自立再生政策提言

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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百二十五回 自存自衛の道 1/6

ひのやまの はいのおほひし あれとちに かてをみづから つくるさきもり
(火の山の灰の覆ひし荒れ土地に糧を自ら作る防人(ラバウル要塞))


【永遠の国益】


「永遠の友も、永遠の敵もない。あるのは永遠の国益のみ」といふイギリスの格言があるが、国益といふのは、究極的には国家の永続である。それには、大東亜戦争の開戦詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)にある自存自衛といふ言葉を重く受け止める必要がある。


いま、我が国がこれからの国家存続のための基本方針として考へられるのは、次の三つである。


1 対米従属(隷属)

2 対中従属(隷属

3 自存自衛


1は、現在の状況であり、対米隷属と言つてもよい。昭和20年のバーンズ回答にある「subject to」(隷属)のとほり、敗戦時から今日まで宿命づけられた状況なのである。

2は、現状では不可能であつても遠い将来における可能性がある。そして、3は、まさに悲願である。

我々は、このうちどれを選択するのかではなく、3を選択しうる可能性を求めつつ、次善の策として1か2を現実の選択として考へるところに置かれてゐる。


これ以外に、米中両属とか、ロシアを加へての鼎属もあるが、いづれも核保有国との権力均衡は、様々な独立変数と従属変数に振り回されて容易なことではない。


それゆゑに、上記の3通りしか選択肢がないとして、本稿はこれから六回の連載において、その中でも3の自存自衛の道を選択できる可能性について述べてみたい。


【自存自衛の条件】


まづ、自存自衛の条件として念頭に置くべきは、ルドルフ・チェーレンの次の言葉である。


「真の独立国には、自らが必要とする資源を支配下におく権利がある。輸入に依存する国家は真の独立国ではない。」


このアウタルキー論(自給自足論)は、地理政治学(地政学)的見地から生まれたものであるが、これだけが独立国としての条件ではない。


自存自衛の独立国であるためには、次のことが満たされなければならない。


1 憲法体系による自存

2 軍隊等による自衛

3 食料・資源・エネルギーの確保による自存自衛。


1については、我が国は惨憺たる状況にある。


米定憲法(占領憲法)を自国の憲法であるといまもなほ洗脳され続けてゐる。そして、この洗脳を解き放つ意欲と胆力のない民度の低さのため、「降伏」憲法で「幸福」になるといふ倒錯を抱く者が多く、我が国の空は暗雲で覆はれてゐるのに、かいせい(快晴)、かいせい(改正)としか言へない為体な輩が政治を支配してゐるのが現状なのである。


このことは、2についても同様で、降伏憲法を憲法だと信じ込んでゐるために、「9条」による国家の「窮状」に目覚めない。①交戦権のない自衛隊、②専守防衛といふ陸軍国家の防衛論(本土決戦論)、③米第7艦隊の補完勢力に止まる海上自衛隊と航空自衛隊の現状などからすると、自存自衛のための自主防衛にはほど遠い絶望的な状況にある。


そして、2と関連する3についても、完全な対米従属となつてゐる。まづ、食糧安保は侭ならない。昭和29年3月に調印された日米相互防衛援助協定(MSA協定)によつて、軍事、経済、農業など冷戦構造下での準戦時体制が組まれ、自衛隊が創設された。そして、昭和36年の農業基本法の制定により、自給率の低下を押し進める政策を推進して食糧安保を放棄し、冷戦の前線基地として、経済的な分業体制に組み込まれたのである。


それだけではない。石油や原子力など、すべての資源等がアメリカの統制下に置かれ、我が国は、資源・エネルギーにおいても、対米「隷属」を深めて今日に至つてゐる。


報復戦争としての対米戦争は、いまや完全に不可能な状況となつたが、それ以外の国との紛争においては、新旧の日米安保条約により、アメリカが我が国の防衛を肩代はりすることにはなつたものの、それも現在ではアメリカの対中政策などの変化によつて不確実性が増してきた。


【国際紛争の実相】


そもそも、国際紛争について考察する場合、地理政治学(地政学)や地理経済学(地経学)などの一般的な視点だけでなく、個別的な事情をも踏まへて、その原因を捉へる必要がある。さうすると、民族紛争、宗教紛争、思想紛争などの背景には、やはり、食料、資源、エネルギー(これらを一括して「資源等」といふ。)の確保といふ民生の保護と国家の経綸にとつて必須の事情が横たわつてゐることが解る。


しかし、世界は、資源等が一部の地域に遍在してゐるため、持てる国の圧倒的優位が、持たざる国の存続を危ふくするといふ客観的状況に紛争の原因があるといふことになる。


これまでの国際紛争や戦争は、思想(宗教を含む)と民族の対立と、資源等の争奪に分類されるが、衣食足りて礼節を知ると言はれるが如く、民族の対立といふのも、民族の自決、民族共同体の防衛のためであり、究極的には、そのために必要な資源等の争奪にある。


宗教の場合は、異教徒を殺戮したり戦争を引き起こす原因にはなり得ても、すべての戦争をなくし、これを押し留める力を全く持たない。思想や宗教は、必然的に拡張主義、膨張主義の傾向にあるが、その思想や宗教が人的、領域的に膨張して、その版図を安定的に維持するためには、やはり資源等の確保が必須となるので、これも資源等の争奪とは無関係ではない。


それゆゑ、現代におけるすべての戦争と紛争は、究極的には、資源等の争奪とそのための手段を獲得することを目的とし、あるいは結果においてそれを戦利として実現することによつて終了するのである。


つまり、資源等の源泉が遍在してゐるため、これからの紛争が、民族の自立とか宗教の維持といふ国際紛争の形をとつてゐるとしても、その戦争の「原因」であると同時に、戦後の講和における「結果」として現れることになるものであつて、その原因と結果の両面において、ほとんどすべてが資源等の争奪が紛争の背景にあることである。領土の割譲や侵奪は、広い意味で究極的には資源等の争奪の結果といふことになる。


ところで、経済問題、民族問題、移民問題などの国内の不安定要因の排除するため、国外に敵を作つて国内の矛盾を隠蔽する孫子の兵法により国内的安定を維持しようとしても自づから限界がある。

国外の問題を解決できない政府に対する批判が生まれて、新たな分断、内紛、分裂が始まるからである。

しかし、現在の戦争形態は、軍民区別のない総力戦になるため、全面戦争はできない。軍備の存在意義は、戦争抑止力としての効用が主流になりつつある。


世界は、貿易を通じて経済の相互依存を深めてゐるので、輸出品が相手国の必需品の依存度によつて戦略兵器となるので、限定戦争としての貿易戦争(経済戦争)に収斂されて行く。現に、中共はレアアースを戦略兵器として位置づけ、我が国などに対して露骨な揺さぶりをかけてゐる。資源等を特定の国に依存してゐることは、それを逆手に取つて、様々な外交交渉で譲歩させられる結果を生む。これが貿易戦争といふ火器を用ゐない現代の戦争形態なのである。


戦争とは、相手国を想定するものであるが、国家ではない軍事勢力といふものも相手にしなければならない場合もある。このやうなハイブリッド戦争も踏まへて、軍隊といふものは、主としてチョークポイント(スエズ運河、ホルムズ海峡、マラッカ海峡、パナマ運河、ニカラグア運河、ホーン岬)とシーレーンの防衛のためにその存在意義が認められることになり、チョークポイントとシーレーンの安全のためには、そのバッファーゾーン(緩衝地帯)を確保することが必要となり、それが戦争抑止力を高めることになる。


いづれにしても、いざ、火器による戦争になれば、壊滅的破壊兵器が使用されない限り、戦争当事国の自給自足能力で勝敗が決まるし、このことは、貿易戦争(経済戦争)についても同じである。


ところで、核兵器及び生物・化学兵器(ABC兵器)は、壊滅的被害を与へることになるので、その報復の連鎖を回避することから、使へない兵器となつてゐる。しかし、これらの廃絶は、人類から兵器製造の知識を消し去ることでしか実現しない。これは、非現実的であるといふよりも絶対に不可能である。そして、これからは核兵器等の小型化、無人の殺戮兵器などが開発される時代に突入してきたことからして、この方向を阻止することは不可能になる。


科学者が好奇心と探究心、そして競争心の虜となつて、ABC兵器などの人類殲滅兵器の開発をしてきた歴史からして、科学者の良心なるものに全く期待することはできないので、むしろ、逆説的に、拡散均衡論こそが現実的な考へとなつてきたのである。

南出喜久治(令和元年6月15日記す)


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