であれば合意する必要のない我が政府が韓国政府の救済のために譲歩した合意なのです。もし、これでも不充分であり韓国政府の不作為違憲が解消されてゐないといふのであれば、これについて新たな憲法訴訟を提起して憲法裁判所の判断を求めなければなりません。それがなされてゐないのですから、文在寅政府は、この合意を合憲であるとして履行する義務があります。

仮に、慰安婦問題が請求権協定の時期においては認識されてゐなかつたとしても、最終的には平成27年の合意によつて不可逆的に解決したのですから、すべては韓国政府(文在寅政府)が責任を持つて国内的処理をする義務があるのです。


また、平成30年10月30日に、韓国の大法院(最高裁判所)は、新日本製鉄(現日本製鉄)に対する損害賠償を命じましたが、これは、李宇衍(イウヨン)らの研究者グループが立証したとほり、原告の4名は韓半島に徴用令が施行される昭和19年9月以前の「募集工」であり、「徴用工」ではありません。また、半島出身労働者と内地労働者との能力給における賃金格差は無く、しかも、原告4名の賃金未精算分が僅少であつたことから、未払賃金の問題として処理するのでは韓国における反日種族主義により我が国を断罪する根拠が見出せないとの政治的理由により、日韓併合条約は韓半島を収奪した「植民地支配」といふ犯罪的違法行為であるとの虚構により、この事案は請求権協定の範囲外であるとした上で消滅時効の適用を無視し、「慰謝料」請求権を認定しましたが、これはあくまでも私人間の民事訴訟です。

そして、この支払については、請求権協定とその後の関連協議、さらに盧武鉉政権の政策によつて、韓国政府が個人請求権については第三者弁済ないしは免責的債務引受に合意して履行してきたのですから、その一切の支払義務はすべて韓国政府(文在寅政府)にあることは明らかなのです。


このやうに、これらの判決は、日韓における戦後の条約や合意が韓国の憲法に違反して無効であつたとはしてゐないのであつて、違憲ではない条約には当然に韓国政府に遵守義務があるだけのことであり、憲法優位説か条約優位説かの問題とは全く無関係なのです。文在寅の側近らが、憲法優位説なる言葉を詐術的に用ゐたことから、議論が混乱して錯綜しただけです。

そして、これらの議論に便乗した条約優位説の論者から、これがあたかも憲法と条約との優劣に関する議論であるかの如く喧伝され、火事場泥棒的に我が国で問題が提起されたことがあつたのです。


それは、これまで知り得る限りでは次の二例です。


まづ、一つ目は、国際法学者の篠田英朗の言説です。


篠田については、『ちくらのおきど』の平成29年11月1日付けの『第八十六回 篠田英朗の憲法論』で述べたことがあります。


篠田は、その著書『ほんとうの憲法 戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)の冒頭に、長谷部恭男と杉田敦の対談「平和主義守るための改憲ありえるか」(平成27年11月29日付け朝日新聞)において、長谷部が「法律の現実を形作っているのは法律家共同体のコンセンサスです。国民一般が法律の解釈をするわけにはいかないでしょう。国民には法律家共同体のコンセンサスを受け入れるか受け入れないか、二者択一してもらうしかないのです。」といふ言葉を引用したとほり、このむくつけき「法律家共同体」といふ憲法解釈ギルドに入れて貰へないことの恨み節を述べてゐました。


そして、近著の『憲法学の病』(新潮新書)でも、これをさらにエスカレートさせ、帯封には「問題は憲法じゃない、憲法学者だ!」とあり、問題の憲法学者として、宮澤俊義、芦部信喜、長谷部恭男、石川健治、木村章太の名前を挙げ、さらに、本文中には、小林直樹、樋口陽一、高橋和之、佐藤功、高見勝利、清宮四郎、鵜飼信成などの東大系憲法学者を十把一絡げにして、その憲法学を「ガラパゴス憲法学」とまで批判してゐます。


しかし、占領憲法の解釈学を「ガラパゴス憲法学」と揶揄するのは言葉としても相応しくなく、褒めすぎの感があります。ガラパゴス(諸島)は、固有の独立した現実の生態系を持つてゐるもので、占領憲法解釈学のやうに、現実から遊離した虚構の憲法学をガラパゴスに比定することはできません。

占領憲法の解釈学は、非現実的な虚構のものであり、「バーチャル憲法学」と云ふべきものです。

ともあれ、確かに、占領憲法をバーチャル化した責任が東大憲法学にあることはその通りですが、単に、これらの学者が問題だとして個人攻撃するだけで、より根本的な学術的視点から、占領憲法自体が問題であるとの問題意識が完全に欠落してゐます。


篠田は、特に、バーチャル化の元凶である八月革命説の欺瞞性を徹底して論述してゐますが、これから帰結されるものとしては、占領憲法が憲法として無効であるとすることしか導かれないのですが、それが言へないのは、やはり篠田もまた占領憲法が憲法として有効だとするバーチャル化した議論の土俵の上で東大憲法学を相手に相撲をとるといふ大いなる矛盾を露呈させる結果となつてゐるのです。その土俵自体がバーチャルなのが問題なのであり、目糞が鼻糞を笑ふが如きです。


篠田は、早稲田大学の出身です。早稲田大学と云へば、占領憲法が講和大権の特殊性によつて合法的に制定されたとする見解を唱へた有倉遼吉を思ひ出します。


篠田もまた、憲法学者に対する人的批判に終始するのではなく、その矛先を、学術的な視点から占領憲法自体に向けて、有倉遼吉の述べた「講和大権の特殊性」なるものをより深く掘り下げて貰ひたいものです。


ところで、篠田は、自己が条約優位説、憲法学者が憲法優位説を採つてゐることから、今回の韓国の問題に決定的な結論の相違があると云つてゐるのではありません。ただ、ネット上(平成30年11月12日付け『韓国大法院判決と日本の憲法学の「憲法優位説」』)において、こんなことを云つてゐるだけです。


「日本人にとって今回の韓国大法院の事件は、国際法の重要性を思い出す、いい機会になった。一方的に「憲法優位説」を唱えることの危険性と、「中間に位置する」立場から「調整」をすることの重要性を思い出す、いい機会になった。」

「今回の事件の背景には、国際法の要請と、国内法律論との間の「調整」の問題がある。日本も無関係ではない。」


つまり、この韓国問題を切つ掛けに、直接は何の関係もない占領憲法に関して、「憲法優位説だけではなく、条約優位説があることを忘れないでね!」といふ便乗型の意見広告をしただけなのです。


また、次に挙げるのが、社会学者の橋爪大三郎の言説です。


同じくネット上で、橋爪の『韓国・文在寅、世界中があきれる「無知」と「異常」のヤバすぎる正体』(2019.8.22)などがあります。


ここで述べられてゐる主張は概ね同意できるとしても、文在寅批判に便乗して、行き掛けの駄賃として述べられた次のことは、到底賛成できません。


橋爪は、「憲法より条約が優位」との小見出しで、我が国の敗戦に関し、次のとほり述べてゐるのです。


「日本国はこの時期を、どのようにくぐり抜けたのだろうか。日本は、連合国の「ボツダム宣言」を受諾した。ポツダム宣言は、日本の無条件降伏を要求している。カイロ宣言への言及もある。日本の領土は、日本列島と附属する島々、に限定する、すなわち、台湾、朝鮮半島、そのほかは日本の領土でなくなる、という内容である。日本政府は、ポツダム宣言を受諾すると回答した。これは、条約(無条件降伏の受諾)としての効力をもつ。1945年9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ号甲板で、日本側と連合国代表により、降伏文書(停戦協定)が調印された。天皇は、連合軍最高司令官に従属する、と定めてあった。ポツダム宣言の確認である。日本軍は降伏し、日本は保障占領された。日本は主権を奪われ、外交権を失い、独立を失った。連合軍最高司令官の発する「指令」が、日本の法令を超えた効力をもった。憲法よりも条約が優位であることが、ここでも明らかである。」


このうち、「無条件降伏」といふ点は知的怠慢による誤つた主張に過ぎませんが、マッカーサーの「指令が、日本の法令を超えた効力をもった。」ことを「憲法よりも条約が優位であること」の根拠としてゐる点は、無条件降伏の誤り以上に一知半解による誤つた主張です。


ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印は、帝国憲法第13条の講和大権に基づくものであり、その後の占領期におけるGHQの占領統治については、帝国憲法第8条の緊急勅令に基づく措置ですから、すべては帝国憲法体制下で整合性のあるものだつたのです。


つまり、帝国憲法下で占領統治が行はれ、その後に帝国憲法第13条の下で講和独立が果たされて今日に至つてゐます。交戦権といふのは、講和権を含むものですから、交戦権のない占領憲法では、サンフランシスコ講和条約など一連の講和条約を締結することはできないのです。

この時点でも、そして今でも、未だに帝国憲法が現存してをり、その憲法下の下位法規として、帝国憲法第76条第1項で認められた占領憲法といふ講和条約が存在してゐる状況です。


占領憲法第98条では、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」(第1項)として、占領憲法に違反して効力を有しないとする法令の中に「条約」が含まれてゐないことに加へて、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」(第2項)と定めてゐることが条約優位説の根拠と主張されるのですが、講和条約説によれば、占領憲法自体がそもそも講和条約の効力しかないものですから、他の条約とは「同列」であることは当然でもあるのです。


そもそも、帝国憲法の講和大権及び条約大権に基づいて成立する条約が、その存在根拠である帝国憲法よりも優位であるといふのは、法理論的に到底成り立ちません。にもかかはらず、我が国において、「日本国憲法」といふ名称で憲法であると偽装された講和条約である占領憲法とその他の条約との優劣関係を論ずるのであれば、後法優位の原則に基づくことになりますが、現状のやうな国内法体系と国際法体系とが混在混同してゐる状態で議論しても意味がありません。

そこで、これらの輻輳した関係を立憲主義的に正常な状態に回復させるためには、再び帝国憲法第8条の緊急勅令によつて、国際法的には占領憲法といふ講和条約の破棄通告を行つて、国内法的には、改めて帝国憲法を改正するといふ復原改正を行ふことになりますが、これらの理論的、手続的な説明については、『國體護持総論』及び『占領憲法の正體』に詳しく解説してゐます。


つまり、誰が何を云はうとも、我が国に於いて、帝国憲法が現存し、帝国憲法優位説は揺るがないといふことです。


南出喜久治(令和元年9月15日記す)


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