國體護持總論
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著書紹介

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自給率

ところで、海洋國家である我が國の國防を考へるとき、そもそも海の産軍協同の視點を外してはならない。林子平は、寛政三年(1791+660)の『海國兵談』を著し、鎖國のみとする幕府の無爲策を批判し海防の必要性を説いた先見者であつたが、幕府(松平定信)から彈壓され、そのことがやうやく見直されるのは黑船來航以後であつた。自給自足の鎖國體制のために、その自覺が鈍磨してゐた時代にはやむを得ないことであつたとしても、海外との交易によつて國家の生存を維持する時代にあつてはさうは行かない。つまり、海洋國家の軍隊の役割は、海の道を經て國内へ物資を流入させる海運業と水産資源を確保する漁業が營む海域を守ることにあると同時に、これらの産業活動による國防に不可缺な海域情報を蒐集することにある。しかし、エネルギーと食料の自給率を年々低下させて海外への依存度を高めてゐる我が國においては、いくら海の守りの軍備を世界最大級に增強したとしても、その軍事力だけでは最早その自衞可能な限界點を越えてゐるために、有事には深刻な事態を引き起こすことであらう。

このエネルギー安保、食料安保の視點から、その自給率を高めることこそ、海洋國家の防衞論に不可缺な要素でありながら、現在の防衞論は專ら軍備(軍事力)のみしか着目されない點に我が國の防衞論の致命的な甘さがある。

我が國の食料自給率は、供給カロリーベースによると、昭和三十五年で七十九パーセント、昭和五十年で五十四パーセント、平成九年で四十一パーセント(小麥九パーセント、大豆三パーセント)とされ、現在でも同程度となつてゐる。ただし、自給食料の栽培に石油等の輸入エネルギーを費消するために、エネルギーベースで換算すれば、原子力を含まないエネルギー自給率は四パーセントであることから、眞の食料自給率は悲観的な數値となるはずである。

また、古い統計でも、遊休農地は十一萬七千ヘクタールで、これは長野縣全農地に匹敵する面積で、さらに、年々耕作放棄地が擴大してゐる。

では、どうしてこのやうに我が國は自給率を年々低下させてきたのであらうか。それは、ここにも我が國の再軍備を阻止するを目的を持ち續けたGHQの政策があつたからである。

今、本土決戰を想定した有事法制の審議がなされてゐるが、本土決戰のためには、まづ、自給率が高くなければならない。自給率が低ければ、海外に物資を依存することになるが、制海權も制空權も完全に奪はれた大東亞戰爭の末期のやうな状況では、如何に精鋭部隊が本土を守らうとも、餓死といふ見えざる敵の前に全員玉碎せざるを得ない。

そのことを知り盡くし、我が國が報復戰爭をいどむことを恐れたGHQは、餘剰農産物の戰略兵器化構想を打ち立てる。通常の兵器は、それを使用することにより破壞し殺傷するものであるが、難を逃れる者が必ず存在するので、殲滅させることは困難であるが、食料を戰略兵器として使へば、食料・飼料など供給を他國に依存してゐる人畜に對して、それを突然供給停止することにより根こそぎ餓死させることができるのである。そして、それは、MSA(Mutual Security Act)として、日米安全保障條約(舊安保條約)を獨立と引き替へ締結して間もなく日米相互防衞援助協定の調印により、アメリカはその目的を達成させるのである。これは、正式には、『日本國とアメリカ合衆國との間の相互防衞援助協定』(昭和二十九年五月一日條約第六號)と呼ばれるもので、これにより我が國は、一氣に自給率を年々加速的に低下させる一方で、連合國は、逆に、自給率を年々高め、餘剰農産物といふ名の戰略兵器を增産させていく。表向きは、西側陣營の國際的分業といふ美名の下に、我が國はこの謀略にまんまとはめられたのである。

そして、慶大醫學部の林髞(たかし)や朝日新聞の『天聲人語』(昭和三十一年三月十一日、昭和三十二年九月三日)など、GHQの手先となつた學者やマスメディアを利用して、「コメを食べるとバカになる」といふデマのキャンペーンを大々的に展開し、獨立後も學校給食は全てパン食にさせるなど、國民のコメ離れを強引に導き、遂に、昭和三十六年に『(舊)農業基本法』を制定させることになる。これは、選擇的擴大と稱して、食料自給路線の放棄、國際分業の徹底といふ比較優位説(リカード)を高らかに歌ひ上げさせ、我が國を引き返しのできない穀物輸入體質化へと追ひ込んだのである。

その後、アメリカは、この戰略兵器構想を我が國だけではなく、さらに、ソ連にも擴大させた。つまり、昭和四十七年、ソ連が凶作となり、それが今後慢性化すると豫測したアメリカは餘剰穀物をソ連へ緊急輸出し始めたのであつた。ところが、翌四十八年四月、今度はアメリカが異常氣象による凶作となり、トウモロコシ、大豆がアメリカでは絶對的に不足した。その結果、食肉物價の高騰を招き、同年六月二十七日、アメリカは、大豆の我が國向けの輸出を停止したのである。この輸出禁止が長期化すれば、我が國から豆腐や醤油や納豆などは高騰し、最後には消えてなくなる。大豆の國内自給率は三パーセントに過ぎず、輸入の上に食文化が榮えてゐたためである。しかし、同年九月には、幸ひにも輸出停止が解除となり難を逃れたが、この事件は丁度、第一次オイルショックの時期と重なり、風評によるトイレットペーパーの買ひ占め買ひ漁りといふとんちき騷ぎの陰に隱れて人々は殆ど話題にしなかつたが、これは、三パーセントの自給率しかない大豆だけの問題ではなく、自給率が全般的な低いことが亡國への道であるとの深刻さを如實に物語るものであつた。異常氣象や天變地變による農作物の凶作は今後ますます頻度を增してゐるからである。

我が國では、平成十一年七月になつて、やうやく自給率の數値目標を設定しようとする「新農業基本法」(食料・農業・農村基本法)が制定されるが、これとても單に數値目標を設定するだけで、その達成のための方策が全くないザル法である。はたして、これで食料安保への道を歩み出すことができるのか、甚だ疑問である。

我が國の米の政府備蓄量については、戰後における不作(作況九十八以下)の平均である作況九十二の不作が二年連續した場合に對應する百五十萬トンを保有するとしてゐるが、備蓄の意味が全く判つてゐない。食料全般の著しい不作を豫測したものでなければ危機管理の役割を果たしてゐないからである。

食料問題は防衞問題である。食料の安定、安心、安全なる生産と消費の保障と備蓄の確保、つまり、食料安保は、軍事力に勝るとも劣らない防衞問題なのである。そのことが現實となるのが戰爭、災害などの非常時である。大東亞戰爭開戰直後の昭和十七年に食糧管理法が制定され、國家の總力戰に向けた有事法制としての食糧管理制度が始まつた。政府が主要な食料である米や麥などの食糧の生産、流通、消費、備蓄の全般にわたつて管理するものであり、その目的は食料の需給と價格の安定にある。もし、有事において食料の需給と價格を自由な經濟活動に委ねるとすれば、人々は危機意識による萎縮效果として、生産者の賣り惜しみ、流通過程での買ひ占め賣り惜しみなどによつて消費者の需要が極度に不足して價格の高騰を生ずるのみならず、國家の總力戰を下支へする大多數の中流層と貧困層の臣民が飢餓に瀕し、聖戰の完遂が不能となるからである。

そして、この食糧管理制度は、敗戰後に襲つた極度の食糧難の時代にも當然繼續した。ところが、受忍の限界を超えた極度の食糧難は、臣民の自己保存本能を極端に肥大化させる。生産者(農家)は、自家消費と再生産に必要な米以上に大量の米を供出留保して、それを闇米として流通させる。そして、それを買ひ出しに來た都市生活者が提供する着物その他の稀少物と闇米とを交換し、それが價値的に不足すると言ひがかりをつけて女性の貞操までも奪ふといふおぞましい事態が恒常化した。空襲で焼け出された都市生活者のタケノコ生活と農家の焼け太り。食糧管理法による配給米は辛うじて臣民の生活を下支へしたが、遅配や欠配が慢性化し、それにも堪へながら、家族の命を守るためにやむをえず闇米を口にして凌いだ。前に述べたとほり、そのやうな中で、「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」(教育敕語)、「天皇ノ名ニ於テ」(帝國憲法第五十七條)裁判を行ふ裁判官の職責を全うする盡忠報國の覺悟をもつて、闇米を一切口にせず配給米だけで生活した東京地方裁判所の山口良忠判事夫婦のひたむきな姿があつた。配給米が遅配と缺配を繰り返す中にあつても、命を繋ぐには絶對量の不足する配給米を優先的に子供達に食べさせ、夫婦は堪えた。自己保存本能よりも家族維持本能による行動を選擇して、山口判事は、昭和二十二年十月十一日、自決としての餓死を選ばれた。

また、その丁度二年前の昭和二十年十月十一日にも、東京高校(舊制)のドイツ語教授亀尾榮四郎は、「いやしくも教育者たる者、表裏があつてはならぬ。どんな苦しくても、國策に從ふ。」といふ固い信念のもとに、自分は殆ど食べずに、子供たちに食物を與へ續け、ついに力盡きて亡くなつた。

これらは單なる過去の事實にとどまらない。これらの自決が現代に投げかけるものは余りにも大きいのである。それは、リカード理論の變形である「消費者保護」といふ安易で輕薄な思想により安い輸入食料に賴つて自給率を著しく低下させ、米食離れが文化生活であるかの如く喧傳して減反政策を推し進めてきたことから、災害、戰爭などで食料輸入が不可能となつた場合の食料確保が絶望的となつてゐるからである。我が國は、敗戰後の食料事情が改善されるに從つて、食糧管理法を廢止するに至つたが、むしろ、自給率がこれほどまでに落ち込んだ現在こそ、緊急時立法として新たな食料管理法が必要となつてゐる。つまり、食料、食品ごとに需給量を調査して、國内生産量と輸入量の總和が生活必需量を下回つたときに發動される食料管理法である。もし、これがなければ、非常時の混亂は避けられない。トイレットペーパーを買ふため行列する程度では濟まなくなる。敗戰後の闇市の再來やマフィアの専横は杞憂ではない。買ひ占め、賣り惜しみによる貧困層の餓死者が多くなる。そのやうな時點になつてからでは充分な調査や檢討もできず、付け焼き刃的に立法化しても、立法の不備と周知の不徹底による更なる混乱では火を見るよりも明らかである。


昭和十七年十一月二十日に第八方面軍司令官としてニューブリテン島のラバウルに着任した今村均陸軍大將は、ガダルカナル島の悲劇を教訓として、内地などから彈藥、糧秣などの兵站が途絶えることを想定し、自ら率先して島内に広く田畑を耕作して完全な自給自足體制を確立し、米軍の空襲と上陸に對抗する強固な地下要塞を建設した。そのことから、マッカーサーは、ラバウルへの攻撃を斷念し、ラバウルだけを回避して、皇軍が守備する太平洋上の諸島への補給を阻止して皇軍將兵を餓死させる飛び石作戰へと轉換した。その結果、ラバウルは敗戰まで死守され、約十萬人の皇軍將兵は、玉碎することなく内地に復員したのである。これは、自給自足體制が防衞力としては何個師団もの兵力に匹敵することを物語つてゐる。言葉が空回りしてゐる歴史オタクや軍事オタクでは、この教訓は解らないのである。


また、現在、世界では、農産物の遺傳子組み替へが問題として議論されてゐるが、一般に論じられてゐるこの問題意識にも食糧安保の視點からは大きなズレがある。確かに、食品の安全性とか健康への影響といふ問題は決して皆無とは云へないとしても、ターミネータ・テクノロジーが世界の食糧安保を危くする點こそが最大の問題なのである。このバイオ・テクノロジーの一つであるこの技術は、種子會社が自社の種を生産農家に購入させ續けるために、生産農家がその種から種(第二世代)を得られないやうに、遺傳子の組み替へによつて第二世代を發芽させない技術を開發し、その特許を取得してゐることにある。これにより、世界の生産農家は、自家採取が不能となり、ひいては食糧の依存體質を固定化させることになるからである。

そして、現在ではさらに深刻な問題がある。つまり、低コスト牛肉(ハンバーガー用)は、世界の畜産農家を疲弊させ壞滅させ續けてゐるからである。低コスト牛肉を供給するには、牛に良質の飼料を與へ續ける飼育方法では絶對に不可能である。「放任放牧」でなければならず、牛一頭に付き一ヘクタール(百メートル四方)の放牧地が必要とされる。そのため、ブラジルなどの森林は伐採され續ける。ブラジルの牧場主はブラジル人ではない。ブラジルからアメリカ、日本その他の地域へ運ばれる。しかも、その價格は過當競爭によりさらに値崩れし、生産農家をぎりぎりまで壓迫する。「ハンバーガー(牛肉)を食べればブラジルの熱帶雨林を破壞する。」として、ブラジル産の安價牛肉ハンバーガーのボイコット運動がベジタリアンが中心となつて展開されてゐるが、この程度では現代の過激な資本主義の猛威に抗することはできない。激安のハンバーガーを頬張りながら、環境問題を論ずるなかれ。「消費者保護」といふ得體の解らないデマ・スローガンに幻惑されて、着實に世界は荒廢し續けてゐる。

このことは、ハンバーガー牛肉だけではない。コーヒー豆についても同樣である。安賣りのコーヒーショップなどが世界に氾濫する姿は、生産農家の過酷な状況が蔓延してゐることをそのまま投影してゐる。生産農家は買ひ叩かれて、今や採算が取れない限界點に達してゐる。そして、その生産を止めれば、敗者となつて失業し、農地の荒廢が待つだけである。それだけではない。次は、生きるために、リスクを覺悟でケシ栽培を始める。コーヒーの銘柄と同じ名前の麻藥があるのはこのためであつて、例へば、タイ北部の山岳地域で、その昔、ケシ栽培に代はる轉換作物として國連によりコーヒー栽培が奬勵されたが、今では、再び逆戻りしつつある。世界の農業は、こんな商業主義の猛威の前に破滅の道を歩み續けてゐると云つても過言ではない。

我が國は、大東亞戰爭の敗戰後も更なる敗戰を重ね續けた。それは、極東國際軍事裁判の受容と占領憲法の制定といふ二大決戰に敗れ、占領中に張り巡らされた「漁業權」といふ機雷を除去できないままである。そして、世界有數と云はれる自衞隊の軍備さへも全く無力化させる連合國の食糧戰略兵器の前、食料自給率やエネルギー自給率の低下といふ度重なる敗退を餘儀なくされてゐる。

食料とエネルギーの自給率を低下させ、國際分業を徹底することによつて生まれるものは、マルクスのいふ窮乏化理論が世界的次元で擴大し貧富の乖離が一段と加速し、世界を不安定化させることでしかない。今こそ、後に述べる自立再生經濟理論を以てこの過激な資本主義に立ち向かひ、我が國の安全保障と世界の安定を目指すことが刻下の急務なのである。

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