國體護持總論
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著書紹介

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稻作漁撈文化と國體

この稻作は農業の中心として、我が國の歴史、文化に深く溶けこんでゐるのみならず、漁撈と一体となつて食料自給の要諦となつたきた。この稻作漁撈文化は、多神教(總神教)文化を育む。このことが、麥作を中心とする畑作牧畜文化とそれが育んだ一神教文化との根本的な相違點である。

稲作の農用地は、森林と共に水源を涵養し治水を果たすなど、古來から現在に至るまで重要な地勢學的貢獻をなし、その經濟的效果は絶大なものがある。ところが、森林、河川、湖沼、農用地などを妄りに開發し、水源、水脈の破壞や汚染、自然生態系の破壞が今なほ繼續して行はれてゐる。特に、日本全土で二千箇所以上も存在するゴルフ場は、殊更に森林を伐採して水源と水脈を破壞し、農藥で水質を汚染する元凶である。一部の者の健康のためと稱するスポーツ施設のために、結果的には多くの人々の健康が害されていくのであり、いはば、「うたかたの幻の健康」のために、「とこしへの健康」が失はれていくゴルフ場の存在自體が我が國の將來にとつて全く有害であつて、新たなゴルフ場の建設反對どころか、日本列島から全てのゴルフ場を驅逐することが必要なのである。

我が國は、過去において、自決と進取の精神を發揚して、上質文化への憧憬により、遣隋使や遣唐使などによる支那との直接の文化交流を盛んに行つたが、物資交換を主眼とした經濟交流(交易)は行はず、採取・狩獵・漁獲を混合させた稻作中心の農耕による自給自足をさらに追求していつた。といふよりも、文化交流の目的は、自國の文化發展のために諸學を導入することにあり、當然に農耕技術その他の技術の向上による食料の國内安定供給と生活物資の國内確保に向けられてゐたのであつて、貿易依存体質への方向とは全く逆の方向であつた。つまり、自決と進取の精神といふ我が國の傳統は、食料、資源、動力(エネルギー)などの基幹物資を國外に依存せず、自給自足經濟(アウタルキー、Autarkie)を確立すること(自決)であり、そのための技術向上を目指して文化交流すること(進取)なのである。いはば、「自給自足經濟の確立のための文化交流」であり、近代以降現代に至るまでの、「自給自足經濟の放棄のための經濟交流(交易)」ではない。これらのことは第六章において詳述するが、現代の國際交流は、この我が國の傳統に基づく規範國體に反し、世界と日本の不安定化を促進してゐることになつてゐる。

戰前、我が國は、食料安全保障の見地から、主として米(コメ)の確保のために韓半島に近代的農業政策を推進したが、關東大震災、金融恐慌及び世界恐慌で疲弊した農民に追ひ討ちをかけるやうに、内地への米(コメ)の過剰流入などによる米價の下落を招くこととなり、その結果、内地と韓半島の共倒れ的な農民の疲弊と農村の崩壞を生んだ。そして、これが、二・二六事件から敗戰に至る遠因でもあつたのである。現在、これとは異なり、稻作中心の食料自給體制をめざす總合的農業政策を確立させずに、逆に無計畫な減反政策と補助金漬けの行政が繼續されたため、農民・農村の體力と活力が急速に減退している状況下で、米(コメ)の貿易自由化要求の外壓を受けてゐることは、「歴史は繰り返す」との格言のとほりである。基本的に、國家の苦難は、食料問題と資源(エネルギーを含む)などの基幹物資が確保しえない危機的状況に集約されるのであり、安定國家の指標は、その「自給率」の高さに比例すると言っても過言ではない。

過去の戰爭や内紛の多くは、究極的には食料や資源(エネルギーを含む)などの「基幹物資」の爭奪、特に、基幹物資の中核に位置するエネルギー(動力源)の確保を巡る戰爭、まさに「エネルギー戰爭」であつた。大東亞戰爭を含め、『日獨伊三國同盟』(昭和十五年九月)は「持たざる國」の連合として、この樞軸國による第二次世界大戰は、經濟面において世界史上最大の「エネルギー戰爭」であつたことは明らかである。連合國は、いまですら「自由貿易主義」で世界を席捲してゐるが、戰前には、英米は保護貿易主義に立つて、それぞれの經濟ブロック化を推進して「地域主義(Regionalism)」の實現を謀らうとしたため、我が國は、これによる經濟破綻を回避するために、獨自の地域主義である大東亞共榮圈の建設を推進したのであつた。大東亞共榮圈構想は、戰前からの連合國の世界戰略に對抗して、國家安全保障の見地から、危險を分散して基幹物資の安定供給を確保し、自給率を高めるための地域主義に立脚してゐたのである。しかし、止むを得ないことではあつたが、我が國もまた歐米列強と同樣の生産至上主義に脱した結果の戰爭であつた。そして、現在もその基盤に立つて未だに世界の先頭を走つてゐる。

 既に述べたやうに、この生産至上主義は、全世界を席捲し、ヤルタ・ポツダム體制及び國連體制と結びつき、經濟・金融面においては、昭和十九年七月の『ブレトンウッズ協定』による國際通貨基金(IMF)と國際復興開發銀行(IBRD、世銀)と、昭和二十二年の『關税貿易に關する一般協定』(GATT)による、いはゆる「GATT・IMF體制」による世界金融の統合と自由貿易の推進、世界貿易の擴大を圖り、軍事面においては、昭和四十三年の『核兵器の不擴散に關する條約』(NPT)などによる、いはゆる「NPT體制」による核保有國主導の核管理とによつて「世界主義(Globalism)」による世界支配を實現しようとした。その後、GATTは、平成六年に發展的に解消して、翌七年に新設された世界貿易機關(WTO)に吸收されたが、その基本的な體制は維持されてゐる。否、それどころか、金本位制の崩壞、變動相場制への移行、金融緩和政策の實施などにより、國境を越えて世界的に金融資本の過剰流動性が高くなつて實體經濟を壓迫し、いまや産業資本主義の時代から金融資本主義の時代へと變化してきてゐる。

それは、グローバル化といふワンワールド構想による世界の中央集權化であり、政治的、經濟的、軍事的に、世界各國の連合國への依存體質が強化されることを推進することにある。さうすれば、世界の全ての國が、自國に必要な食料、資源、エネルギーなどの基幹物資の自給率を低下させることとなり、その供給地に少しでも異變が起これば基幹物資の確保のための軍事的・經濟的などの措置をとらざるを得なくなる。それが一國で對應しうるものであれば別であるが、殆どの問題は一國で對應しきれない。そこで、當事國は國連(連合國)に救濟を求めざるを得ず、それによつて益々連合國主導の世界機構による覇權が實現するのである。連合國は、自國においても基幹物資の自給率を低下させることが安全保障上も問題があることを知悉してゐたので、世界各國、とりわけ我が國が連合國の指示通り年々自給率を低下させてゐることは逆に、連合國各國は年々自給率を高めてゐるのである。米(コメ)凶作となつた場合、これを米(コメ)の貿易自由化の必要性の根據として主張する見解は、あたかも發熱して惡寒の症状を呈する病人の體を冷氣に曝すが如き暴論である。

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