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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百三十五回 児相問題とは何か

たれよりも うからをさきに まもりけむ わがみすてても すすむこころね
(誰よりも家族を先に護りけむ我が身捨てても進む心根)


(総論)


児相問題(児童相談所問題)とは、鳥瞰的な視座から法体系を捉へたとき、家庭内の問題はできる限り法が関与せず原則的に自治的解決がなされることを保障すべきであるとする「法は家庭に入らず」といふ古代ローマ法以来の普遍法を根底から否定し、極度の監視社会へと変容させる虞のある事象の問題として位置づけられる。


ロシア革命におけるレーニンの懐刀と呼ばれた女性革命家アレクサンドラ・コロンタイは、革命を完成させるためには、家族の解体、夫婦の解体、世代間の分断によつて、次代へと伝承されるこれまでの文化のすべてを否定することにあるとした。いまや児相の役割は、この政策に近似するやうに、家族の崩壊と親子の絆を断ち切ることを促進して、社会の共同体として統合しうる「土の民」から個人と個人とが全く結び付かない孤立した「砂の民」へと変容させる緩やかな革命を推進する組織体であると言つても過言ではない。


児相に弁護士を配置し(児童福祉法第12条第3項)、学校にも弁護士を派遣すること(文部科学省方針)によつて、教育を含む児童の生活全般を行政が監視し、家庭の自治を制限ないしは否定する方向が強化され、一時保護によつて親子の絆を分断することを促進させる。予算制度からして、弁護士は雇主である児相や学校の方針(一時保護の促進)に逆らふことができない。このことは、児相と提携した精神科医(病院)も同様である。刑務所と同様に、管理効率を高めるために、児童を施設内で大人しくさせるための向精神薬を平気で児童に投薬する。精神科や心療内科の医師の殆どは製薬産業を中核とする精神医療産業の僕となつてゐる。また、教師も学校も児相には逆らへない。しかして、児相と教師(学校)と精神科医(病院)と弁護士(弁護士会)の「四人組」が政府の方針に追従する組織的な走狗の協働によつて、監視社会が一層深化して行くことが児相問題の本質なのである。


(児童保護に関する法制度)


敗戦直後において、戦争孤児、浮浪児の保護政策としての児童福祉法(児福法、昭和23年1月1日施行)が制定された。第33条(一時保護)による児童の保護については、その当時の親からすると、もし生き別れで生存してゐたとすれば、親は児相が子供を一時保護をしてくれたことを感謝し得た社会状況にあつたが、現在では、児相は、親と敵対してまで児童を拉致して一時保護を行ふことが常態的になつてゐる。


同条は、「必要があると認めるとき、・・・行わせることができる。」とあり、期間は2か月で、その更新には回数の制限はない(現在は、更新の場合は家裁の承認が必要となつた)。


他方、警察官職務執行法(警職法、昭和23年7月12日施行)第3条(保護)では、「迷い子・・・を保護しなければならない。」とあり、24時間が限度で、これを延長する場合でも5日間が限度で、しかも、簡易裁判所の許可状が必要となる。


このやうに、児福法と警職法とは同じ時期(非独立占領期)に制定された法制度であるが、児童の保護に関する規定内容とその運用には著しい偏頗性がある。


「できる」(児福法33条、警職法2条=職務質問)と「しなければならない」(警職法3条)との法文の区別は明確であり、前者は任意、後者は強制である。


高度経済成長期を経て戦争孤児や浮浪児が存在しなくなつた現在では、一時保護制度を含む児福法の制定及びその運用を基礎づける合理的な事実(立法事実)が消滅してゐるので、この制度をこのまま維持運用することできないはずである。ところが、これをそのまま維持運用するどころか、さらに児相の権限を一層強化するといふ逆行した改正がなされてゐる。しかし、格差の拡大と児童の貧困化がこの逆行の傾向を下支へし、底上げしてゐる感がある。


厚労省の『児童相談所運営指針』の「一時保護の強行性」には、「一時保護は原則として子どもや保護者の同意を得て行う必要がある」とあるが、これが全く守られてゐないのである。


つまり、原則(強制性なし、親権者の同意)と例外(強制性あり、緊急性と補充性、親権者の同意不要)との逆転運用が恒常化してゐる。緊急性のない事案であつても、親の同意がないまま一時保護を強行する。親が知らないうちに、学校から、病院から、直接に児童が拉致されるケースが大半である。


24時間の短い保護を「保護」(警職法第3条)言ひ、2か月に及ぶ保護を「一時保護」といふ言葉のアンバランスもさることながら、この一時保護が際限なく更新されて長期化してゐる。「長期拘束」であるのに「一時保護」といふのは、まさにブラックユーモアの類ひである。


三(現在の予算制度の問題点)


警察の予算(任意捜査と強制捜査を含めた総予算制)と児相の予算(保護単価制、積算制、拉致報奨金月額約40万円)との予算制度の相違こそが、児相問題をより根深いものにしてゐる。


警察は、予算制度と憲法の令状主義によつて濫用に対する抑制を受けるが、児相には予算が青天井で際限がなく、令状主義の適用もない上に、事前又は事後における公正な第三者機関によるチェックもなく、一時保護の濫用に対する歯止めが全くないといふ制度的な欠陥がある。


児相には予算が潤沢にあるため、予算の乏しい警察は、児童の「虐待」が疑はれる場合に、その犯罪性の有無を捜査することなく、ほぼ全ての案件について、児童虐待の防止等に関する法律(児虐法)第6条の「虐待通告」を児相に行つてゐる。その警察による虐待通告件数の著しい増加が統計上の児童虐待相談件数を押し上げてゐる。


しかし、この現象は、警察が、児童が被害者となる暴行、傷害、保護責任者遺棄罪などの犯罪の嫌疑がある場合についての捜査権を放棄して、捜査に全く素人の児相にこれを丸投げしてゐることになる。我が国の児童は、親や施設側が加害者となる犯罪の被害者であつても殆ど保護されず、児相の無為無策によつて警察が関与する事態となつたときには既に児童の被害がさらに拡大して手遅れになるやうな理不尽な環境に児童が置かれてゐることになる。これらのことは、すべて予算制度の歪みが遠因となつてゐるのである。


四(児相の運用上の問題)


児相は、家族(親子)の再統合を実質的に否定する。児童の拘束が長期化し、親子は完全隔離される。その方が予算を多く獲得できるからである。


児虐法第12条の面会・通信の全部制限(禁止)が恒常化してゐる。児童を父母に面会させると、帰宅したい児童の気持ちが強くなり、その気持ちを抑へさせるための説得と懐柔をすることに労力と時間を要して支障が出るために、親子の面会・通信を禁止して完全隔離する。また、親と面会させないために、児童が親と会ひたくなくなるやうな虚偽の情報を提供する。面会・通信をさせなければ、施設内での待遇の悪さや虐待の事実、さらには、児相が提供した情報が虚偽であつたことの発覚を防ぐことができるのである。


児虐法第2条の「虐待」概念が犯罪的違法性の有無を明記しない曖昧さのため、恣意的運用がなされてゐる。ついに、親の懲戒権である体罰まで虐待とし、有形力の行使を伴ふ教師の教育的指導(平成21年4月28日の最高裁判所第三小法廷判決は肯定)まで否定する傾向にある。


一時保護所や児童養護施設(昔の孤児院)などの施設内で虐待があつても、これを組織的に隠蔽する体質がある上、これらを監視、調査する公正な機関や制度がない。


一時保護処分についての審査庁に対する審査請求や家庭裁判所の児福法28条(措置請求)の承認審判及び行政事件などでは、隔離された親子の再統合を実現する可能性が皆無に等しい状況にある。インフォームド・コンセントの制度(最二小判昭56・6・19判時1011号54頁)やセカンド・オピニオンの制度について、裁判所はこれを無視するので、公正な裁判なるものは幻想に近い。裁判所は、児相の主張をそのまま採用する傀儡機関に等しい。


厚生労働省及び児相は、児童の権利に関する条約に違反した運用を継続し、国連の勧告を完全に無視してゐる。


児童を拘束すべきことを判断する機関と家族(親子)再統合のための相談・指導・支援等を行ふ機関との分離がなされてゐない。これでは、児童相談所ではなく児童の強制収容所である。児童を拘束すればするほど予算的利益を得る児相が、親子の再統合によつてその予算的利益を放棄することは制度的に矛盾するのであるから、これらは、国際水準のとほり分離独立したそれぞれ別の機関に担はせるべきである。


かくして、敗戦とGHQの占領政策を奇貨として造反した「敗戦利得者」の宮澤一派によつて東大法学部は乗つ取られたのである。


被収容児童数の一定以上の確保がないと児相の傘下にある児童養護施設等を運営する社会福祉法人の経営が成り立たないので、児相は、施設経営に必要な相当数の一時保護児童や被収容児童を常に確保して施設に送り込む必要がある。これは、まさに施設経営支援法である。


収容対象の児童が少子化で激減するために、被収容児童を確保する目的で一時保護の児童の対象を18歳から20歳までに引き上げた(平成28年法律第63号)。今後は、22歳(大学卒業年齢)まで引き上げる予定。いづれ成人収容所となる。その伏線として、自立援助ホーム(児童自立生活援助事業)の対象を大学等に在学中で満22歳になる年度の末日までにある者まで拡大してゐる。


五(親権と児相の措置権との関係)


児福法第47条(親権代行等に関する規定)の違法な運用がなされてゐる。施設等が児童に対して行ふ措置の権限(措置権)は、親権を否定できるものではない。


施設等による措置は「児童等の生命又は身体の安全を確保するための緊急の必要があると認めるときは、その親権を行う者・・・の意に反しても、これをとることができる。)とされてゐるが、緊急でない事項についても、実際は親権を全く無視した措置がとられてゐる


怪我や疾病などによる医療的な措置については、インフォームド・コンセント及びセカンド・オピニオンが求められる。しかし、児相や施設は、これを全く無視して、児相の独断で行ひ、親権者の事前承諾または事情においては事後の報告を全く行はず、児相が決めた医療措置以外の医療方法等の有無を検討するため、施設と提携してゐない医療機関での診察などは絶対に行はせない。


成人についても副反応や依存性の問題がある向精神薬などを親権者の同意なくして児童に投薬して薬漬けにしてゐる事案が多くあり、児童を廃人化する危険がある。

児福法第47条の措置は、親権を否定するものではないにもかかはらず、民法834条の親権喪失の審判(虐待、悪意の遺棄、親権行使が著しく困難または不適当、子の利益を著しく害するとき)又は同法第834条の2の親権停止の審判(親権行使が著しく困難または不適当、子の利益を著しく害するとき)によることなく、親権が喪失ないしは停止されたものの如く、民法第834条及び同第834条の2の規定を完全に無視した勝手な措置が行はれてゐる。


六(児相による離婚の奨励)


児相は、夫婦の対立・紛争を奇貨として、児相の方針に反対する配偶者を排除してその親権を剥奪するために離婚を奨励し、あるいは離婚すれば児童との面会・通信を許すとの条件を押しつけるケースが増えてきた。


離婚は、夫婦の問題であり、親子の問題ではない。それゆゑ、離婚によつて一方の配偶者の親権を剥奪し、親権を停止するのであれば、それは民法第834条及び同第834条の2の親権喪失及び親権停止の場合と同等の事由が要求されるべきである。親権を濫用してゐない一方の配偶者が離婚だけを理由として親権が剥奪されることに合理的理由がない。これは、個人としての尊重がなされず、法の公平、平等な運用を求める憲法第13条、第14条に違反する。


しかし、児相は、夫婦の問題と親子の問題とを混同し、同一視しようとする論理として児虐法第2条の「虐待」の概念を濫用する。児童が夫婦間の紛争の煽りを受けたことによつて第3号の育児放棄(ネグレクト)(児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。)の被害を受けたとか、第4号の心理的虐待(児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。)を受けたことに該当するとして、虐待の概念を際限なく拡張させ、児相利権を拡大し続けてゐるのである。

南出喜久治(令和元年10月15日記す)


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