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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百七十九回 反ワクチン・反マスク訴訟 その一

くすりには くすしちからを そなへども いまはさはりの ものとまがへり
(薬には奇し力を備へども今(現代)は障りの物(毒物)と紛へり)


令和元年12月に、支那の武漢から拡散した武漢ウイルスが令和2年1月から世界に蔓延し、わが国も同月20日に横浜港を出港した後、2月に寄港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号(DP)での罹患拡大が国内に持ち込まれずに水際で食ひ止められるものと思つてゐましたが、わが国の防疫体制が余りにも杜撰なため、拡散が防ぎ切れずに今日に至つてゐます。


今では、武漢ウイルスは、武漢ウイルス研究所から拡散したことが明らかになりましたが、政府は、未だにこれを武漢ウイルスと呼ばずに、新型コロナウイルスと呼んで、支那に遠慮して、そのご機嫌を取つてゐます。


エンベロープといふ脂質膜にスパイクタンパク質の突起を持つた、太陽コロナのやうな形状の、いはゆるコロナウイルスといふのは、インフルエンザウイルスやSARSウイルス、MERSウイルスなど様々存在します。


そして、これらが変異したものだけでなく、これに類似した「新型」も存在します。ですから多くの新型コロナウイルスがあるのです。それなのに、武漢ウイルスだけを新型コロナウイルスとするのは不正確極まりないものです。この名称を敢へて使ふのには、意図があるからです。


現に、この武漢ウイルスは、果たして特定できてゐるのか、存在してゐるのかについても疑問があります。この武漢ウイルスと呼ばれるものは、SARS-CoV-2と表記されてゐることからして、SARSウイルスの変異種ないしは新型なのです。


にもかかはらず、新型SARSウイルスと呼ばずに、新型コロナウイルスと呼んで、「コロナ」を強調して、繰り返し繰り返し、おどろおどろしくウイルスの拡大写真を示し、全員がマスクを着用する異様な映像を流し続けるのは、支那への遠慮だけでなく、自分たちの利権の拡大のためです。


つまり、ワクチン接種を誘導するための演出なのです。


このウイルス(人工ウイルス)が今までとは異なる恐ろしいウイルスであるとして国民に強い恐怖感を与へ、エボラ出血熱やペストなどの1類感染症と、SARASや結核などの2類感染症の中間である2類相当の感染症として指定し、ワクチン接種の必要性を喧伝しました。その理由は、子宮頸がんワクチンの普及が反対運動や訴訟などによつて思はしく普及してゐないことから、ワクチン利権に群がる者たちとしては、武漢ウイルスを利用して一気にワクチン利権の拡大を図りたかつたためです。


これまでのワクチンは、生ワクチンか不活化ワクチンでした。生ワクチンから不活化ワクチンへと推移し、ワクチンは、医学の邪道を進んでいましたが、それでも開発、承認から実用まで数年はかかつてゐました。


ところが、あつといふ間にワクチンが作られます。治験も充分でないものなのに、それを安全、安心、安定などお題目を唱へるだけで、安全性の証明などは全く無視してゐます。


11年前の子宮頸がんワクチンの危険性について、私は、真つ先に指摘しましたが、デマだと批判され、多方面から様々な迫害を受けてきたことは、知る人ぞ知るところです。


しかし、これは陰謀論でも都市伝説でもありませんでした。私が平成22年7月23日に公表した「子宮頸がん予防ワクチンの危険性」の内容は、すべてエビデンスに基づくものでした。


そして、ワクチン禍の被害者救済を呼びかけましたが、なんと凄まじい妨害に会ひました。それは、「第百七十二回 飽和絶滅の危機 その十六」(令和3年6月1日)でも述べましたが、フリージャーナリストの斎藤貴男といふ男が、私の提供した資料に基づいて、平成27年に、集英社インターナショナルから『子宮頸がんワクチン事件』を上梓し、その中で、


「ジェンダー(社会的・文化的な性のありよう)のテーマに引き寄せたHPVワクチン論。本文では触れられませんでしたが、実は南出喜久治さん(一九五〇~)という弁護士が二〇一〇年七月にネット上に公開した「子宮頸癌ワクチンの危険性」という論考があります。〈日本人をモルモット代わり〉〈壮大な人体実験〉などといった表現も目立つものの、早くから海外の情報を収集し、今日の知見を先取りもしていた、貴重な文献です。南出弁護士は、一方で、大日本帝国の現存を宣言している「國體護持塾」の塾長でもあります。二〇〇六年に山形県鶴岡市で加藤紘一・元自民党幹事長の実家に放火した右翼団体幹部の弁護も担当していました。日頃は国家体制や巨大資本に近い人びとが、このワクチンに対しては敵意をむき出しにする傾向があるのに興味を引かれます。」


と記載し、私の論文を参考資料として掲載せず、こともあらうに、ワクチン問題とは全く関係のないことを引き合ひに出して私を揶揄して批判したのです。


しかも、国家権力や日弁連の横暴に対して極左もできないやうな挑戦をしてきた私を「日頃は国家体制や巨大資本に近い人びと」としたことは絶対に許しがたいことでした。勿論、斉藤に電話して抗議すると、初めは開き直つてゐましたが、最終的に斉藤は私にしぶしぶ謝罪しました。しかし、本来であれば、こんな書籍が出回ることは許しがたいことで、販売停止を求めて訴訟を提起すべきでしたが、結果的には、それをしませんでした。


ワクチン禍の指摘をした嚆矢の私がそんな訴訟を起こすと、ワクチン被害者に動揺と不安を与へることになると判断したからです。理解してくれる人は理解してくれます。

韓国の諺に、ウンコを避けて通るのは、ウンコが怖いからではなく、汚いからである、といふのがあります。そんな心境でした。


しかし、私が争はない結果、誤解が広がつて、私は子宮頸がんワクチン被害者の訴訟から完全に排除されました。それは、訴訟利権を独り占めにしたいグループによるものでした。私は、こんな訴訟を利権の対象とする気持ちは毛頭ありません。全政党がワクチンを推奨してゐたのに、その政党に属する関係者の弁護士たちが、よくそんな訴訟に関与できるものだと呆れました。マッチポンプの典型です。しかし、そんな状況ではあつても、なんとかワクチン被害者が救済されることを今でも心から祈つてゐます。


ところが、今回のワクチン被害は、これまでと比較して規模が大きすぎます。そして、そのことを予期しつつ、ワクチン開発がなされつつある間に、どのやうな方法でこれを止めることができるかを真剣に考へました。


子宮頸がん予防ワクチンの危険性」と同様に、「武漢ウイルスワクチンの危険性」といふ論文を書いて発表しても、子宮頸がん予防ワクチンの場合でさうであつたやうに、妨害に遭つて反対運動の大きな広がりを期待することできないと感じてゐました。


被害者が多くなることを漫然と傍観することはできませんが、訴訟を提起しても、政府による巨大なワクチン利権の推進政策の前には、蟷螂の斧に過ぎないので、訴訟を断念するしか方法がないとの意見や、様々な意見があつて、纏まりがつきませんでした。


諦めるのなら初めから声を上げるな!批判されるのが怖いのなら、黙つて巣籠もりしてゐろ!と思つてゐました。


令和2年12月に、東京で関係者と協議しました。そして、その後も協議を続けましたが、いつまで経つても具体的な方針は決まりません。そこで、私は、このままではいつまで経つても提訴できないと判断し、一人でも訴訟を提起することを決めました。

私が原告になつて本人訴訟を起こすこともできますが、私の考へを全面的に支持してくれる人を原告としてワクチン訴訟を提起することにしました。その原告としては、私が取り組んできた子宮頸がんワクチンのことや児相問題などの活動を共にしてくれた古くからの友人である城陽市議会議員の本城隆志氏にお願ひすることにしました。


原告は本城氏1人、私がその訴訟代理人となつて提訴し、支援者の多くがこれに補助参加してもらふ構想でした。小さく産んで大きく育てるといふ方針です。


そして、令和3年2月14日に、ファイザー製のワクチンが特例承認を受け、同年5月21日には、アストラゼネカ製とモデルナ製のワクチンが特例承認を受けたことから、もう待つた無しだと考へて、私はすぐにこの訴訟の訴状の原案を作成し、これを全面的に支持してくれた木原功仁哉弁護士と弁護団を組みました。


提訴は、遅くとも7月中と考へてゐたところ、東京の関係者から、私が提起する訴訟に原告として参加したいとの提案があり、こちらの方針の変更が可能であるかについて、協議することになりました。7月6日に、関東と関西の中間地点である名古屋で、訴状の原案を示してぎりぎりの調整と協議をしました。その結果、最終的には、あと2人が私の訴状による提訴に原告として参加することになりました。その訴状が公開してゐる訴状です。


提訴を急いだのは、反ワクチン運動の関係者らが取りまとめて、令和3年6月24日に、医師390人、地方議員60人、計450人による武漢ウイルスワクチンの接種中止を求める嘆願書が厚生労働省に提出したその日に、これをあざ笑ふかのやうに、河野太郎大臣が、自分の「ごまめの歯ぎしり」といふブログで、「ワクチンデマについて」を発表し、その中で、「中には医師免許を持っているにもかかわらず、デマを流す人もいます。」と書かれたことに私は憤慨したからです。


こんな輩がわが国の大臣なのです。安全性の説明を詳しくすると公約してきた政府が、その説明を全くせずに、安全性の疑問を抱く多くの国民に対して、疑問を抱くこと自体が「デマ」であると切り捨てることで終はらせやうとする著しい背信的暴言は、議員辞職に匹敵するものです。


そんな騒然とした状況の中で、7月13日、東京地方裁判所の司法記者クラブに、記者会見の予定日の調整を行ひ、同月15日の時点で、提訴を同月30日とし、同日午前11時に記者会見をすることに決まりました。


そして、同月26日には、マスキングをした提出用の訴状を記者クラブに配信して、30日の提訴と記者会見の準備は完了したのです。


ところが、記者会見については、一悶着があつたのです。それは次回に話します。


南出喜久治(令和3年9月15日記す)


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