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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百七十二回 飽和絶滅の危機 その十六

ほやのきが はげしくしげる そのはてに さくらほろびて ともにつひゆる
(ほやの木(宿り木)が激しく茂るその果てに桜(宿主)滅びて共に潰ゆる)


私が、これほどまでに確固たる反ワクチンの態度を表明するに至つたのは、これまでの長い考察によつて到達した結論です。


平成22年6月24日にこのことを表明し、同年7月23日に『子宮頚がん予防ワクチンの危険性』を発表したのですが、その後、様々な妨害等を受けてきました。

しかし、それから数年後に、子宮頸がんワクチンのことで取材したいとのことで、フリージャーナリストの斎藤貴男といふ男からの要請を受けて東京で会つて取材を受けたことがありました。

これが記事になるとしたら、反ワクチン運動を大きく盛り上げてもらへるのではないかと期待しました。


そのとき、斉藤は、サンデー毎日に記事を売り込んで掲載させる予定と言つてゐましたが、結局はその記事は掲載されなかつたらしいです。今もさうですが、反ワクチンの論調は逆風の時代だつたからでもありました。


ところが、平成27年4月24日、集英社インターナショナルから著者からの贈呈として、斎藤貴男著『子宮頸がんワクチン事件』を送られてきました。

早速これを斜め読みすると、主要参考文献に私が5年前に発表した『子宮頸がん予防ワクチンの危険性』が記載されず、本文にもこれが引用、紹介されず、「あとがき」のところで、こんなふうに書いてありました。


「ジェンダー(社会的・文化的な性のありよう)のテーマに引き寄せたHPVワクチン論。本文では触れられませんでしたが、実は南出喜久治さん(一九五〇~)という弁護士が二〇一〇年七月にネット上に公開した「子宮頸癌ワクチンの危険性」という論考があります。〈日本人をモルモット代わり〉〈壮大な人体実験〉などといった表現も目立つものの、早くから海外の情報を収集し、今日の知見を先取りもしていた、貴重な文献です。南出弁護士は、一方で、大日本帝国の現存を宣言している「國體護持塾」の塾長でもあります。二〇〇六年に山形県鶴岡市で加藤紘一・元自民党幹事長の実家に放火した右翼団体幹部の弁護も担当していました。日頃は国家体制や巨大資本に近い人びとが、このワクチンに対しては敵意をむき出しにする傾向があるのに興味を引かれます。」


これを見て、斎藤の私に対する強い悪意を感じたので、直ぐに斎藤の自宅に電話して次の点に関して抗議しました。


そもそも私の論文は「子宮頚がん予防ワクチンの危険性」といふ題名であること、「今日の知見を先取りもしていた、貴重な文献です。」としながら、「主要参考文献」に記載してゐないこと、「〈日本人をモルモット代わり〉〈壮大な人体実験〉などといった表現も目立つものの」といふ表現は、私の論文の趣旨を紹介するには偏頗性があること、大日本帝国憲法の現存を宣言してゐるのであつて、大日本帝国の現存を宣言してゐるのではないこと、私の弁護活動を紹介するとしても堀米事件だけを意図的に紹介することに違和感があること、私が「日頃は国家体制や巨大資本に近い」とするのは全く誤りであること(その対極にあり、最も遠い関係であること)、私の論文がこの問題提起の嚆矢となつたことが評価されてゐないこと、全体として、この問題提起における私の貢献度を軽視し、私の言動を否定的に紹介して揶揄したやうな表現になつてゐること。


斎藤は、はじめはグタグタと言ひ訳けをしてゐましたが、最後には非を認め、増刷発行の際には訂正すると約束しました。こんなものが増刷できるとは全く思つてはゐませんが、もし、さうなれば当然のことだと思つて受け入れました。


しかし、斎藤がこれほどまでに私を貶める記載をした本音としては、「右翼の弁護士が左翼の弁護士による訴訟ビジネスの先鞭をつけた結果になつたことは屈辱的な事実であるから、できる限りこの事実を伏せたい」といふところにあるのだらうと思ひました。


しかし、私は、ワクチン訴訟ビジネスには全く関与する気持ちはありませんし、被害者側の訴訟代理人にはなつてゐませんが、今もワクチン禍の被害者に寄り添つた活動をし続けてゐます。


しかし、斉藤に電話した後で、ふと思ひました。


私たちは、「大日本帝国憲法の現存」を認識するものの、「大日本帝國の現存」を明確に意識するものではなかつたことです。


これまで憲法論から出発した論理を展開してきましたので、帝國憲法が現存するといふことの確信はありましたが、この帝國憲法は、大日本帝國の憲法であることからして、帝國憲法の現存は、大日本帝國が現存してゐる指標であることに気付かされました。


ワクチン訴訟が展開されてゐる中で、私が斉藤と揉め事を起こすと、ワクチン被害者らの動揺を生んだりして迷惑をかけることになると自重して、これ以上は斉藤と関はりあることを止めることにし、逆に、こんな重要なことを左翼ジャーナリストに教はつたことを率直に認め、大いに反省し、これに気付かせてくれた斎藤に感謝しなければならないと思つた次第でした。


ともあれ、国際オロチによるワクチン利権の推進は、尋常のものではなく凄まじいものです。反ワクチン運動を分断させてその力を削ぐことに熱心なのは当然のことで、この問題の嚆矢となつた私に対する排除の企図もその一環です。


わが国政府や全政党が子宮頸がん予防ワクチンの全国的な普及に血道を上げたのと同様に、否、それ以上に支那コロ(武漢ウイルス)については、大々的なものです。


この有様は、おそらく、占領憲法を正しい憲法だと大々的に全国的な洗脳運動を展開した「憲法普及会」を彷彿させるものです。


「憲法普及会」といふのは、国家による臣民の洗脳組織です。この運動は、占領期になされたれた臣民に対する最大の洗脳工作であり、全国組織的な洗脳運動を推進する母体として、昭和21年12月1日、帝国議会は、「憲法普及会」を組織しました。


これが、官製の洗脳運動の始まりです。この憲法普及会は、衆貴両議員を評議員とし、評議員と院外者(学者、ジャーナリストなど)の中から理事を選任し、会長は芦田均(衆議院議員)、事務局長は永井浩(文部官僚)が就任。院外者の理事には、河村又介(九大・憲法)、末川博(立命館・民法)、田中二郎(東大・行政法)、宮澤俊義(東大・憲法)、横田喜三郎(東大・国際法)、鈴木安蔵(憲法)などの学者の他、ジャーナリスト、評論家では、岩淵辰雄、小汀利得、長谷部忠などが就任しました。


この中央組織の下に各都道府県に支部が翌年1月から3月までにつくられ、京都支部以外の支部長は各都道府県知事が就任し、その支部事務所は各都道府県庁内に設置されました。まさに、占領憲法による洗脳運動の「大政翼賛会」であり、その活動はGHQの指図に基づいたものでした。


そして、翌昭和22年1月17日、憲法普及会の常任理事会が首相官邸で開催され、GHQ民政局員のハッシーとエラマンが出席しました。全国を10区域(東京、関東、北陸、関西、東海、中国、四国、九州、東北、北海道)に分け、各地区で4日ないし5日間の日程で講師による中堅公務員の研修を實施することを決定し、これに基づき、同年2月15日、憲法普及会が東大法学部31番教室で664名の公務員(各省庁及び警察庁から約50名づつ)を集めて憲法研修会を実施(同月8日までの4日間)しました。その演題は、「開講の辞」(会長・芦田均)、「新憲法と日本の政治」(会長・芦田均)、「近代政治思想」(東大講師・堀眞琴)、「新憲法大観」(副会長・金森徳次郎)、「戦争放棄論」(東大教授・横田喜三郎)、「基本的人権」(理事・鈴木安蔵)、「国会・内閣」(東大教授・宮澤俊義)、「司法・地方自治」(東大教授・田中二郎)、「家族制度・婦人」(東大教授・我妻榮)、「新憲法と社会主義」(代議士・森戸辰男)、「閉講の辞」(事務局長・永井浩)といふものでした。


憲法普及会編『新憲法講話』(昭和22年7月発行)は、非売品として5万部印刷して憲法研修会にテキストとして使用されました。横田喜三郎は、その中で、自衛戦争を否定し自衛権は制約されるとして次のやうに主張してゐました。


つまり、「自衛の戦争といえども、今後は戦争をいっさい行わない」、「外国から急に攻められるような場合には、一応自衛権を認めるけれども、国際連合がその自衛権が正当か否かということを判断して、その後は国際連合が引受けることとし、国際連合が活動できない暫定的の間だけ、自衛権を認めることになっております。」といふ極めて間の抜けた主張をしてゐました。


ちなみに、横田喜三郎は、昭和26年9月8日の桑港条約(サンフランシスコ講和条約)と旧安保条約調印後に、一転して、自衛権を一般的に肯定し、武力なき自衛権の行使として米軍駐留と基地提供を認めるに至り(『自衛権』(有斐閣)昭和26年)、その変節の功績によつて最高裁判所長官へと上りつめたのでした。


ともあれ、占領憲法が「ただしい、すばらしい」といふ洗脳書は、この『新憲法講話』以外にも、内閣法制局閲『新憲法の解説』(昭和21年11月発行)があります。これは、全文94頁のもので、20万部発行されました。さらに、一般国民を対象とした憲法普及会主催の講演会を全国各地で開催しました。一例を挙げれば、群馬県では382回、6万人余の受講者を動員しました。また、石川県では108回、1万2000人、長野県では56回、1万4000人を動員したのです。


そして、憲法普及会編『新しい憲法 明るい生活』(昭和22年5月3日発行)に至つては、全文30頁のもので、それを2000万部発行しました。この部数は、当時の全世帯数に相当する部数です。これを各戸配布したのです。


その中で、芦田均は、「新しい日本のために」と題する文を掲載し、「新憲法は、日本人の進むべき大道をさし示したものであって、われわれの日常生活の指針であり、日本国民の理想と抱負とをおりこんだ立派な法典である。」と、歯が浮くやうな軽率な言葉で洗脳に加担したのです。この『新しい憲法 明るい生活』は、憲法普及会と文部省教科書課が第一稿を作成し、東大の横田喜三郎と田中二郎が推敲して、芦田均と金森徳次郎が審査した後、GHQ民政局員ハッシーが監修したもので、明確な洗脳文書です。これを投票用紙の配布と同様の方法で全戸に無料配布したのです。昨今の教科書の偏向どころの騒ぎではありません。

さらに、洗脳の仕上げとして、全国から懸賞論文の募集をしました。審査委員は、芦田均、金森徳次郎、宮澤俊義、横田喜三郎です。また、制作指導や資金援助をした映画も作られました。『新憲法の成立』、『情炎』、『壮士劇場』、『戦争と平和』などです。


それだけではありません。児童向け短編映画、幻灯、紙芝居、カルタなど、臣民のすべての階層を洗脳したのです。音楽では『われらの日本(新憲法施行記念国民歌)』、『憲法音頭』まで作られて、すべての行事に演奏されました。新憲法施行記念式典では、『君が代』ではなく、「平和のひかり 天に満ち 正義のちから 地にわくや われら自由の 民として 新たなる日を 望みつつ 世界の前に 今ぞ起つ」といふ歌詞の『われらの日本(新憲法施行記念国民歌)』が演奏されました。まさに、国民洗脳運動が官民、GHQの総動員体制で繰り広げられたのです。


このやうな憲法普及会の洗脳運動と、いまの支那コロのワクチン騒ぎとよく似てゐると思ひませんか。そして、わが国のチンピラ左翼どもが、憲法普及会の凄まじい洗脳については勿論のこと、いまの支那コロワクチンの安全性、有効性の洗脳運動を全く批判しないのは、斉藤がその著作の中で私に放つた批判である「日頃は国家体制や巨大資本に近い」といふ言葉を熨斗を付けて贈呈したいのであります。


南出喜久治(令和3年6月1日記す)


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