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トップページ > 自立再生論02目次 > H27.05.01 連載:第二十六回 焼き魚方式 その一【続・祭祀の道】編

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第二十六回 焼き魚方式 その一

あるじには うをのかしらを さしあげて あまりいただく くしきつりあひ
(主には魚の頭を差し上げて余り戴く奇しき釣り合ひ)


効用均衡理論で、羊羹方式と共に必要なものは、この「焼き魚方式」です。

この羊羹方式と焼き魚方式が効用均衡理論を支へる車の両輪なのです。

羊羹方式では、平等と公平を共に実現する制度でしたが、焼き魚方式は、専ら公平を実現する制度です。

では、焼き魚方式の説明に入ります。


時は江戸時代です。ある商家で、番頭と手代とが二人で食事をすることとなり、おかずは大きな焼き魚一匹で、それを分けて食べることになりました。番頭は商家の雇人の頭であり、手代は、丁稚から勤め上げて元服した者で、いつの日が番頭になることを夢に見て番頭に従つてゐます。今日は御三どん(台所女中)が居なかつたので、手代は、番頭の指示によりこの焼き魚を二つに切つて、一つづつを食べようといふことになり、手代はこれをお頭(おかしら)の部分と尻尾の部分とに真半分に切つてきて、お頭の部分と尻尾の部分をそれぞれお皿に盛りつけて持つてきました。

そして、お頭の部分を番頭に、尻尾の部分を手代にそれぞれ配膳して二人差し向かいで静かに食事をし始めました。これは何の変哲もない話です。


少なくともこのころは、お頭の部分は目上の人に差し出すのは、目上の人に対する礼儀の基本であり、番頭から尻尾の部分を所望したいといふことはあり得ないのです。手代としては、当たり前のことをしたまでであり、そのことについて番頭は当然受け入れたといふことです。


しかし、焼き魚を横に真半分にすれば、魚肉の量は尻尾の方が多いのです。お頭の方は身が少なく、しかも身が取りにくい。手代は若いし食欲もあるので、その方が好都合です。番頭としても、番頭に目上の礼儀を尽くしてお頭の部分を配膳してくれた手代を愛しく思ひ、面子が立つてゐます。しかも、高齢なのでさほど多く食べることもないので、身の少ないお頭の部分で充分です。これは、名を取るか実をとるかといふ相克を身分の上下で自然に分配して解消し、何の争ひや不満も生まれない伝統的な「智恵」だつたのです。


この焼き魚の分配についても、国政の世界において、実質的な公平を実現し、腐敗を防止しうる方法に応用できるのです。


この方式は、西郷隆盛と吉田松陰の思想に通底するところがあります。それは、西郷隆盛の「徳と官と相配し功と賞と相対す」といふ言葉(西郷南洲先生遺訓)と吉田松陰の「其の分かれる所は、僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなす積もり」といふ言葉(書簡集)です。


まづ、西郷隆盛の考へから説明します。

これは、「徳」のある者(人徳、忠義の厚い者)を「官」(官僚、政府要人)に任じ、「功」のある者(功績、功業を成した者)に対しては、「賞」(一時的な褒賞)を与へるだけでよく、官職を与へてはならないといふことです。

これこそが効用均衡を実現し権力の腐敗を防止する道なのです。


功績があつた者は、その功績がその人の徳から生まれたものとは限りません。むしろ、真に徳のある人は、功績を求めないのです。ですから、徳のない人を官職に付けると政治を誤ります。さらなる功績を求めようとして、私心で振り回されるからです。

ですから、功績のあつた人には賞を与へて、さらなる功績を上げるやう褒賞すればよいのです。


徳のある人は、市井の中に居ます。徳があれば、功名を求めず、私利私欲を貪らず、自ら日々研鑽して暮らしてゐるのです。さういつた人を探し出して官に任ぜよといふのです。


西郷隆盛は、いまのやうな偏差値秀才教育によつて選別された公務員のやうに、一流大学を卒業し公務員試験に上位で合格したといふ「功績」によつて官僚組織内で序列化され、官僚機構全体が不徳の人の集団となつてしまふことを予見してゐたのだと思ひます。


つまり、現代は、西郷隆盛の言葉とは逆に、「功と官と相配し徳と賞と相対す」であり、事業で成功した者やタレントなどを政府委員や議員などに登用し、徳のある者のうち、ごく少数の人がその高齢になつて現役を引退する頃になつて、単に一時的な勲章などを与へるだけの構造になつてゐるのです。この逆転現象こそが、世の中の不条理と不公平を生み政治腐敗が進む元凶なのです。


「徳」とは、端的に言へば「滅私奉公」のことです。人が嫌がつてやらないことを引き受けてでも守るべきものがあることを分別することです。私益からすれば「損」であり「不利」であることを引き受けて公益を守ることに生き甲斐を感じる心です。


それゆゑに、「官」に任ずる者は薄給でよいのです。むしろ、無給の方がよいのです。無給だと支障を来すのであれば、最低限度の薄給で生活する清貧によつてさらに徳が高まります。従つて、官僚中の局長以上の者(番頭)は、それまで累進してきた俸給の半額とし、局長以上の者は徳を高めることに励むことを条件に昇進させる制度にしなければならないのです。


高い地位(責任ある地位)と高い俸給を同時に満たすことはできない制度にし、いづれかを本人に選択させるのです。

もし、徳を高めて高い地位を希望するのであれば、薄給に甘んじることになりますが、高い俸給を維持したければ、高い地位には就かせず、これまで通り、あへて徳を高めなくてもよい役職(手代)を続けさせればよいのです。


今の公務員採用制度では、学歴、試験成績といふ「功績」主義によつてゐるため、公務員としての「徳性」が疎かにされてゐますので、試験制度を改める必要があります。その具体的な試験制度をどうするのかについて、広く智恵を結集して検討する必要があります。


では、次に、吉田松陰の言葉について説明します。

「其の分かれる所は、僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなす積もり」といふ言葉は、吉田松陰が弟子たちと義絶することを覚悟したときのものです。時期尚早を説く弟子に対して、「義を見て為ざるは勇無きなり」、「大義親を滅す」、「至誠天に通ず」との信念で放つた炎を吐くが如き言葉です。

吉田松陰は、投獄といふ限界状況に身を置き、研ぎ澄まされた心眼によつて、忠義は武士の本能的行動であり、功業は理性的行動(計算的行動)であると喝破したのです。

ここにも、功業を求める者に、国家を経綸するに必要な徳はないと感じてゐたのです。これは、戦略論、戦術論を超越した人の生き様、死に様を示そうとしたものでした。


このやうに、焼き魚方式は、先人の智恵の結晶です。次回は、官僚制との関係で、もう少し効用均衡理論を検討することにします。

南出喜久治(平成27年5月1日記す)


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