國體護持總論
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眞正護憲論の特徴その一

まづ、第一の特徴は、「眞正護憲論(新無效論)は、國體論に基づいて主權論を否定し、國内系と國際系との區別を明確にして、規範國體を頂點とする帝國憲法體系の階層的構造を明らかにしたこと。」である。

このうち、最も重要な點は、一切の「主權論」を否定したことである。正確に言へば、帝國憲法制定後において、帝國憲法の構造を主權論を以て解釋しないのが通説であつて、その通説を踏襲したといふことである。主權論を否定するといふことは、國民主權は勿論のこと、その原型となつた天皇主權も當然に否定することにある。舊無效論の中には、天皇主權を肯定するかの誤解を生む見解もあつたが、眞正護憲論(新無效論)はこれとは完全に峻別される。これにより、無效論が國民主權を否定して「天皇主權」を肯定するかの如きは、謂はれなき誤解であることが理解されるはずである。「主權」といふ用語を強いて用ゐるとすれば、國體論とは、「國體」が「主權」であるといふ意味で「國體主權」であると捉へることができる。それゆゑに、これまでの「立憲主義」といふ鵺的な見解以上に、より立憲的な見解であるとする由縁がここにある。

ところで、文化國體、正統憲法、正統典範、規範國體の關係は、本章の冒頭に述べたとほりである。これらは國内系の規範體系の頂點に位置するものであり、その下位に法律、命令などの規範が階層的に存在する。

ただし、この下位の規範の中で、條約は、そもそも國内規範ではなく國際系の規範であるから、國内系との關係について特に考察しなければならないことになる。本來、國内法と國際法とは別の法體系であり、國内法と國際法とを一の同じ法體系として一律に認識する一元論は、餘りにも粗野な見解と云へる。そもそも、二つの法體系に包含關係や一體的關係があるとすれば、その各法體系にそれぞれ對應した二つの權力體系にも構造的な包含關係や一體的關係がなければならないことになる。しかし、國際法において、各國の對外的主權を認めてゐるといふことは、國際法自身が國際法と國内法といふ別個獨立した權力體系の構造と、それぞれに對應した法體系を肯定してゐることに他ならない。それゆゑ、條約が締結されたからと云つても、そのまま當然に國内的效力を持つことはなく(二元論)、條約が國内的效力を認められるためには、原則として、國内法秩序への編入による受容の措置が必要となる。それは、國内法に「變型」する立法手続が必要となるのか(立法方式)、議會その他の國家機關の承認で足りるのか(承認方式)といふことである。特に、これは、締結された條約の内容が國内法の内容と齟齬(相反)する場合に顯著な對立状況を生むことになる。國際法の體系からは、その條約の國内法的效力を認めることを義務付けようとするのに對し、國内法の體系からは、國内法的效力を認めないこと(排除すること)を義務付けるといふ相克を生むことになるのである(義務の相剋)。それゆゑ、國内的には、少なくともその整合性を保たせて調整すべき義務を負擔することになるのである。

ともあれ、一元論のみならず、特に、國内法と國際法とが齟齬(相反)する状況にあつては、國内法と國際法とのいづれが優位となるのかといふ議論がなされる。そして、その議論の中で、まづ、國内法のうちの最高規範である憲法とその條約とのいづれが優位であるかといふ問題が提起される。憲法を優位とする「憲法優位説」と、條約を優位とする「條約優位説」とがあるが、帝國憲法においては、憲法優位説が定説であり疑問の餘地はなかつた。帝國憲法下では、法律は帝國議會の協贊を必要とするのに對し(第三十七條)、條約はその必要がなかつたことからして、立憲主義的に成立手續が愼重かつ嚴格に規定されてゐる法律の方が條約に優位すると解される餘地もあり、また、その法律の制定と條約の締結を根據付ける帝國憲法が條約に優位することは當然のこととされた。

しかし、條約には、講和條約と一般條約とがあり、その性質を異にする。一般條約は、「獨立時の平和状態」に締結されるので、それが帝國憲法の下位にあることは當然であるとしても、このことは講和條約についても全く同じであらうか。特に、敗戰によつて敵國の軍事占領下に置かれ國家の自由意思が制限された「非獨時の戰爭状態」で締結される「講和條約」についての議論である。ところが、このことについて、戰前も戰後も全く論じられたことはなかつた。

帝國憲法第十三條は、「廣義の外交大權」を包括して規定したものであり、それには宣戰大權、講和大權及び一般條約大權が含まれるが、それぞれの性質は異なつてゐる。宣戰大權は、外交の究極的形態として、他國(敵國)に對して戰爭の開始を決定し、それを告知する權限であり、それによつて戰爭状態といふ國際法上の法律状態が形成されて戰闘が開始され、その軍事行動のすべては帝國憲法第十一條の統帥大權によつて規律される。そして、その戰爭状態の終結に向けて行使される一切の外交大權が講和大權である。それゆゑ、宣戰大權が行使された後は、軍事的には統帥大權が、國際政治的には講和大權が機能することになる。つまり、講和大權とは、戰爭中における戰爭當事國及びその關係國に對する外交大權であり、平和時又は獨立時の外交大權である一般條約大權とは峻別される。講和大權は、宣戰後になされる一切の外交交渉、その準備行爲、締結準備、講和條約の締結又はその拒絶、講和條約に基づく履行その他の一切の「講和行爲」を包括したもので、最終講和によつて戰爭状態が終了し、その講和條約の履行が完了するまでをその守備範圍とする。つまり、講和條約を締結するまでが講和大權の行使態樣ではなく、その後において、講和條約によつて課せられた義務の履行として、國内系の法令の制定、改廢その他一切の處分なども講和大權に基づく「講和行爲」として、講和大權の行使態樣に含まれる。このことは、一般條約大權の場合も同じであつて、一般條約を締結する權限だけが一般條約大權の發動ではなく、それに至る一切の外交交渉、準備行爲などもその發動によるものである。

ところで、戰爭は、勝利の結果が約束されてゐるものではない。外交に失敗があると同樣に、戰爭には敗戰といふ結果もある。ましてや、その敗戰が他國による征服、國家の滅亡などの致命的な事態も起こりうる。大東亞戰爭は、世界史上最大の思想戰爭であつたことから、停戰後のGHQによる報復は猖獗を極めた。帝國憲法は、安政五年(1858+660)に米、蘭、露、英、佛の五か國と順次締結した不平等條約である安政の假條約を改正して對等の關係を構築することを目指して、弱肉強食の國際社會に歩み出すために國内法體系の頂點の一つとして整へられたものであり、戰爭が外交の究極の形態であることを認識してゐた。それゆゑ、戰爭によつて國家を危殆に瀕する事態を想定し、この講和大權を規定したのであるから、規範國體を破壞せずに國家の同一性を喪失しない限度において、つまり、國體護持のために、規範國體に含まれない帝國憲法の通常の憲法規定を改廢できる權限を講和大權に授權したと解することができる。また、講和條約の内容に規範國體に牴觸する事項が含まれてをり、それを承諾する以外に國家存續のための選擇の餘地がないなどの極限状況である場合には、緊急避難的に一應これを締結した上で、事後において規範國體に牴觸する部分を廢止(排除)させる復元措置を採るべき憲法上の義務を課したものと理解できるのである。

また、條約は、講和條約であると一般條約であるとを問はず、外國との「契約」であるから、その效力は、國際系のみにとどまらず、國内系にも跨つた存在であることを豫定してゐる。この點が、國内だけの「單獨行爲」としてなされる國内系の憲法、法律などの規範と根本的に異なる。さらに、條約は、前述したとほり、原則として國内法秩序への編入措置が必要であるが、例外的に、その内容と性質によつては、そのまま國内系において直接に效力を及ぼす場合もありうる。

さらに、前述のとほり、憲法と條約はいづれが優位かとの議論があるのと同樣に、條約と法律はいづれが優位かといふ條約優位説と法律優位説との議論もある。帝國憲法では、帝國議會の協贊を必要とする法律の方が、それを必要としない條約よりも規範定立手續が嚴格であることからして、法律が優位とする見解もあつたが、天皇大權の序列から考察すると、むしろ、條約優位説が正しいと思はれる。すなはち、廣義の條約大權(講和大權、一般條約大權)は、帝國議會に協贊の權限によつて制約された法律大權とは異なり、帝國議會の協贊といふ制約がない大權であるから、廣義の條約大権の方が法律大權よりも優位であると解されるためである。


以上のことから、これらの關係について、國内系規範の段階的な階層構造を不等式で表示すれば、

規範國體(明治典範を含む正統典範と帝國憲法を含む正統憲法の根本規範部分) > 講和大權 ≧ 講和條約群(ポツダム宣言、降伏文書、占領憲法、桑港條約) ≧ 憲法改正權 ≧ 憲法的慣習法 ≧ 通常の憲法規定部分 > 條約大權 ≧ 一般條約 = 條約慣習法 > 法律 ≧ 緊急敕令 > 政令その他の法令

といふ法體系の圖式となる(=は同等同列の意味である。この圖式中、憲法的慣習法、條約慣習法については、次章で解説する。)

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