國體護持總論
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占領統治の根據と構造

このやうな占領政策は、GHQによる「占領統治」によつて實施されたものである。そして、この「占領統治」は、『降伏文書』に云ふ「subject to」(隷屬)に基づくものであるから、これに「占領管理」といふ譯語を用ゐることは、「占領軍」を「進駐軍」と表現するのと同じ誤用であり、實態を僞ることに他ならないので、以下は「占領統治」と表現する。

では、この占領統治の根據とその機構はどのやうなものであつたか。まづ、占領統治の根據についてであるが、それは、占領統治を行ふ權力の源泉が連合國と我が國との間で締結された「講和條約」にある。その講和條約といふのは、連合國が我が國にその受諾を申し入れた『ポツダム宣言』に對し、『ポツダム宣言受諾に關する八月十日附日本國政府申入』と『バーンズ回答』などの遣り取りを經て、最終的には、帝國憲法第十三條前段の講和大權に基づいて締結されたポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印といふ經緯によつて、獨立を喪失し占領統治の受容を内容とする講和條約(以下「獨立喪失條約」といふ。)のことである。

講和條約も法的には「契約」の一種であり、申込と承諾といふ對向する國家意志の合致によつて成立する。對等な當事國間の一般條約であれば、その合意内容は外交交渉によつて成立することになるが、戰勝國である連合國が敗戰國である我が國に對して、「右以外の日本國の選擇は、迅速且完全なる壞滅あるのみとす。」(ポツダム宣言)として原爆を全土に投下して完全壞滅させるといふホロコーストの脅迫による場合は、「subject to」(隷屬)しかあり得ず、ポツダム宣言の「無條件承諾」しかなかつた。

この「無條件受諾」が「無條件降伏」とすり替はつたにせよ、そもそも「無條件降伏」といふ言葉の定義も明確ではない。昭和十六年八月十四日の『英米共同宣言』(大西洋憲章)といふ政治文書において、敗戰國の完全武裝解除を求めたことに引き續いて、ルーズベルトが昭和十八年十一月二十七日の『カイロ宣言』おいて、「日本國の無條件降伏をもたらすのに必要な重大で長期間の行動を續行する。」といふやうに、極めて曖昧な表現を以て初めて用ゐた「政治的用語」に他ならない。それゆゑ、この意味が、法的には、合意成立に至る過程において一切の交渉が許されず、一方からの有條件降伏を求める申入を無條件に承諾するといふ「無條件承諾による降伏」といふ意味での「無條件降伏」を意味するのか(政府見解)、あるいは、勝者の一切の行動を法的に制約することができない白紙委任であることを意味するのかについて明確ではない。そして、そのいづれであつたとしても、近代國際法上の規則及び慣例を無視したものであつて、古くはローマ時代における對カルタゴ戰爭や對コリント戰爭における「デベラチオ(デヴェラティオ)」、つまり「敵の完全な破壞及び打倒」ないしは「完全なる征服的併合」ではありえない。しかし、これに似たものであるとする見解(神川彦松)もあるが、さうであれば、これまでの近代國際法上の規則や慣例を一切無視した太古の「野蠻な時代」への逆行がなされたことになる。その野蠻さの根源には、怨念にも似た思想的報復の意圖があるためであつて、まさに大東亞戰爭が世界史上最大の思想戰爭であることによる最大級の報復であつたことを物語る。ところが、戰爭當事國としての中央政府が崩壞したドイツの場合では、デベラチオと同視しうるとしても、我が國の場合は、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印した戰爭當事國の中央政府は歴然と存續してゐたので、完全征服のデベラチオではない。中央政府が存在してゐたからこそ、これを受諾し調印できたのである。つまり、政府が崩壞した結果としての事實上における「戰爭の消滅」ではなく、政府が存在するが故に、法律上における「戰爭の停止」としての講和であり、その講和の履行としての「獨立の喪失」であつた。

このやうに、この獨立喪失條約については、これまでの國際法における講和條約の方法によらない異例のものであつたことから、我が政府の國内手續においてはこれを「條約」としては扱つてゐなかつた。つまり、當時の樞密院官制によると、「國際條約ノ締結」は諮詢事項となつてゐたにもかかはらず、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印については、この諮詢手續がなされてゐなかつたし、官報の搭載にも、これを「條約」欄ではなく、「布告」欄に公示されたのである。これは、これまでの國際法による慣例を著しく踏み外した異例の事態に當惑した結果であつたが、このやうな國内手續を履踐しなかつたといふ手續規定違反があるからと云つて、これは講和條約ではないとすることはできない。この手續規定は講和條約の有效要件ではないので、獨立喪失條約が無效であるとか不存在であるとすることは到底できない。關東大震災のとき、樞密院の諮詢を經ずに緊急敕令(帝國憲法第八條)が發令されたことがあつたやうに、國家緊急時においては、手續が履踐されずに法規が成立することは當然にありうることなのである。

ところで、ポツダム宣言では、占領統治の具體的な態樣と内容について明記されてゐない。しかし、降伏文書には、「天皇及日本國政府ノ國家統治ノ權限ハ本降伏條項ヲ實施スル爲適當ト認ムル措置ヲ執ル聯合國最高司令官」の「subject to」(隷屬)に置かれるとされ、その實施細則を定立する占領統治の機構が「聯合國最高司令官」であることを明確に示してゐた。つまり、連合國側は、占領統治の全權を有する唯一の執行權者を連合國軍最高司令官總司令部(GHQ/SCAP)としたのであつた。ただし、その前に、昭和二十年八月十四日に最初の最高司令官(SCAP)としてアメリカ太平洋陸軍部隊總司令官(GHQ/USAFPAC)であり元帥の地位にあるマッカーサーを任命して發表し、同月十六日、その占領統治の態樣については、アメリカが單獨で占領統治を行ふことになつた。マッカーサーは、同月三十日に厚木飛行場に到着して、初めはGHQを橫濱に置いたが、同年九月十七日に東京のアメリカ大使館に移し、さらに、同年十月二日には日比谷の第一相互ビルに移轉するとともに、ここで初めてマッカーサーは連合國軍最高司令官總司令部(GHQ/SCAP)となる。つまり、正確に言へば、マッカーサーの地位は、昭和二十年八月三十日から同年十月一日までがGHQ/USAFPACであり、翌十月二日からがGHQ/SCAPである。

また、占領態樣については、占領軍を全國の主要地點に配備するだけの「部分占領」ではなく、「全面占領」とすることとなつた。

そして、日本占領統治については、連合國の共同機構として、「極東諮問委員會」(Far Eastern Advisory Commission)が設置され、その後、イギリスとソ連の強い不滿があつたことから、同年十二月の米英ソ三國外相のモスクワ會議の結果、これに代へて「極東委員會」(Far Eastern Commission)と「連合國對日理事會」(Allied Council for Japan)が設置されることになつた。これにより、連合國の政策決定機關としての極東委員會があり、その政策決定に基づく指令の作成傳達をアメリカ政府が擔ひ、その指令の執行機關として連合國軍最高司令官があり、その諮問機關として連合國對日理事會があるといふ占領統治機構を備へることになる。しかし、建前上は連合國の共同占領統治方式であつたとしても、實質的にはアメリカは單獨による占領統治方式を確立させ、その政策決定機關の中樞は、昭和十九年十二月に、國務、陸軍、海軍三省の次官補で構成される「國務・陸・海調整委員會」(State-War-Navy Coordinating Committee 略稱「SWNCC」)が擔ふことになる。このSWNCCは、『日本の敗北後における本土占領軍の國家的構成』、『降伏文書』などを策定し、占領統治後においては、連合國軍最高司令官に對する指令や『降伏後におけるアメリカ初期の對日方針』、『日本の統治體制の改革』などを作成するのである。

このやうな占領統治機構に基づく連合國軍最高司令官による占領統治の權限は、獨立喪失條約を具體的に實施するために定められたアメリカ政府の連合國軍最高司令官に對する指令によつて定まつた。具體的には、連合國軍最高司令官の權限は、昭和二十年八月二十九日の『降伏後におけるアメリカの初期對日方針』、同年九月六日の『連合國最高司令官の權限に關するマックアーサー元帥への通達』、同年十一月一日の『日本占領および管理のための連合國最高司令官に對する降伏後における初期の基本的指令』などに基づくことになる。そして、この『初期對日方針』と『初期基本的指令』に基づき、マッカーサーが管下部隊に訓令したことを同年十二月十九日にGHQが新聞發表した『連合國の日本占領の基本的目的と連合國によるその達成の方法に關するマックアーサー元帥の管下部隊に對する訓令』が出される。

このうち、『初期基本的指令』は、占領統治の基本的性質を端的に指摘してゐる。つまり、この第一部2によると、

「日本に對する貴官の權力および權限の基礎は、貴官を連合國最高司令官に任命する米國大統領の署名した指令および日本國天皇の命令によつて實施された降伏文書である。これらの文書は、更に、千九百四十五年七月二十六日のポツダム宣言、千九百四十五年八月十日の日本側通告に對する千九百四十五年八月十一日の國務長官の回答および千九百四十五年八月十四日最終の日本側通告に基礎を置いてゐる。これらの文書に從つて、連合國最高司令官としての貴官の日本に對する權限は、降伏實施といふ目的のために最高のものである。敵國領土の軍事占領者としての通例の權力以外に、貴官は、貴官が降伏およびポツダム宣言の規定の實施に得策かつ適當と考へるいかなる措置をも執る權力を有する。しかしながら、貴官は、貴官が必要と認めるか、または反對の訓令を受けない限り、直接軍政を樹立することなく、貴官の使命達成と兩立する限り、日本國天皇または日本政府を通じて貴官の權力を行使する。」

としてゐたのである。そして、ここにもあるとほり、占領統治は間接統治を原則とするものの、必要な場合は「直接軍政(直接統治)」を執ることができるとしてゐるのである。

また、この基本的指令によつて明らかになつたものは、他の部分に、「貴官の占領終了後日本の再軍備を防止する統制を立案し、かつ、統合參謀本部に勸告すること」といふ條項があるやうに、占領統治の方針は、單に占領統治期間だけではなく、その終了後における我が國の政治の在り方までも豫防的に統制支配しようとするものであつた。その意味において、占領統治とそれを支へた講和條約體系と國内法體系は、決して占領統治期間だけに效力を限定された單なる「限時法」はなく、「恆久法」に近い性質を有してゐたことになる。

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