國體護持總論
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イエス殺しの思想

主權論が英國で敗北した理由は、いくつか考へられるが、論理的理由としてはその理論構成そのものに問題があり、論理破綻を來してゐたためである。それは、前述のとほり、コークの「自由は權力を制限することによつて體現できるものだから、主權を附與された權力に對してこれを制限することは不可能となるので、自由への侵害が生じる。」との言葉によつてその矛盾が端的に示されてゐる。君主に主權を認めた場合、君主の暴政によつて國民の自由が侵害される可能性があることは誰でも解るだらう。しかし、ほとんどの人は、國民(または人民)に主權を與へた場合、國民(人民)が自分で自分の首を絞めるやうなことをすることは考へられないと思ふだらう。ところが、これが主權論の幻想的トリックであつて、英國においては多くの賢者によりそれが見破られたのであるが、英國以外の君主國においては、國體論が確固たる理論として定着してゐなかつたために、怪しげな新興宗教にも似た主權論に取り憑かれた學者や識者のアナウンス效果によつて、まんまと騙されて行くのである。

ともあれ、この思想が、キリスト教の國から生まれたのは餘りにも皮肉なことであるといふべきである。ローマ帝國の版圖となつてゐたユダヤの地で活動してゐたイエスは、ユダヤ教の祭司や官憲らにゲッセマネで捕らへられて最高法院に連れて行かれて死刑判決を受け、ローマ總督であつたピラトの前に引き出された。ユダヤでは大幅な自治が認められてゐたが、あくまでもローマの屬領であつたことから、死刑執行にはローマから派遣された提督の許可が要るからである。

「最後の晩餐」での出來事よりも、誰がイエスを賣つたのかといふことよりも、もつと大事なことがある。ピラトは、イエスに何らの罪も見出せなかつたし、そもそも死刑にできなかつたにもかかはらず、ユダヤ人の群衆に煽られてその壓力に屈し、イエスを十字架刑といふ極刑に處した。イエスが安息日に病人を癒すことは安息日に働くことであり、これが極刑に値する律法違反であるとして死刑になるのであれば、ユダヤ式の死刑は石で打たれて殺される方法となつたはずである。しかし、イエスには、ローマに對する反逆者としての死刑の方法、つまり十字架刑の許可が出された。これは、ピラトが法を曲げてでも大衆の喝采こそ正義であると判斷したのであり、これこそが、國民主權主義の源流である。ゴルゴダの丘で磔にした「イエス殺しの思想」、それが國民主權の正體である。

本を正せば、主權論は、「理神論(自然神論)」といふ思想的基盤から生まれた。これは、世界を創造したのは創造主である神(God)であるが、創造された後の世界は、神の創造した自然法則に從つて營まれるもので、そこには神は居ないし、神が干渉することはないとする合理主義(自然主義的有神論)であり、これは實質的な無神論である。それゆゑ、イエスは神に代はる主權者によつて磔になつたのであつて、その處刑は合理的かつ正當であるとするのである。

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