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トップページ > 各種論文目次 > H23.08.18 同工異曲の原発問題と安保問題(その二)

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脱原発運動の政治性

振り返れば、これまでの反原発、脱原発、反核の運動は、左翼勢力に乗つ取られてゐたことになる。

昭和二十九年一月、アメリカがビキニ環礁で行つた水爆実験で第五福竜丸などの日本の遠洋漁船が多数被曝した「死の灰」事件を契機として、全国規模で核兵器廃絶を求める署名運動が展開され、超党派的な原水爆禁止日本協議会(原水協)が組織されたが、日米安保条約への対応を巡つて党派的性質を深め、自民党系と民社党系が脱退して分裂し、民社党系は、核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)を結成した。そして、昭和三十六年にソ連が核実験を再開すると、これに対する対応により、ソ連に抗議せよとする社会党・総評と、これに反対する共産党とが対立し、さらに、昭和四十年の部分的核実験禁止条約に賛成する社会党・総評系とこれに反対する共産党系とが対立した結果、社会党・総評系は原水協を脱退し、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を結成した。

社会党が、アメリカの核は戦争のためであるがソ連や中国の核は人民解放のためであると唱へたことなどからしても、これらの運動は党派的なご都合主義で行はれてきた歴史的経緯があつた。

そのため、左翼運動に携はつた菅直人の脱原発発言は、このやうな脈絡の中で理解する必要がある。菅直人の描くシナリオは何か。それは、結論を言へば、「自民党の一人負け」である。菅直人が退陣した後も、民主党の新代表は敗北必至であるから解散に打つて出られない。そして、原発被害が終息できないままで任期満了による総選挙となり、菅直人は新党を結成して脱原発を唱へる。自民党は、原発利権で固まつた政党であるため、口が裂けても脱原発を主張しえない。公明党も、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の開発中止やその路線からの撤退を打ち出す方向である。勿論、社民党や共産党も脱原発(反原発)である。民主党は、原発推進で政権を取得したために、脱原発へと政策転換することが困難である。それが菅直人の狙ひである。民主党は失政続きで国民の信頼を失つてをり、次の選挙で敗北することは必至であるから、脱原発に転換したところで誰も信用しない。そうすると、自民党は孤立して四面楚歌の中で原発推進を選挙で主張することになる。それでは選挙に負けるとして自民党からも、場合によつては民主党からも脱退者が増える。その結果、自民党は次の選挙で消滅し、本格的な連立左翼政権が誕生するといふ菅直人の描くシナリオである。どんな手段を使つてでも自民党を孤立させ自滅させることだけを狙つてゐる。これによつて、菅直人は、自民党の単独政権を終焉させた小沢一郎以上の評価が得られて、その名を残すことを期待してゐるのである。

私は、自民党が潰れることを心配してゐるのではない。むしろ、占領体制を固定してきた自民党といふ敗戦利得者集団の消滅はまことに喜ばしいことである。しかし、その反動として、さらなる敗戦利得者が政権を取得して我が国を解体することになるのを一番憂ひてゐるのである。自民党には、国民の意識変化も理解できず、アメリカに義理立てて自滅するしかないのか。少なくとも原発維持の主張が亡国へと加速することの危機感が全くない。救国のための劇的な政策転換をする勇気がないのである。

原発と占領憲法

菅直人は、オフレコでは、天皇の御名を呼び捨てにし、あるいは「てんちゃん」と揶揄する不敬の輩である。菅直人だけではない。そんな奴らは自民党にも民主党にも沢山居る。天皇の地位は国民主権の下にあり、国民が主人で天皇が家来であるとする占領憲法からすれば、菅直人の言動は占領憲法に反しない発言として当然に認められる。占領憲法を憲法であるする人であれば、これを批判する資格はない。天皇は国民の家来であるとする発言を批判することは国民主権を否定することになるからである。

このやうな論争は、国民主権を肯定し、我が國體を破壊することを目的とした占領憲法を憲法として認めた上で、護憲論と改憲論が占領憲法の擁護の仕方で争つてゐるだけである。いづれも原発擁護論者と同様に敗戦利得者であり、國體破壊者である。つまり、①占領憲法護憲論、②占領憲法改憲論、③原発推進論のどれか一つを支持するものは、いづれも国賊であるといふことである。

ところが、②と③を支持する国賊が愛国者気取りで保守論壇で吼えてゐる。自民党の犬といふが、敗戦利得者の確信犯的国賊たちが、国民を誤つた方向へと導いてゐるのである。むしろ、基数的評価からすれば、①だけを支持する菅直人や社民党・共産党の方が自民党よりも悪性の程度は低いことになる。

目くそと鼻くそを比べても仕方がないのであるが、どうしてこんな解りにくい捻れた状態になつてゐるかといふと、原発推進論と占領憲法推進論とが全く同じ思想構造であることの十分な理解ができてゐないためである。そのために、次の比較を読んでもらひたい。


危険なのに安全であると強弁する原発擁護論。

憲法として無効なのに有効であると強弁する占領憲法擁護論。

原発を改良してでも将来に亘つて存続させようとする原発擁護論。

占領憲法を改正してでも将来に亘つて存続させようとする占領憲法擁護論。

原発は國體を破壊する存在であるのにこのことを強引に否定する原発擁護論。

占領憲法は國體を破壊する存在であるのにこのことを強引に否定する占領憲法擁護論。

原発から脱却できるのにその具体的方法を提示しようとしない原発擁護論。

占領体制から脱却できるのにその具体的方法を提示しようとしない占領憲法擁護論。

脱原発論を蛇蝎の如く嫌つて議論しようともしない原発擁護論。

占領憲法無効論を蛇蝎の如く嫌つて議論しようともしない占領憲法擁護論。


これだけの類似点の比較をしただけでも、原発問題と安保問題の根底にある占領憲法問題とが同工異曲であることが理解できるはずである。

日本の未来

では、どうしたら脱原発へ具体的に移行できるか、その骨子を以下に述べる。

まづは、前回でも述べたが、中期的には尖閣諸島の地下資源開発に速やかに着手することである。そして、これと同時に、長期的には、分散分業による無限大への発展を目指したこれまでの経済理論を捨てて大転換し、集束統合による無限小への発展を目指す自立再生社会を実現することにある(拙著『まほらまと』参照)。

また、近い将来に必ず到来するであらう世界的な食糧危機に備へるため、減反政策を直ちに廃止し、耕作放棄地での稲作再開に向けての国家事業を興し、それによつて作られた籾米を原則として備蓄米とする。備蓄米と流通米とを峻別し、流通米の価格変動に影響がないやうに流通量を調節する。さらに、水不足も勘案し、陸稲栽培も手がけ、家庭菜園を強く奨励して援助し、各家庭の食料自給力を向上させる。大東亜戦争中の「買ひ出しより作り出し」のスローガンを復活させるのである。

その他、様々な工夫によつて、自給力向上のための技術革新を応援し、そのための開発産業を推進させて雇用を創出し、内需拡大による経済成長を続ける。これからは、世界的にも飽和状態になつた自動車などをさらに生産し続けることよりも、自給率の低い食料の増産と次世代を育てる教育産業を育成することに軸足を移すべきである。

我が国の優良な技術は、まづは我が国で普及させるべきであるが、各省庁とその特殊法人の利権に阻まれて葬り去られたものが数多くあること反省して改めるべきである。エネルギー政策においても、太陽光発電に関しては、ソーラーの設置場所を建物に限定すべきであり、その他、クリーンコールや地熱、マグマ、洋上風力、バイオマスなどに加へて、光合成発電など土と水からエネルギーを生む技術が研究開発されてきてゐる。

三・一一以後に脱原発に転換した人々も多いが、私は、過去三十数年前から脱原発と脱占領憲法に取り組んできた。今でも脱原発を主張すると、左翼のレッテルを張られて揶揄されることがあるが、三十数年前だと揶揄の程度では済まされない程の批判を浴び続けてきた。

特に、放射性廃棄物の処理ができない原発は、「便所のない住宅」とまで言はれてきたことから、その便所探しや処理方法について、平成十一年ころに当時の科学技術庁が、ある技術に着目したことがある。それは、メチレンクロライド(MC)を加水加熱処理する方法の技術で、それを省庁横断的に検討会議を開催した。技術の詳細な内容は省略するが、FRPの分解分離処理ができるなど、極めて汎用性のある技術であつて、しかも、脱塩効果をもたらすものであるために、核廃棄物処理が可能であるとの見込みがあるといふのが専門家の知見であつたことから検討会議が生まれたのである。具体的に言ふと、科学技術庁、林野庁、通商産業省、東京国立文化財研究所、環境庁、厚生省、建設省、農林水産省による検討会議であつた。

ところが、中央省庁再編と小泉内閣発足(平成十三年四月二十六日)を契機として、同年十月までにこの検討会議は行政改革を理由に解散させられた。その背景には、この技術の普及が森林総研や船舶技術研究所などの特殊法人の存続を危ふくするといふ事情もあつたのである。

私は、この技術が原発推進を後押しすることになる矛盾を抱へながらも脱原発の視点でこの推移を見守りつつ、沸点が四十度のMCを利用すれば、地熱発電のみならず、沸点百度の水を利用するよりもエネルギー効率が優れてゐるMCを火力発電に利用できることに期待してゐたが、検討会議の解散といふ残念な結果となり、省益優先と従米路線の内閣の下では国の行く末が危ぶまれると憂ひてゐた。もし、あのときその研究が進んで成功してゐたならば、福島第一原発事故の終息を早められたかも知れないと思ふと残念でならない。勿論、必ずしも核廃棄物処理が成功して成果を上げるとは限らないが、それ以外の優れた汎用性を活用して積極的な取り組みを政府が続けてゐれば多方面で大きな成果があつたことは確かである。このことは、技術開発は一朝一夕にはできず、継続が力であることを肝に銘ずることが如何に大切かといふことの教訓を残した。そして、この教訓を生かして省益優先の政治から脱却することができれば、必ずや日本の未来が切り開けるものと確信するものである。今からでも遅くはないのである。



國體護持塾 塾長 南出喜久治

平成二十三年八月十八日記す

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