皇紀2670年(平成22年)5月のおうた
あまつやまとうた
あまつくにから ゐをこえて
よひぬちふゆる やそわせも
うゑねとほさへ すめろきは
たむけいのりし おんみなれ
詠み人 南出喜久治
皇紀2670年(平成22年)5月のおうた
~あまつやまとうた その二
あまつくにから ゐをこえて よひぬちふゆる やそわせも
うゑねとほさへ すめろきは たむけいのりし おんみなれ
(天津国から居を越えて夜昼ぬち殖ゆる八十早稲も植ゑね(根)と穂さへ天皇は手向け祈りし御身なれ)
本居宣長は、「直毘霊」(なほびのみたま)と「玉鉾百首」(たまほこのももうた)とによつて古道(ふるみち)を説きました。「直毘霊」(なほびのみたま)は論理の世界、「玉鉾百首」は直観の世界です。論理と直観の両面を重視したのです。
また、「薩摩の聖君」と呼ばれた戦国武将の島津忠良は、出家して日新斎と名乗り、いろは四十七文字をそれぞれ初句の頭にした、いはゆる「日新公いろは歌」を作りました。
私もこれらに習つて、論理世界の「國體護持總論」とともに、直観世界の「あまつ歌」とその四十八文字すべての和歌を詠んでみました。
漢字語(略字)に置き換へた補助表記はしましたが、各首の解説は致しません。和歌に織りなされたやまとことのはの言霊を、朗詠することによつて心身で受け止めてみてください。
第一回目は、第一句と第二句の「あまつくにからゐをこえて」です。以後、第三句から第八句まで全四回に分けて順次披露させていただきます。すでに「祭祀の道」で披露した和歌も含まれて居ます。
あ あめのした つちみづすまる まほらまと おのころしまの たまさきくませ
(八紘 土水統まる 真秀玉 自転島(地球)の 玉(霊)幸く増せ)
あがいのち くすしみたまの むたいきて たゞしきつたへ のこしまつらむ
(吾が命 奇すし御魂(と共に)生きて 正しき伝へ(伝統) 残し奉らん)
ま まほらまと ひのしたあげて のりごちて よもやまおほふ いへなるもがな
(真秀玉 日の下(世界)挙げて 詔ちて 四方山掩ふ 宇なるもがな)
つ つねまどふ こゝろをいさめ たまひける をしへはぐゝむ みことのりかな
(常惑ふ 心を勇め 給ひける 教へ育む 敕語かな)
つきいりを まつものゝふの まこゝろを たうめにみるや うけひかむろき
(月入りを 待つ物部の 真心を 専に見るや 誓ひ神漏岐)
(番外)つきにすむ かつらをのこの かんむりを いだきとよみき さしあふうたげ
(月に住む桂をのこの冠を抱き豊神酒差し合ふ宴)
く くにからを たゞひたすらに まもりぬく いはひまつりし ひとすぢのみち
(国幹を 直ひたすらに 守り拔く 斎ひ祀りし(祭祀) 一條の道)
に にをおもみ おろせばかろく なりぬれど またかつぐをり おもさひとしほ
(荷を重み(荷が重ひので)下ろせば軽ろく なりぬれど 又担ぐ折り 重さ一入)
か かみほとけ ひとがかみしも さだめても かみはかみなり ほとけはほとけ
(神仏 人が上下 定めても 神は上なり 仏は穂外毛)
かそいろの あとにしたがひ てならひて おのづとつぐる のりとことのは
(父母の 後に従ひ 手習ひて 自づと告ぐる 祝詞言の葉)
ら らりるれろ ことたまひくき ことゆゑに あだしのくにの ことしめしけり
(らりるれろ 言霊低き 言ゆゑに 他しの国(外国)の 言(言辞)示しけり)
ゐ ゐをほるは みづをもとむる ためぞかし ひとはまなびて こゝろわきだせ
(井を掘るは 水を求むる 為ぞかし 人は学びて 心(志)湧き出せ)
を をのこゆゑ あまゆことなく いくとせを へだちてちゝを せおふしあはせ
(男の子ゆゑ 甘ゆことなく 幾歳を 隔ちて父を 背負ふ仕合はせ)
こ こよみする ひしりのつとめ はたされて たみやすかれと いのりたまひき
(暦(日読み)する日知り(聖)の務め果たされて民安かれと祈り給ひき)
え えせおきて さがにかなはぬ ものなれど なまじそむけぬ たみこそあはれ
(似非掟 性(本能)に適はぬ ものなれど なまじ背けぬ 民こそ哀れ)
て てをつかね ひざをかゞめて うけいれし あだのてしたを うちてしやめぬ
(手を束ね 膝を屈めて 受け入れし 仇の手下を 討ちてし止めぬ)
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