國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第三巻】第三章 皇室典範と憲法 > 第七節:無效論の樣相

著書紹介

前頁へ

眞正護憲論の特徴その八

第八の特徴は、「眞正護憲論(新無效論)は、承詔必謹論による無效論批判を回避し、『有效の推定』とか『不遡及無效』などといふ矛盾した論理を用ゐずに、法的安定性を維持できることを明らかにしたこと。」である。

まづ、承詔必謹についてであるが、承詔必謹は規範國體に屬するものであるから、先帝陛下が上諭を以て公布された占領憲法を否定する無效論は、承詔必謹に悖るとの主張である。この見解の矛盾と誤りについては後述するが、この批判は、主に舊無效論に向けられることはあつても、眞正護憲論(新無效論)に對しては筋違ひである。

前述の帝國憲法第七十六條第一項は、別の視點から見れば、教條的な承詔必謹論を排除した規定でもあり、次章で述べるとほり、これに基づいて構築した講和條約説(眞正護憲論、新無效論)は、まさに立憲主義憲法として欽定された帝國憲法による承詔必謹を誠實に遵守した見解である。占領憲法は憲法としては無效であるが、講和條約として成立したとするのは、まさにこの規定に基づくもので、これが欽定憲法であることからして承詔必謹に悖るものではない。むしろ、承詔必謹の具體的態樣は、この規定によつてゐるのである。

また、一部の舊無效論によると、占領憲法は、公布された規範であるから、公定力があるので、國會で無效確認決議をするまでは「有效の推定」を受け、その決議は將來に向かつてのみ占領憲法が無效となるだけで、制定時ないしは施行時にまで遡及しないといふ「公信力の原理」に基づいて「不遡及無效」を主張する見解がある(井上孚麿、小山常実)。しかも、公法關係においては、無效化することによつて影響を受ける第三者が多數によることから、無效確認の效力は不遡及であることが當然であるとする。これは、法的安定性を害するとの批判を意識したものと思はれるが、はたして不遡及は當然であると云へるのであらうか。

確かに、現行制度では、行政處分等の取消によつて生ずる混亂を回避して法的安定性を保護するために、行政事件訴訟法第三十一條には、いはゆる事情判決の法理を定めた規定があり、これ以外にも、裁量棄却判決の制度(會社法第八百三十一條第二項、中小企業等協同組合法第五十四條など)も同趣旨のものとして存在する。對世效(訴訟當事者以外の利害關係者にも判決效が及ぶこと)があるとされる場合、無效判決の效力は將來に向かつて生じ、遡及效がないとすることについての特別の規定が設けられてゐる。これらは、遡及效のない「失效」または「破棄」の變形であり、「違法であるが有效である」とか、「將來に向かつて無效である」とするもので、將來に向かつて違法であること(實質には失效すること)を宣言すること、つまり「違法宣言」をすることが義務付けられてゐる。しかし、これは、そのやうな明文規定があつて初めて「特例」として適用されるものであり、そのやうな特例を定めたものがないのに、無條件でこの「有效の推定」、「一應有效」、「公信力の原理」、「公定力の原理」なるものを安易に一人歩きさせることはできないのである。現に、公職選擧法第二百十九條第一項は、選擧關係訴訟について、行政事件訴訟法第三十一條を準用せず、選擧無效に遡及效を認めてゐるのであつて、法的安定性を維持すべき要請が絶對普遍なものでないことを示してゐるのである。

ましてや、公序良俗違反(民法第九十條)による無效は絶對的であり、當然に遡及效がある。私法の領域における公序良俗違反が絶對無效である理由は、まさにそれを容認することが公法の領域における憲法規範の秩序をも破壞するからである。不條理を認めないことも規範國體の當然の内容である。ましてや、その憲法秩序自體を破壞するのは、公序良俗違反以上に著しい違法性があり、遡及的無效が認められることは當然のことである。

もし、占領憲法無效論がこのやうな安易な不遡及無效といふ論理に依據するのであれば、これはそもそも無效論ではない。無效確認決議がなされるまでは「有效」であり、その決議がなされれば將來に向かつて無效となるといふのであれば、それは單なる失效論(廢止決議を求める立法論的見解)である。菅原裕もそのやうな主張をしてゐたが、それは、あくまで無效論のうちの「法律失效説」であつた。しかし、井上孚麿、小山常実の見解は、「憲法失效論」であり、およそ實際には存在しないと判斷してゐた「後發的無效論」に分類されることになる。ところが、これらの論者は、占領憲法は占領管理「法」であるとも主張し、それが菅原説と同樣なのかも不明で、しかも菅原説の場合と同樣に、どうして「法律」なのかの根據を示さないので正確な判斷と批判ができない。

また、そもそも、有效の推定を受けるとしても、無效確認決議がなされれば、それまでの有效の推定が覆つて、當初から無效となるのが本來であるのに、どうして無效確認決議がなされた以後も「有效の推定」が存續するのか。といふよりも、無效確認決議がなされれば、それまで「有效の推定」にすぎなかつた過去の行爲が、どうして「有效なものとして確定」してしまふのか。無效確認決議がなされると、どうして過去の行爲の效力が覆らないのかといふ疑問について全く説明がなされてゐないのである。

むしろ、占領憲法が憲法として無效であることを根據付ける、これほどまで多くの事實が存在するのであれば、「有效の推定」ではなく、「無效の推定」がなされるべきであり、刑事被告人における「無罪の推定」と同樣、有效であることを主張する側がその立證責任を負擔すべきものと解されるべきである。

舊無效論であれば、占領憲法が無效となつたことによつて、これまでの法令、行政處分、判決等の司法處分が遡及的に覆滅して大混亂を生ずるのではないかとの法的安定性への重大な疑問と不安に對し、明確な回答と安心を與へることはできない。このやうな不明確な説明しかできないことによつて、舊無效論への猜疑がより深まつてしまふ。その疑問と不安を払拭できるのは、眞正護憲論(新無效論)しかないのである。

続きを読む