國體護持總論
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帝國憲法の性質

帝國憲法は、君主制の政治制度を規定するものであるが、その性質は、「絶對君主制」の色彩の濃い「立憲君主制」の憲法體系であつた。

一般には、統治原理において、統治者と被統治者との間の自同性(identity)が認められる自律主義としての「民主制」と、この自同性が認められない他律主義としての「專主制」に分類し、後者の態樣の中に「絶對君主制」を含める。そして、「君主制」の態樣においても、原則的に「統治すれども親裁せず」とか、「君臨すれども統治せず」といふ態樣の「立憲君主制(議會君主制)」は、この「專主制」と「民主制」との混合形態であり、過去に主流であつた絶對君主制に對する民主化闘爭による妥協の所産とされてゐる。しかし、「どの實在國家も、嚴密にいふと、民主・專主兩制の混合形體を示してゐる」ために、民主制と專主制といふ分類はあまり實益がないものである。

つまり、帝國憲法には、一方では、絶對君主制的な特徴を持つ廣範な天皇大權が存在し、他方では、立憲君主制を基礎付ける議會制度及び内閣制度などが存在する。このうち、立憲君主制から導かれる議會制度や内閣制度の運用が未成熟であり、とりわけ占領憲法のやうな内閣の責任政治の原則を徹底しえない構造的宿命を持つてゐた。と言ふのも、「内閣」及び「内閣總理大臣」は、帝國憲法上の認められた正式な行政機關ではなく、國務大臣の集合體として憲法慣習上の地位が認められてゐたにすぎなかつたため、國務大臣の「輔弼」責任制度(第五十五條第一項)が、完全な内閣責任政治の原則(第三條)として解釋・運用がなされなかつたのである。しかし、歴史的にみても、我が國は傳統的に天皇が絶對君主であつた時代は少なく、絶對君主制としての完全運用にも無理があつた。しかし、帝國憲法に絶對君主制的傾向があると云つても、それは、天皇大權が存在するからであつて、この天皇大權も「統治權」に含まれるものであるから、「此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」ことになる。それゆゑ、帝國憲法は、嚴密に云へば、紛れもなく「立憲君主制」の憲法であつて、「絶對君主制」の憲法でないことは明らかである。また、ここでいふ帝國憲法に「絶對君主制」的傾向があるといふのは、決して帝國憲法が「天皇主權制」の憲法ではないことに留意しなければならない。典型的で完全なる絶對君主制といふのは、ルイ十四世の「朕は國家なり」といふものであるとすれば、これと「国王主權」とを區別することは極めて困難になる。しかし、「此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」とされる「天皇大權」(統治權)は、あくまでも憲法の枠内の権限であるのに對し、「天皇主權」は、憲法の枠外、つまり、憲法を超越した権限(憲法制定權力)であるので、兩者は全く異なるのである。

しかし、帝國憲法下の基本的政治形態は、天皇大權の行使態樣を絶對君主制的に單純に擴大することもできず、また、天皇大權を制約する方向で立憲君主制的傾向を單純に徹底することもできないといふ中間的・折衷的な君主制の政治形態であることから、いづれの方向にも振幅しうる可能性を秘めた法體系であつた。そこで、この絶對君主制的傾向に基づく權限領域でもなく、また、立憲君主制的傾向に基づく權限領域でもない、いはば、兩すくみとなつてできた空白の權限領域に國政擔當者が進出して、その空白となつた權限領域を取り込んで行くことはいはば當然の歸趨であつた。それは、直接には、官制大權と文武官の任免大權といふ天皇大權を定めた帝國憲法第十條の運用に由來する。この天皇大權は、理念として原則的に肯定しえても、實際上の運用には著しく限界があり、どうしても同條但書の「此ノ憲法又ハ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ條項ニ依ル」との規定によつて運用されることになる。人事については、帝國憲法第十條本文による原則的運用を停止して、例外である同條但書によつて運用する方がより立憲的であると解釋された。これは、原則と例外との逆轉運用である。そして、その逆轉運用による濫用の弊害を阻止しうる有效な手段と方法を帝國憲法が持ち合はせてゐなかつたことも最大の原因の一つであつた。

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