國體護持總論
トップページ > 著書紹介 > 國體護持總論 目次 > 【第三巻】第三章 皇室典範と憲法 > 第七節:無效論の樣相

著書紹介

前頁へ

似非改憲論による第九條第二項削除案

有效論による似非改憲論の中には、第九條第二項を削除するなどの改正をして正式に軍隊を持てるやうにすれば、國防體制の不備について解消できるとする見解もある。しかし、これは全くの見當違ひである。第九條第二項を削除改正するだけでは何の解決にもならない單なる彌縫策である。

そもそも第九條の解釋からすれば、軍隊を持てない非獨立の隷屬國には自衞權(國防の權利)など認められるはずはない。前文にも、「平和を愛する諸國民の公正と信義に信賴して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」として、自衞權を積極的に放棄してゐる。

そして、第九條に關する有效論の詭辯の解釋によつて、我が國に自衞權、つまり「國防の權利」がからうじて認められても、それだけではどうしても國民の「國防の義務」は認められない。帝國憲法第二十條は、兵役の義務としてこの國防の義務が認められてゐるが、占領憲法には、GHQの占領統治の妨げになるので、この義務は勿論認められなかつたからである。その一方で、GHQは、占領憲法を通じて占領政策を繼續しようとしてゐたから、天皇と公務員に憲法尊重擁護義務(第九十九條)を課してゐる。しかし、第十二條前段で、「この憲法が國民に保障する自由及び權利は、國民の不斷の努力によつて、これを保持しなければならない。」としながら、國民には憲法尊重擁護義務を課してゐないのである。つまり、天皇と公務員だけに對して「祖國は守らなくてもよいし、滅びてもかまはないが、占領憲法だけは守れ。」と命じてゐるのである。國家の存續が目的で、憲法はそのための手段であるのに、手段と目的が轉倒した致命的な缺陷がある占領憲法を守ろうとする「護憲思想」が、亡國の思想と呼ばれる所以はまさにここにある。

ところで、國防軍に祖國を防衞する憲法上の義務を認めるためには、その前提要件として國民の國防義務を憲法上の義務としなければならない。現に、國防軍を擁する諸外國は、全てこの國防義務を憲法上の義務としてゐるのである。したがつて、第九條第二項を削除改正をしたところで、國防の義務を憲法上の義務としなければ、國防軍はその祖國防衞を使命とする國軍としての存在根據を缺くことになる。單に、自衞官(國家公務員)の法律上の服務義務だけに國防の根幹を委ねる性質のものではない。法律上の義務ならば、外國人の傭兵でも賄へる。外國人傭兵が我が國との契約關係に基づく法律上の義務を誠實に履行するとの「公正と信義に信賴して、われらの安全と生存を保持しようと決意」すればよいことになるのである。

いづれにせよ、占領憲法において國防の義務(兵役の義務)を認めようとすれば、第十八條も改正しなければならなくなる。つまり、第十八條は「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る處罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と規定し、兵役は「苦役」に該當すると解する説が存在するからである。そして、これらを改正しようとしても、改正手續の要件が極めて嚴格であるため、現實にはこの改正は殆ど絶望的である。しかし、國防上の緊急性はそのような流暢な話に付き合つてはくれないのである。この緊急性に對應できるのは、やはり眞正護憲論(新無效論)以外にありえない。

そして、さらに云へることは、第九條二項を削除改正すれば、確實に對米從屬(隷屬)をより強化することになるといふことである。占領憲法自體が對米從屬憲法であり、謝罪憲法であるのに、そのままの状態で軍隊を持つことは、從屬から隷屬へと深化する。アメリカは、防衞戰略上の理由から、我が國の軍事的獨立を認めない。日米安保は、雙務的軍事同盟とは到底なりえないのである。これを、獨立日本が締結した過去の「日英同盟」と同じ語呂合はせで、「日米同盟」と稱するのは、惡趣味な幻想に過ぎない。

続きを読む