昭和二十三年五月
一日、海上保安廳設置。巡視艇二十八隻、職員一萬人が配備される。
三日、文部省と朝鮮人連盟との間で、「朝鮮人學校問題」が決着。在日朝鮮人連盟(朝連)が、閉鎖校をあらためて私立校として設立申請。
五日、文部省は、朝鮮人學校を私立學校として正式認可。
同日、ソ連から引揚げ再開、サハリンの千五百九十二人が函館港へ到着。
六日、天皇、マッカーサーとの第六回會見。
同日、シベリアからの引揚者二千一人が舞鶴港に到着。
十日、國連監視のもとで、南朝鮮で單獨總選擧が實施される。
十八日、ドレーパー賠償調査團が報告書發表(ドレーパー報告)。日本の賠償額は、ストライク報告のときよりも緩和され、約六億六千二百二十四萬圓。
二十七日、トルーマン米大統領が、「マッカーサー元帥のアメリカ歸國を希望」と表明。