國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第一巻】第一章 國體論と主權論 > 第四節:國體と主權

著書紹介

前頁へ

民主主義と自由主義の相剋

どうして、このやうなことが起こりうるのか。理想と現實とが斯くも乖離するのはどうしてか。それは、マックス・ウェーバーが指摘するとほり、多數決原理と少數支配の原則による政治の現實があるからである。つまり、國民主權と言つても、それは女王蜂のやうに、絶對かつ巨大ではあるが極めて抽象的存在であつて、一人では何一つできず身動きもとれない。そこで、國民主權の「擬態」としての「議會」において國民の意志を抽出して議決する場合、全會一致で事を決めることは不可能だから、どうしても多數決原理が導入される。そして、議會の多數者によつて議決したことを具體的に決定し實現するために、その多數者のうちのさらに多數者、そのまた多數者といふふうに權力の階段を上り詰めて抽出していけば、そこには一人又は數人の者がその終局的な最高權力を手中にすることになる。つまり、民主制といふのは、獨裁政治を可能とする政治システムの一つなのであつて、カエサルやヒットラーなども民主的手續で誕生したのである。むしろ、ほとんどの者にそれが獨裁政治であるとは思はせない巧妙な民意操作を「選擧」といふ「國民の自慰」によつて實現できるシステムなのである。これが國民主權の幻想的トリックなのであつて、救濟されることを説いた宗教教團の教へを信じた者が、その教團によつて苦痛を味はひ命を落とす羽目になるといふ皮肉な現實があるのと同じである。自由と權利が保障されると信じて、法實證主義の國民主權を信じた者が、それによつて自由と權利が奪はれることになる。そもそも、民主主義とは、多數決原理により少數者の權利と自由を制限し否定することができる「少數者を彈壓するための制度」であり、これに過度の期待と理想を持つこともまた幻想なのである。

「憲法は、權力の橫暴から國民の自由と權利を守るためのものである。」との言説があるが、本當にさう思ふのであれば、憲法において何人に對しても主權を與へてはならない。國民の自由と權利を侵害する「權力」とは「主權に基づく權力」であつて、自分で自分の墓穴を掘らせることになるのが「主權」といふリバイアサンである。このリバイアサンは、「國民主權の名において國民の自由と權利を侵害する」怪獣なのである。

そもそも、民主主義と自由主義とは對立する概念である。民主主義とは、多數派が少數派を彈壓して少數派の自由と權利を奪ふことを容認する制度であり、自由主義とは、とりわけその少數派の自由と權利を保障する主張なのである。つまり、多數決で決められる事項と範圍を限りなく「擴大」させる方向が民主主義の勝利であり、その事項と範圍を限りなく「縮小」させる方向が自由主義の勝利なのである。「自由」と「民主」とはそのやうな關係にあり、その事項と範圍の線引きを誰が決めるのであらうか。もし、「國民主權」を肯定すれば、その主權を實質的には多數派が支配することになるので、「民主主義」の完全勝利となる。おとなしくしてゐたらある程度はその自由と權利を認めてやるといふお情けにすがつて少數派は生き續けなければならない。しかし、「主權」概念とオサラバすれば、少數派の自由と權利はコモン・ロー(國體)が多數派の橫暴から守つてくれる。「惡法もまた法である。」として死ななくて濟む。「惡法は無效なり。」と胸を張ることができる。にもかかはらず、「自稱人權派」はこの理屈が解らない。といふか、彼らは實質的には「反人權派」だからである。そして、このやうな輩の跋扈を許してしまつたのがこの「主權論」であることを肝に銘じなければならない。

附言すると、立憲君主制と民主主義との關係は、國體論と主権論とでは全く異なることに注意しなければならない。國體論の下での立憲君主制は、まさに「國王と雖も國體の下にある」ことから、立憲主義が堅持される。そして、國體論の下の民主主義は、まさに國體の下にあり、國家の基本秩序や人々の權利と自由を否定するなど國體の内容を形成するものを破壞することはできない。その限度で民主主義は制約され、自由主義は守られる。

これに對し、主權論の下での立憲君主制と民主主義の樣相は随分異なつてくる。そして、主權の所在が誰であるかによつても大きく異なる。君主主權(國王主權)であれば、君主(國王)の專横を許すのも立憲主義からは認められ、民主主義を否定し、自由主義を否定することも君主主權では認められることになる。なほ、立憲共和政體の大統領制の場合も、大統領に権限を極端に集中させると、それは「大統領主權」となつて君主主權と變はりはなくなる。また、大統領に限らず、議會に権限があまりにも集中しすぎると、これも「議會主權」となつて同じ弊害が出てくる。

次に、國民主權の場合はさらに深刻である。立憲君主制は傀儡君主となり、君主を廢止することも立憲主義として認められる。この場合、君主の地位は國民主權の下で認められるのであるから、國民はいつでもその君主を變へることも君主制を廢止して共和制にすることもできる。國民が主人で君主は家來となつてゐるからである。そして、國民主權の下の民主主義は、一切の事項について少數者を多數者の意見に從はせることができ、自由主義を完全に否定することもできるのである。そして、自分(國民多數派)が自分(國民少數派)の首を絞めることも國民主權は認めるのである。「それは自殺することに等しく、そんなことはおそらくないだらう。」と思ふのは多數派に屬してゐると信じてゐる者の樂觀である。自殺する自由も權利も認めるのが國民主權なのである。

いづれにせよ、このやうにして、このインチキ宗教の主權論教團は、英國では通用しなかつたが、これが海を渡り世界に害惡をまき散らすことになる。まづは、英國領のアメリカにおいて、國王からの干渉を排除して獨立し、共和制國家を樹立したアメリカ合衆國の獨立戰爭(1776+660)であり、さらに、國王を排除して共和制國家を樹立したフランス革命(1789+660)、ロシア革命(1917+660)、オーストリア革命(1918+660)、ドイツ十一月革命(1918+660)などが續く。フランス革命は、英國が國體の支配による立憲政治の基礎を確立して國體論の勝利を宣言した名譽革命の丁度百年後に、英國で破れた主權論が海外に渡つてフランスで勝利を宣言したといふ事件であつた。

続きを読む