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同工異曲の原発問題と安保問題

平成二十三年三月十一日に起こつた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と巨大津波、そして、これらによる福島第一原発の全壊事故の事後対応とその復興展望もままならない同年五月六日、菅直人首相は、中部電力株式会社に対し、近い将来に起こるであらう東海大地震の震源域に入つてゐる静岡県御前崎市の浜岡原発の原子炉すべてを一時停止するよう要請したと発表した。全面的な運転中止の要請にどのやうな法的根拠があるのかが不明であることもさることながら、なぜこの時期に浜岡原発だけなのか、それまでの安全宣言を撤回するのか、浜岡原発以外の全国すべての原発についてはどうするのかについての指針も全く示されてゐない。

しかし、この時点での浜岡原発の運転停止の当否を喧しく論ずる前に認識しなければならないのは、福島原発の東京電力も含め、全国の電力供給を担ふ主体が、政府機関ではなく、営利を目的とする民間の株式会社組織となつてゐる点にある。福島原発事故の事後処理についても、この浜岡原発の運転停止についても、政府の「命令」によるものではなく、政府が民間会社に「要請」しかできない仕組み自体に原発問題の根本問題の一つがある。営利を目的とする株式会社となつてゐるために、安全対策が疎かになるのは「民営化」の制度的な宿命なのである。

そもそも、原発は、どのやうにして我が国に導入されたのであらうか。広島と長崎が原子爆弾による無差別大量殺戮の被害を受けた我が国は、これに追ひ打ちをかけられたかの如く、昭和二十九年三月一日の米国の水爆実験によつて発生した多量の放射性降下物(いはゆる死の灰)を浴びた第五福龍丸の乗組員が被害を受け、「原子力(核)の恐怖」は国民的トラウマとなつて定着してしまつた。ところが、米国アイゼンハワー大統領の指令を受けた米国CIAは、読売新聞社主の正力松太郎を工作員に仕立て上げ、読売新聞と日本テレビなどマスコミを総動員して、「原子力の平和利用」といふ大々的な洗脳キャンペーンを行つたことから、我が国を原発推進へと大転換させた。これによつて、我が国は、核保有国が核を独占的に支配管理するNPT体制に組み込まれ、我が国のエネルギー政策における生殺与奪の権をアメリカに売り飛ばし、エネルギー戦争の第二の敗戦を帰した。

GHQの傀儡政権である自民党は、昭和三十一年に我が国を「敵国」とする国連に加盟させ、昭和三十六年には食料自給率を低下させることを実質的な目的とした旧・農業基本法を制定し、さらに、エルルギー自給を断念させるための原発推進を加速させ、アメリカへの隷属への道を歩み続けた。その基本政策とするのが、対米追随外交、日米安保堅持、原発推進のエネルギー政策といふ三点セットであり、これで政権を担つてきたのである。

アメリカからの工作資金の提供を受け続けてきた自民党と同様に、「なんでも反対」の旧・社会党と日本共産党は、ソ連からの工作資金の提供を受けて、安保破棄、原発反対を唱へた。そして、これらの狭間に在つて、健全野党と思はれた旧・民社党もまた、CIAからの工作資金の提供を受けてゐたことが、平成十八年七月十八日に明らかになつた。民社党に籍を置いた経歴のある私としても、この事実は痛恨の極みである。まさに、米ソの秘密工作合戦によつて我が国の政治は翻弄されてきたのである。

安保堅持と安保破棄といふ二者択一の正反対の対立では、誰もが納得しうる解決策が得られない。真相を隠蔽するために、正反対の二者択一を迫るのは、政治の常套手段である。そのことについては、占領憲法についての議論も同じである。占領憲法を憲法として有効であるとしたい敗戦利得者は、改憲か護憲かといふ茶番劇を、マッカーサーの手のひらで踊つて見せてゐることと、この安保堅持と安保破棄といふ茶番劇とは実によく似てゐるのである。安保破棄といふのは、即時破棄であることから、それによる急激な政治環境の変化を恐れた大衆が、やむを得ない次善の選択として安保堅持を支持したのであつて、売国政党の自民党の長期政権に貢献したのは、この非現実的な亡国政党である社会党の過激さにあつた。これによつて、自民党と社会党の馴れ合ひ政治が定着したのである。

その狭間において民社党は、「駐留なき安保」を唱へ、実際の政治は、その方向へと進んだ。民社党の党勢は伸び悩んだが、これは日本再軍備によつて極東における米軍の肩代はりを段階的に我が国に求めるアメリカの意向でもあつたため、むしろ、この考へは自民党の政治家へ大きな影響を与へた。これには実際の国際政治において実例があつたからである。それは台湾である。台湾(中華民国)は、米中が激しく対立してゐた時代には、昭和二十九年十二月二日の米国と中華民国との間に締結された「米華相互防衛条約」により米国によつて安全保障が約束されてきた。そして、台湾内には米軍基地が幾つも存在してゐたが、キッシンジャー外交による昭和四十六年七月の劇的な米中接近に始まり、最終的には昭和五十四年に米中国交が樹立すると同時に米台間を断交した。しかし、米国は台湾関係法を成立させ、台湾への武器輸出を含む実質的な外交関係を継続したのである。台湾には米軍基地はなくなつたが、それでも実質的な意味で米台安保は存続し、米中台の国際政治のバランスの中で「駐留なき安保」が実現してゐたからである。そして、昭和四十六年十月二十五日のアルバニア決議によつて、国連の常任理事国であつた中華民国を引きずり下ろし、その後釜に中共が座つた後も、この「駐留なき安保」は継続された。

民主党代表の鳩山由紀夫前首相が、民主党への政権交代がなされた平成二十一年八月の衆議院総選挙において、沖縄の米海兵隊普天間基地を「国外、最悪でも県外」に移すといふ公約をしたのは、鳩山前首相が自民党時代から、これまでずつと民社党の「駐留なき安保」の路線を支持してきたことの証しであつた。それが腰砕けによつて破綻し、「県内移設」を米国と合意したのは、鳩山前首相と民主党の三無主義((無気力、無関心、無責任、あるいは、無為、無策、無能)によるものであつて、決してこれは実現が絶対に不可能なものではなかつた。国土(皇土)防衛が目的であり、日米安保はあくまでも手段であるにもかかはらず、目的と手段とが逆転し、否、本来の目的を喪失して、手段が目的化した結果である。これによつて、結果的には、民主党政権下でさらに対米隷属を深めることになつてしまつたのである。

この安保問題の構造は、原発問題の構造とよく似てゐる。原発推進派と原発反対派との対立は、過去の米ソ代理戦争を引きずつてゐる。対米隷属を深めようとする原発推進運動と、それが確立することに反対するソ連が支援する原発反対運動との対立である。そして、ソ連崩壊後の現在の原発反対運動は、米国一極支配に反対するロシアと中共らの共同戦線に支へられてきたのである。

ただし、原発問題が安保問題と決定的に異なるのは、安保問題では、憲法問題とセットになつてゐるために、占領憲法を良しとする「戦後体制保守思想」(占領憲法堅持の親米思想)で洗脳され、日米安保を素朴で無邪気に支持する大衆を多く取り込んでゐるのに対し、原発問題においては、その関係が逆になつてゐる点である。「核の恐怖」といふ大衆に共通した感情を煽ることが、原発反対派(原発即時廃止)にとつては、その勢力拡大を支へる戦略としてきたからである。その意味では、CIA工作は、占領憲法と日米安保においては完全に成功したが、原発推進では完全には成功しなかつたのといふことである。

原発問題に関しては、福島原発事故の後、親米勢力の原発推進派と反米勢力の原発反対派とのせめぎ合ひが顕在化し、二極化が深更してゐるが、核のトラウマに便乗する後者が優勢であることは言ふまでもない。しかし、ここに完全に没落してゐるのは、真の祖国愛を抱く親日勢力であり、親日勢力はこれら両派の外国勢力のために股裂き状態に追ひ込まれてゐる。原発推進することが保守だとする倒錯した議論が無自覚に語られ、脱・原発を唱へる愛国者を原発推進派の似非保守の売国奴が平然と批判することが繰り広げられてゐる有り様である。

ところで、原発推進派が喧伝する、原子力発電コストが他の発電コストに比べて低いといふのは、CIA工作によるデータの改竄によるもので、実は原発コストが一番大きいのである。発電コストについては、資本費、操業費、燃料費で比較してゐる比較して見せるのであるが、これは、原発を継続運転する場合のイニシャルコスト(資本費)とランニングコスト(総業費、燃料費)だけであつて、一般的な通常の会計学的手法が用ゐられてゐるに過ぎない。しかし、厳密に会計学的に考察すると、原発コストの場合は、いはば「偶発債務」や「負債性引当金」などに相当するものが計上されてをらず、他の発電の場合と比較して、これらが余りにも大きすぎる点が明らかに隠蔽されてゐるからである。平易に言へば、原発の耐用期間が経過した後に、その老朽原発を安全無害に解体する場合の廃止措置費、放射性廃棄物(使用済み核燃料)の継続的管理費及び最終処理費(地層処分費)、地層処分のための用地を確保する土地取得費と交渉対策費、原発事故が発生した場合の復旧費とその放射線汚染に伴ふ損害賠償費、原発の新規建設を推進させるための地元対策費や継続的な地元援助金、利益誘導対策費、用地買収資金などを計算に入れれば天文学的な金額になるが、これらについては、発電コストの原価計算の基礎数値からは完全に除外されてゐるからである。

地球温暖化についての虚偽情報を撒き散らし、CO2犯人説といふウソで固めた欺瞞で原発を推進させる親米勢力(世界独占資本)の尻馬に乗つて原発を推進してきた敗戦利得者たちと、それに反対する反米勢力の甘言に騙された原発反対派といふ、これまた合はせ鏡のやうな敗戦利得者たちとの、目くそと鼻くそとの戦ひは、福島原発の全壊事故以後は、原発反対派が勢力を持ち直してきてゐる状況にあるが、このやうな外国勢力の影響を受けず、真に日本の再生のために、これにどう取り組めばよいのかが真摯に示されなければならない。それは、これまでも繰り返し述べてゐるとほり、自立再生論(拙稿「國體護持總論」参照)による脱・原発しかないのである。

そして、その過渡的な政策として、これまで我が国がエネルギーの自給体制をとることを阻止し、あるいは独自のエネルギー外交をすることさへも徹底して妨害してきたアメリカから我が国は自立して、我が領土である尖閣諸島の海底に眠る石油、天然ガスなどの海底資源などや、日本近海に眠るメタンハイドレートなどを資源化する事業に政府主導で直ちに着手し、その開発に伴ふ内需拡大によつて東日本のみならず我が国全土にわたる復興を実現するのである。そして、これまでのエネルギー輸入国からエネルギー輸出国へと劇的に政策転換させる基本戦略に立つ必要がある。エネルギーの自給が達成できれば、食料の自給も達成できる。技術革新を独自に推し進め、原発依存の比重を極小化したエネルギーバランスを実現し、最後にはウランその他の稀少金属に依存しない自然エネルギーなどによるエネルギーの完全自給を達成させ、我が国が独自に安定国家となるための基軸を打ち立てなければならないのである。

東京電力は原発推進、少なくとも現状維持のために原発反対の気運を押さえ込まうとして、必要もない計画停電を仕組んで一時的には実施した。原発がなければ、こんなことになるぞ、といふ脅しである。しかし、国民の節電意識が高いためにその目論見は頓挫してしまつた。それを冷ややかに見てきた民主党政権の首脳は、元々は原発反対運動に取り組んできた者や親和性の強い者たちであることから、福島原発事故の被害と危険性を過度に強調して、原発の怖さを煽る演出を行ひ、原発反対運動を裏で援護射撃するといふマッチポンプをしてきた結果が、浜岡原発の運転停止といふことになるのであらう。

しかし、仮に、さうであつたとしても、自立再生論による祖国再生の基軸を立てた結果であれば是とすべきであるが、実際はさうではないところに我が国の病巣の深さを感じる。その場しのぎの方針であることにも問題がある。そして、その病巣の根幹には、占領憲法がある。占領憲法は、GHQの占領下で制定されたため、国家緊急事態に対処しうる制度がない。占領下での国家緊急時といふのは、支配者であるGHQの緊急事態のことであるから、そのやうなことは占領憲法で定めるはずがないからである。

ところが、占領憲法が憲法としては無効であることは、この度の大震災の五日後である平成二十三年三月十六日に天皇陛下のおことば(玉音放送)が渙発されたことによつて証明された。これは、大正十二年の関東大震災のときにも渙発された帝国憲法第八条の緊急勅令であり、帝国憲法は未だに現存してゐることが明らかになつたのである。そして、今上両陛下が被災地各地を何度もご訪問され続けておられるのは、占領憲法の制定の前後において先帝陛下(昭和天皇)が各地をご巡幸なされたのと同様に、臣民への深い御軫念によるものである。

ところで、先帝陛下が大正天皇の摂政の宮であられた時に、あの関東大震災は起こつた。そして、その結果、東京市は大停電に見舞はれた。これは今回のやうな計画停電ではなく、東京市の変電所や送電設備などが地震によつて破壊されたためのものである。そして、そのことによつて様々な問題や事件が起こつた。いかに、電気といふものが、生活に必須のものであることが、このやうな事態になると改めて人々は自覚することになる。これが資本主義といふ大量生産、大量消費、分業体制といふ経済構造の宿命であつて、人々は先人が行つてきた自給自足を忘れて今日に至つた結果である。今回の計画停電が福島原発の全壊事故によるものと同じやうに、大震災と停電とは不可分一体の関係にある。それが資本主義のもたらす構造的な人災であるとして、昭和初期に立ち上がつた者が居た。社会主義に傾倒してゐたものの、決して共産主義者ではない。それは、橘孝三郎といふ農本主義者である。農本主義とは、一言で言へば、「農は国の基」とする思想である。「土を滅ぼす者は国家を滅ぼす」と考へた橘は、資本主義が土と農村を破壊するものとして認識した。権藤成卿も農本主義者であるが、橘は権藤とは違つて農業実践者である。橘は、水戸に生まれ、一高を中退して郷里で農業に従事して愛郷会を結成し、さらに、青少年教育を目指して自営的農村勤労学校愛郷塾(愛郷塾)を設立した。その橘が昭和七年の五・一五事件の首謀者の一人として、この事件の有罪者としては最高刑の無期懲役に処せられたのである。犬養毅首相が殺害され、同首相の腹部を銃撃した黒岩勇(予備役海軍少尉)が禁錮十三年、犬養毅首相の頭部を銃撃した三上卓(海軍中尉)が禁錮十五年であるのに対し、変電所破壊(未遂)の実行犯でない橘だけが無期懲役なのである。

五・一五事件と聞くと、日本青年の歌を作つた三上卓や、黒岩勇、古賀清志らの帝国海軍将校や陸軍士官学校の生徒による軍事クーデター未遂事件であると教科書的に理解する人が多い。それはそれで決して間違ひではない。確かに、この事件によつて軍部に対する政治家と官僚の萎縮効果が生まれ、二・二六事件へと向かふ歴史の流れを作つたことは否めない。しかし、この事件の教訓はそれだけでは終はらない。この事件は、橘孝三郎が率ゐる愛郷塾の塾生が結成した「農民決死隊」の七名が、昭和初期の世界恐慌による農村恐慌、特に、東北地方の農民生活が極度に疲弊し、娘を都会人の性的欲望の生け贄として身売りしなければならないやうな悲惨な状況などを見るに見かねて立ち上がつたことに留意しなければならないのである。これは、勿論、五・一五事件に共通した義憤ではあるが、この農民決死隊が牙を向けた先は、軍人グループのやうな要人テロではなく、東京の変電所であり、それを襲撃することにあつた。東京市には、東京電燈株式会社の、田端、鳩ケ谷、淀橋、亀戸、目白の各変電所と、尾久にあつた鬼怒川水力電気の東京変電所がある。これら六箇所の変電所を襲撃して東京市を大停電に陥れ、クーデターを決行しようとの計画であつたが、大停電をさせることの真の目的は、農村の疲弊が都会の享楽にあるとの認識から、資本主義の弊害を是正しなければならないといふ強烈な警告を行ふことにあつた。勿論、この計画は、田端変電所の電圧メーターを金槌で壊しただけで、用意してゐた手榴弾などを使用できずに不成功に終はつた。それゆゑに、要人テロとは異なる農民決死隊事件が五・一五事件として同じ名前で一括りにして語られることに違和感があるのは私だけでないはずである。

この事件(農民決死隊事件)の背景事情や経緯は、今回の東日本大震災と巨大津波による福島原発の全壊事故、これによる東京都の計画停電に至る時系列と事実関係とは全く異なるものである。しかし、明らかにこの二つのことは同工異曲の事件と言へる。

昭和初期の世界恐慌の「津波」が我が国に押し寄せ、関東大震災後に乱発された「震災手形」の処理問題の悪化から引き起こされた昭和金融恐慌の「余震」の連鎖によつて東北地方の農村が困窮して深刻な農業恐慌を引き起こし、それが五・一五事件(農民決死隊事件)の遠因となつたことからすると、これらの教訓には相通づるものがある。

それは、日米安保問題、原発を含む核問題の根源は、占領憲法問題といふ同根から生まれてゐるものであつて、我が国と世界を再生させるためには、占領憲法の無効宣言をして、我が国と世界に吹き荒ぶ賭博経済の金融資本主義を淘汰し、自立再生社会の実現が刻下の急務であることの現在的な教訓なのである。



國體護持塾 塾長 南出喜久治

平成二十三年五月八日記す

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