自立再生政策提言

トップページ > 自立再生論02目次 > R01.12.15 第百三十七回 児相問題とは何か その三

各種論文

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ

連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百三十七回 児相問題とは何か その三

たれよりも うからをさきに まもりけむ わがみすてても すすむこころね
(誰よりも家族を先に護りけむ我が身捨てても進む心根)


(承前)


六 体罰禁止がもたらすもの


家庭体罰も学校体罰と同様に禁止しようとする立法方向は、必ず教育崩壊を生む。

体罰の否定は、教育の否定であり、国家の崩壊につながる。


「叱るより褒めろ」といふ自堕落な戦後教育は、たとへば、お菓子を万引きをした子供を叱らず、「欲張つて2つ、3つと多くを盗らなくて、1つで我慢したのね!偉いね!」と褒めろとするのである。


こんなとき、親は、涙を流しながら、二度とそのやうなことをしてはならないと叱りながら、万引きした子の手を親の掌に乗せて、もう一つの親の手で何度も何度も子の手を叩いて諭すことなのである。


ともあれ、家庭体罰も禁止されることになると、これまで以上に一時保護される事例が急増する。体罰は「虐待」とされるからである。これによつて家庭教育は完全に崩壊する。


体罰が禁止されるのは、親の虐待としての「児童虐待」(児虐法第2条)であつて、児相の施設内の「虐待」(同法第3条)には含まれない。施設内の体罰は、「児童虐待」ではないのである。「児童虐待」とは、あくまでも親による虐待のみに限定され、児相は、「しつけ」も「体罰」も禁止されない。


つまり、一時保護所や児童養護施設(昔の孤児院)などの施設内の「虐待」は、勿論許されないが、改正法で禁止されるのは、「児童虐待」(親の体罰)だけで、児相側の虐待は、しつけとか体罰と称して組織的に行はれることとなる。

しかし、これを組織的に隠蔽する体質がある上、これらを監視、調査する公正な機関や制度がないのである。


一時保護処分についての審査庁に対する審査請求や家庭裁判所の児福法28条(措置請求)の承認審判及び行政事件などでは、隔離された親子の再統合を実現する可能性が皆無に等しい状況にある。


インフォームド・コンセントの制度(最二小判昭56・6・19判時1011号54頁)やセカンド・オピニオンの制度について、裁判所はこれを無視するので、公正な裁判なるものは幻想に近い。裁判所は、児相の主張をそのまま採用する傀儡機関に等しいのである。


厚生労働省及び児相は、児童の権利に関する条約に違反した運用を継続し、国連の勧告を完全に無視してゐる。

児福法や児虐法などの法律よりも条約の方が優先するといふ自覚が全くない。裁判所もまた同じやうな自覚がないので、司法的救済は絶望的である。


児童を拘束すべきことを判断する機関と家族(親子)再統合のための相談・指導・支援等を行ふ機関との分離がなされてゐない。これでは、児童相談所ではなく児童の強制収容所である。児童を拘束すればするほど予算的利益を得る児相が、親子の再統合によつてその予算的利益を放棄することは制度的に矛盾するのであるから、これらは、国際水準のとほり分離独立したそれぞれ別の機関に担はせるべきである。


被収容児童数の一定以上の確保がないと児相の傘下にある児童養護施設等を運営する社会福祉法人の経営が成り立たないので、児相は、施設経営に必要な相当数の一時保護児童や被収容児童を常に確保して施設に送り込む必要がある。これは、まさに「施設経営支援法」である。


収容対象の児童が少子化で激減するために、被収容児童を確保する目的で一時保護の児童の対象を18歳から20歳までに引き上げた(平成28年法律第63号)。今後は、22歳(大学卒業年齢)まで引き上げる予定である。

いづれ成人収容所となる。その伏線として、自立援助ホーム(児童自立生活援助事業)の対象を大学等に在学中で満22歳になる年度の末日までにある者まで拡大してゐる。


七(親権と児相の措置権との関係)


児福法第47条(親権代行等に関する規定)の違法な運用がなされてゐる。施設等が児童に対して行ふ措置の権限(措置権)は、親権を否定できるものではない。


施設等による措置は「児童等の生命又は身体の安全を確保するための緊急の必要があると認めるときは、その親権を行う者・・・の意に反しても、これをとることができる。)とされてゐるが、緊急でない事項についても、実際は親権を全く無視した措置がとられてゐる。


卒業後に進学するといふのは、進級状況から予め解つてゐることなので、決して「緊急の必要があると認めるとき」ではないが、それでも親権者を完全に無視して進学するか否かの判断を児相が勝手に行つてゐる。まさに無法状態である。


怪我や疾病などによる医療的な措置については、インフォームド・コンセント及びセカンド・オピニオンが当然に求められる。しかし、児相や施設は、これを全く無視して、児相の独断で行ひ、親権者の事前承諾または事情においては事後の報告を全く行はず、児相が決めた医療措置以外の医療方法等の有無を検討するため、施設と提携してゐない医療機関での診察などは絶対に行はせない。


そして、成人についても副反応や依存性の問題がある向精神薬などを親権者の同意なくして児童に投薬して薬漬けにしてゐる事案が多くあり、児童を廃人化する危険がある。


児福法第47条の措置は、親権を否定するものではないにもかかはらず、民法834条の親権喪失の審判(虐待、悪意の遺棄、親権行使が著しく困難または不適当、子の利益を著しく害するとき)又は同法第834条の2の親権停止の審判(親権行使が著しく困難または不適当、子の利益を著しく害するとき)によることなく、親権が喪失ないしは停止されたものの如く、民法第834条及び同第834条の2の規定を完全に無視した勝手な措置が行はれてゐる。


八(児相による離婚の奨励)


児相は、夫婦の対立・紛争を奇貨として、児相の方針に反対する配偶者を排除してその親権を剥奪するために離婚を奨励し、あるいは離婚すれば児童との面会・通信を許すとの条件を押しつけるケースが増えてきた。


離婚は、夫婦の問題であり、親子の問題ではない。それゆゑ、離婚によつて一方の配偶者の親権を剥奪し、親権を停止するのであれば、それは民法第834条及び同第834条の2の親権喪失及び親権停止の場合と同等の事由が要求されるべきである。親権を濫用してゐない一方の配偶者が離婚だけを理由として親権が剥奪されることに合理的理由がない。これは、個人としての尊重がなされず、法の公平、平等な運用を求める憲法第13条、第14条に違反する。


しかし、児相は、夫婦の問題と親子の問題とを混同し、同一視しようとする論理として児虐法第2条の「虐待」の概念を濫用する。児童が夫婦間の紛争の煽りを受けたことによつて第3号の育児放棄(ネグレクト)(児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。)の被害を受けたとか、第4号の心理的虐待(児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。)を受けたことに該当するとして、虐待の概念を際限なく拡張させ、児相利権を拡大し続けてゐるのである。


児相としては、両親のうち、児相に迎合しない親を排斥したい。そして、離婚させて、児相に迎合する親を親権者にすることを望む。そのために、離婚を推奨するのである。

否、推奨といふより、強制する。子供と会ひたければ離婚しろ、と。


そのため、離婚の場合は、どちらか一方が親権者となる現行制度を悪用する。そのため、離婚後も共同親権を認めよとする立法動向に最も反対する抵抗勢力が厚労省であり児相である。


また、離婚の場合の共同親権とともに、未婚の場合の共同親権も認めなければ不公正、不平等なものとなる。

未婚の場合、父親が認知しても共同親権とはならない。養育料の支払義務は発生するが、親権は得られない。金は出しても口は出せないのである。


このことも児相は悪用する。母親だけを懐柔して、子供に会はせろと言ふ父親に対して、親権者でないとして排斥する。また、子供を連れ去られた母親が、父親に頼んで交渉したり面会通信を要望しても、親権者でないとして拒絶する。


まことに、現行制度は、厚労省と児相にとつて都合の良いものであり、その傾向は益々酷くなつて行くのである。(了)

南出喜久治(令和元年12月15日記す)


前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ