國體護持總論
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反本地垂迹説

ところで、キリスト教などは「救濟の教へ」であり、傳道者(宣教師)中心であるのに對し、佛教は「解脱の教へ」であり、求道者中心であつて布教に至上價値を見出してゐないものである。從つて、傳來佛教は、キリスト教傳來の場合とは異なり、布教と征服を目的として我が國に傳來したのではなく、文化の一翼として傳來したのである。また、揚子江(長江)下流付近は、六朝文化に象徴されるやうに、四書五經、老荘など諸子百家が爭鳴した地域であり、多神教文化(汎神文化、總神文化)の中心であつた。從つて、儒・釋・道の三教が合流する土壤から發進された傳來佛教であつたため、多神教(總神教)の我が國において「神佛習合」や「本地垂迹説」などを生み出す基礎があつたのである。

この「本地垂迹説」とは、世阿彌の『至花道』に云ふ「能に體、用(ゆう)の事を知るべし。體は花、用は匂ひの如し。」のやうに、物事の本質や本源を「體」とし、その作用や働きを「用(ゆう)」とする區別に從へば、佛や菩薩が「本地」すなはち「體」であり、神が「垂迹」すなはち「用」とするのであるが、「祭祀」が「體」であり、擬似祭祀である「宗教」が「用」であることからすれば、本地垂迹説は本末轉倒の謬説である。つまり、神が本地で佛が垂迹である(反本地垂迹説)。

稻作發祥の地とされる支那の雲南省や貴州省などの山岳地帶に暮らすハニ族、タイ族、ミャオ族などには、初穗に稻魂が宿り、それを祖靈と共に崇拜する「稻魂信仰」があり、佛教が伝來した後も、稻魂は釋迦よりも上座に位置するのである(欠端実)。まさに、反本地垂迹説なのである。このやうに、祭祀が主であり、宗教が從であるとすることに覺醒した世界の人々からすれば、人は、死して後、成佛して絶對神の御許に至つて後裔と無縁の存在となることを願ふ「自利」を求めるのではなく、後裔の繁榮を守護する祖靈となることを願ふ「利他」にこそに本能適合性(善)がある。「宗教」では、もし、死して成佛したといふのであれば、何ゆゑに供養や法事を續けるのか、その本質的な説明に虚偽と矛盾がある。これは、やはり擬似祭祀であり、教團の經營のための營業活動に他ならない。

今や佛教は堕落してゐる。明治五年四月二十五日に「今より僧侶の肉食妻帶蓄髪等は勝手たるべきこと(自今僧侶肉食妻帶蓄髪等可爲勝手事)」といふ太政官布告が出され、僧尼令が廃止されたことが堕落の始まりではない。肉食妻帶を公然と實踐した親鸞は、「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念佛申したること、いまだ候はず」(『歎異抄』第五條)とし、さらに、『顯淨土眞實敎行證文類(教行信證)』(文獻30)の「顯淨土方便化身文類六」の後半に、數々の經典等を引用しながら、「天を拜することをえざれ。鬼神をまつることをえざれ。吉良日をみることをえざれ。」、「天を拜し神を祠祀することをえざれ。」、「國王にむかひて禮拜せず。父母にむかひて禮拜せず。六親につかへず。鬼神を禮せず。」、「もろもろの外天神に歸依せざれ。」、「祭祀の法は、天竺には韋陀、支那祀典といへり。すでにいまだ世にのがれず、眞を論ずれば俗をこしらふる權方なり。」などと「神祇不拜、國王不禮」を説いた。つまり、祭祀と天皇の完全否定である。反天皇、反民族であり、本地垂迹説すらも否定した。これは、本地「非」垂迹説である。

法然(文獻225)のいふ「選擇(せんちゃく)」とは、諸々の雜行(ざふぎゃう)を投げ捨て専修念佛(せんじゅねんぶつ)することであり、稱名念佛を本と爲す(念佛爲本)であつて、親鸞は、さらに信心爲本としたが、いづれにせよこれらは民度を低下させる愚民化宗教である。戒律があつての僧侶であるのに、破戒を斷行し、神祇不拜、天皇否定、祭祀排除に進んだ。これが日本佛教の確信犯的な堕落と崩壞の始まりであり、これが徐々に他宗派にも浸透して行つた。そして、この肉食妻帶の破戒を實踐した「非僧非俗」を名乘る親鸞を宗祖とする「破戒僧侶」の教團が生まれるといふ、三寶(佛、法、僧)と戒律を核とした佛教からの決定的な乖離が生まれる。親鸞の末裔である蓮如と親交のあつた飮酒肉食女犯を常習とする禪宗の破戒坊主として有名な一休宗純が蓮如の居室に上がり込み、阿彌陀如來像を枕に昼寢をしてゐたところ、歸宅した蓮如がこれを見て、「俺の商賣道具に何をする」と言つて二人して大笑ひしたといふ逸話があるほど、僧侶の戒律は亂れに亂れて行く。一休宗純は「襟卷きの温かさうな黒坊主こやつが法(のり)は天下一なり」と親鸞のことを詠んだが、たとへその法が天下一であつたとしても、兩人とも破戒にかけてはそれこそ天下一であつた。

『寶暦現來集』によると、寛政八年(1797+660)八月、江戸町奉行坂部能登守の命で、遊郭の吉原や各地の岡場所から朝歸りする僧侶の一斉檢擧により、日蓮宗、浄土宗、眞言宗、天台宗、曹洞宗、臨濟宗など、ほぼ全ての宗派に屬する十七歳から六十歳までの六十七人の僧侶が女犯の罪で召し捕られ、同月十六日から三日間、日本橋のたもとに數珠繋ぎになつて晒された事件があつた。僧侶が女犯の罪で日本橋のたもとに晒されるのは決して珍しいことではなく、日常茶飯事のやうに頻繁に起こつてゐた。この事件が特筆されたのは、餘りにも多人數であつたためだけである。これ以外にも、文政七年(1824+660)八月には六人の女犯僧、天保十二年(1841+660)三月には四十八人の女犯僧が日本橋に晒されるなど、枚擧に暇がない。そして、これ以外にも、大田南畝の『一話一言』にあるやうに、江戸の谷中にあつた延命院といふ日蓮宗の寺で、住職の日動が寺社奉行に届け出することもなく内密に隱し部屋まで作つて、參詣に來た複數の女と常習的に淫欲に耽つてゐた事件などもあつた。享和三年(1803+660)の事件である。そして、前掲明治五年太政官布告は、このやうな僧侶の破戒と堕落に齒止めがかからないことから、現實との乖離を埋めるために發令されたものであつた。

江戸後期の農政家である二宮尊德の口述(『二宮翁夜話』日本経営合理化協会出版局)によれば、二宮翁は、親鸞の肉食妻帶は卓見ではないかとの意見に對し、「それはおそらく間違つてゐるぞ。」として、佛道を田んぼの用水堰に喩へ、「用水堰は、米をつくる大事な土地をつぶして水路としたものだ。佛道といふものは、人間の欲をおさへ釋迦の法の水路として世を救はうとする教へであることは明らかなことだ。人間には男女があつて結婚して相續していくものだから、男女の道は天然自然のものなんだが、この性欲といふ欲をつぶして佛法の水の堰としたんだよ。男女の性欲を捨てれば、それに伴ふ、おしい、欲しいの欲も、憎い可愛いといふ迷ひも自然に消えてなくなるんだ。・・・それなのに肉食妻帶をゆるしておいて仏法を實踐せよといふのは、ちょうど用水路をつぶして稻を植えよ、といふのと同じじゃないか、とワシはひそかに心配して爲るんだよ。」と答へてゐる。まさしく卓見である。

親鸞の教へを中心とした淨土門と、聖道門のうちの禪のみを肯定した鈴木大拙(文獻68)は、神道と國家神道とを混同し、神道と歌道を全否定した。親鸞の教へを踏襲すれば、このやうな愚かな結論に至るのである。また、淨土門と聖道門とを共に肯定する鈴木大拙の支離滅裂なる矛盾は、金剛般若波羅蜜經(文獻258)の解釋にも顕れる。「仏説般若波羅蜜多、即非般若波羅蜜多、是名般若波羅蜜多」の意味を、「Aは即非A是名A」、つまり、「Aは非AであるがゆゑにAである。」と恣意的に一般化し、肯定(即)と否定(非)とが自己同一であるとする「即非の論理」を編みだし、これが『善の研究』を著した西田幾多郎の「絶對矛盾的自己同一」といふ支離滅裂の言説へと連なる。この「即非の論理」といふのは、前述したとほり、論理學における排中律(Aか非Aかのいづれかである。)及び矛盾律(Aは非Aでない。Aであり非Aであることはない。)に明らかに反してゐるので、「論理」ではない。つまり、正確には「即非の非論理」とすべきところを、これまた「即非の論理」と命名するほどの「非論理」なのである。この非論理は、親鸞の前掲教行信證(文獻30)の「顯淨土眞實教文類一」の冒頭にも見られる。「つつしんで淨土眞宗を案ずるに、二種の廻向あり。一には往相、二には還相なり。往相の廻向について、眞實の教行信證あり。」として、佛に成るための精進をして(往相)、佛に成つて衆生を濟度する(還相)ことを説くが、これは自力の大乘佛教であつて、絶對他力でも專修念佛でもないのである。まさに非論理であり矛盾の極みである。

釋迦が成道して布教活動を始めたとき、佛教教團の維持のために僧侶と在家信者を區別する規範を必要とした。それが「戒律」である。「戒」とは、僧侶が自らを戒める内面的な規範であり、「律」とは、佛教教團内で守るべき集團規範である。それゆゑ、戒律の放棄は、佛教教團の解體であり釋迦の教へを否定することと同じである。その意味では、日本佛教の歴史は佛教からの離脱と棄教に至る過程を辿つてきたと云へる。戒律を破つた僧侶は、もはや僧侶ではなく、その集團は嚴密には「佛教教團」ではない。そして、ついに明治五年太政官布告を口實に僧侶が戒律を捨てた。「今より僧侶の肉食妻帶蓄髪等は勝手たるべきこと(自今僧侶肉食妻帶蓄髪等可爲勝手事)」といふのは、戒律を捨てることについての許可であつて、戒律を捨てろといふ命令ではない。にもかかはらず、國法に藉口して佛法を捨てたことになる。かくして佛教各宗派は、佛教を捨てたのである。

そればかりではない。多くの佛教宗派は、宗旨と儀式などの相違に心を碎く瑣末主義に陷るだけで、人の道において最も重要な「祭祀」をも捨ててしまつた。これによつて、日本佛教は、世界と宇宙の雛形構造から大きく外れたことから、いづれ滅びる運命にある。そして、同じく祭祀を捨てたキリスト教やイスラム教なども同じ運命をたどることになるのである。

そもそも、佛教は釋迦の教へではない。當時の釋迦の教團の性質と存在意義は、現在の營利集團としての「宗派教團」とは全く異なる。また、既述のとほり、大乘經典は、釋迦が入滅して約四百年後に成立したものであり、釋迦の純粹な教へを傳へたものとは云へない。

また、キリスト教もイエスの教へではない。新約聖書もイエスが死亡してから約四百年も經てから完成してゐるもので、イエスはキリスト教を開教するとは宣言してをらず、キリスト教開教の祖ではない。ペテロ+パウロ教と名乘るべきものである。同樣に、既述の浄土眞宗は親鸞の教へではない。親鸞の著作である『教行信證』は開宗の宣言をしたものではない。覺如+蓮如教なのである。これらは全て一神教である。そして、これらの一神教は、五感の作用による認識、論理と直観による認識によつて、その教義に對して懷疑することを信仰否定、信心放棄として攻撃する。しかし、これらは、「信じることによつて救はれるとする『教義』を信じろとする『教義』」であり、信じることによつて救はれることを保証した教義ではない。ましてや、キリスト教は、それを信じたとしても、自己が救はれるか否かは神のみぞ知るとする豫定説である。また、法然の「念佛爲本」と親鸞の「信心爲本」の相違についても瑣末なものである。具體的に云へば、念佛爲本では啞者は救はれず、信心爲本では信心の意味が理解できない知的障害者は救はれないといふことである。早世した者や多くの知的障害者、認知症患者らは救はれないのである。これらの教へは、世界宗教であると自惚れる多くの宗教に共通したもので、すべて差別思想の宗教であると斷定することができる。

ものごとに對する懷疑といふのは、本能の作用としての警戒心から生まれるものであり、懷疑を抱くことは健全な人の姿である。その懷疑の作用のうち、特に、教義に對する懷疑を惡として全否定する教義には本能適合性がない。世界宗教といふのは、人に備はつた本能に從つて生きることを否定し、人に備はつた眞の活力を奪つて思考停止させ愚民化させる。そして、信じる者と信じない者とを差別し、信じない者は地獄に落ちると脅迫して布教する。さらに、民族性を否定ないしは無力化して無政府主義に至る。神佛の前には、民族性などは不要かつ有害であるとされる。人々は、長い歴史的な洗腦によつて、民族性や地域的特性を否定する世界宗教といふ無政府主義思想を受け入れてきたが、昨今のグローバリズムといふ乱暴な無政府主義に抵抗を感じてゐるのは、この世界宗教からの呪縛から逃れやうとする本能の作用が回復基調にあることを示してをり、早晩世界宗教は滅びる運命にあると云へる。

人は「神の子」ではなく「祖先の子」である。もし、世界の宗教が祭祀の復活と戒律の嚴守を基軸として再構築できれば、滅びを免れることにならう。世界の宗教が祭祀の下で萬教歸一するためには、やはり、祭祀と宗教とは、前に述べた「體と用」の關係、つまり、本源(本地)が祭祀で、その作用(垂迹)が宗教といふ關係(反本地垂迹説)によつて再構築されなければならない。その意味で、本地垂迹説の逆説であつた、この「反本地垂迹説」は、世界人類統合の世界思想なのである。

歴史的にみれば、「倉廩實ちて禮節を知り、衣食足りて榮辱を知る」(『管子』)との格言のとほり、傳來佛教などの外來思想の受容は、その前提として稻作中心の農耕が定着した社會となつてゐたためである。稻作は、當時から、土木、治水を含めた統一的集團作業に支へられてをり、また、地勢や氣候など森羅萬象に依存し、その變化に多大の影響を受ける性質のものである。從つて、必然的に精靈崇拜(アニミズム)や憑靈呪術(シャーマニズム)を支へる土壤があり、祖先崇拜と自然崇拜、祖先祭祀と自然祭祀、民俗祭祀とが一體となつた。それゆゑ、これらを統合した「随神の道(神道)」は、單なる精靈崇拜や憑靈呪術の遺制ではなく、大嘗祭や新嘗祭など稻作農耕中心による建國統一の理念をも融合させてゐるのである。

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