國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第一巻】第一章 國體論と主權論 > 第一節:尊皇運動の系譜

著書紹介

前頁へ

鈴木マジック

ここで、これまでのことを整理すると、統帥權(統帥大權)の獨立といふ問題には二面性があり、一つは、統帥權が議院内閣制による國務事項(統治權)に含まれるか否かといふ點であり、もう一つは、統帥權が天皇自らが行使しうる大權事項(親裁事項)として認められるものか否かといふことである。そして、この統帥權(統帥大權)の實質的歸屬が、天皇、内閣、そして統帥部(大本營)のいづれであるのかといふ三つ巴の樣相となるが、昭和期において、このうち、まづいち早く天皇が埋没し、後は内閣と統帥部との確執が戰後まで續けられることになつたのである。

かくして、統帥權は、明治維新を成し遂げた元老による政治が衰退して行くことと呼應して、天皇の專制君主的權限も収縮するに至り、實質的には「君臨すれども統治せず」的な天皇不親政の運用がなされることによつて「權力の空白」が生まれた。つまり、この「統帥權干犯問題」の背後にある「統帥權の獨立」といふ軍部の主張は、天皇の超憲法的權威(天皇主體説又は天皇主權説)や天皇超政論(天皇機關説)といふ見解に基づき、「統治すれども親裁せず」といふ帝國憲法の立憲主義的な本來の運用を否定して、「君臨すれども統治せず」といふ非立憲的な運用によつて、政府の干渉を受けずして軍部が獨斷專行する契機を與へたものであり、これが張作霖爆殺事件に始まり柳條溝事件、滿洲國建國に至るまでの軍部の獨斷先行と、それを統帥部及び内閣が追認することによる統帥と國務(政務)の不一致、陸軍と海軍の非提携、軍令と軍政の不一致などの矛盾に滿ちた複合構造を生んだのである。

ところが、そのままの状態で敗戰へと向かふことになつたものの、帝國憲法に基づき、その第十三條の講和大權に基づいて、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印したことによつて、我が國は有條件降伏の内容として、我が軍の無條件降伏と完全武裝解除を約した。そして、この講和大權の行使の結果、統帥大權(第十一條)及び陸海軍編制大權(第十二條)の行使は停止されることになつた。その意味では、講和大權は、統帥大權及び編制大權よりも上位に位置する天皇大權であるといふことであり、このことは、大東亞戰爭の終局段階において證明されたのである。

そもそも、統帥權干犯問題においては、廣義の統帥大權(第十一條、第十二條)と條約大權(第十三條)のいづれが優先するのかといふ議論は全くなされなかつた。もし、條約大權が統帥大權及び編制大權よりも優先するとの解釋が學問上確立してゐれば、そもそも統帥權干犯問題が起こりうる餘地は全く無かつたはずである。

しかし、ポツダム宣言の受諾に際して、この多くの天皇大權が單に竝列的に存在するのか、あるいは序列的、段階的、體系的に存在するのかといふ、大權相互間の優先關係について、緊急に決着をつけなければならない事態に直面した。この事態は、「鈴木マジック」とでも呼ぶべき卓見によつて乘り越えられた。その事實經過はかうである。

昭和二十年四月に成立した鈴木貫太郎内閣は、同年六月八日の御前會議において、「聖戰完遂」、「國體護持」、「皇土保護」の三つの國策決定を行ふ。このうち、「聖戰完遂」については、本土決戰に至る統帥大權に關する問題であつて、これまで通り統帥權の獨立が認められてゐるため、内閣の輔弼が及ぶ事項ではない。しかし、戰局はさらに惡化し、ポツダム宣言受諾の方向へと動く。ポツダム宣言を受諾するについては、一般條約及び講和條約の締結といふ帝國憲法第十三條を根據とする外交問題であるから、立憲君主的に、内閣の輔弼による運用がなされてゐた事項であつた。そこで、鈴木首相は、統帥大權の歸屬者である大元帥の地位と帝國憲法上の天皇の地位とを理念上區別し、大元帥は天皇が兼務するだけで、大元帥も天皇の「家臣」であるとの見解を打ち立て、同年六月八日になされた統帥大權による「聖戰完遂」の國策決定と、講和大權によるポツダム宣言の受諾とは、何ら矛盾しないと結論付けた上で、ポツダム宣言受諾に至つたのであつた。

このやうな解釋が統帥權干犯問題の際に認知されてゐたならば、「統帥大權(編制大權)を干犯したのは條約大權である。」といふ逆説的な説得によつて、そもそもこのやうな問題が起こらなかつたか、あるいは少なくとも冷靜な對應がなされたはずである。このときにも、憲法學者の誰一人としてこの鈴木マジックの論理に氣付いた者は居なかつた。そして、その後も帝國憲法を改正して占領憲法が制定されようとする際に、占領憲法無效論を體系的に唱へた學者は一人も居なかつた。これは國賊にも等しい知的怠慢であつた。いつの時代でも、憲法學者とは、肝心なときには何の役にも立たない種族のことであり、今後も自己保身のために占領憲法無效論を必死になつて拒み續ける抵抗勢力となることであらう。

ともあれ、「統治すれども親裁せず」といふ天皇不親裁の原則といふのは、あくまでも原則であつて、國家緊急時においては例外として親裁(敕裁)がなされることを含んだ法制である。これが専制君主的色彩を含んだ立憲君主的憲法である帝國憲法の本來的な解釋であつて、この鈴木マジックにより、その本來的な解釋運用が復活して「御聖斷」がなされたといふことである。結果的には、臣民の生命と財産に對するこれ以上の慘禍が及ばないこととなり、同年六月八日の御前會議における國策決定のうち、「國體護持」と「皇土保護」は實現した。

続きを読む