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児童相談所による児童の拉致事件 <戸塚ヨットスクール「ういんど」より>

教員の生徒に対する懲戒権のうち、「体罰」を禁止した学校教育法第十一条但書とは異なり、民法第八百二十二条に定める親権者の子供に対する懲戒権には、「体罰」を除外してゐない。ところが、平成十二年に「児童虐待の防止等に関する法律」が制定され、その第二条第一号によると、保護者が「児童の身体に外傷が生じ、または生じるおそれのある暴行を加えること。」を身体的虐待と定義したことから、親の体罰を取り巻く様相が一変した。

ことに、児童福祉法第三十三条が、児童相談所長に、必要があると認めるときは児童を「一時保護」する権限を附与したことと相俟つて、事態はさらに深刻となつてきてゐる。端的に言へば、児童相談所による児童の「拉致」事件が増えてゐることである。

何故、そのやうなことが起こるのか。その原因は、大きく区分すれば二つである。一つは思想的なものであり、もう一つは組織防衛的なものである。

まづ、思想的なるものとしては、戸塚宏校長が指摘するとほり、「体罰」即「虐待」とする合理主義(理性論)の思想である。これにより、たとへば、躾けのため尻を叩いて痣ができれば、これを虐待と断定し、子供を学校から帰宅させずにそのまま「一時保護」と称して拉致してしまふ。これは、親の体罰による懲戒権の行使を全面的に否定する理性論であつて、これが教育を崩壊させた元凶であるが、現在ではさらにその傾向が加速してきたのである。

個人主義といふ合理主義が生んだ史上最大の宿痾は、ルソーによつて完成したのであるが、エドマンド・バークは、フランス革命を目の当たりにし、『フランス革命についての省察』を著して、「御先祖を、畏れの心をもってひたすら愛していたならば、千七百八十九年からの野蛮な行動など及びもつかぬ水準の徳と智恵を祖先の中に認識したことでしょう。」「あたかも列聖された祖先の眼前にでもいるかのように何時も行為していれば、・・・無秩序と過度に導きがちな自由の精神といえども、畏怖すべき厳粛さでもって中庸を得るようになります。」として、フランス革命が祖先と伝統との決別といふ野蛮行為であることを痛烈に批判した。そして、バークは、ルソーを「狂へるソクラテス」と呼び、人間の子供と犬猫の仔とを同等に扱へとする『エミール』のとほりに、ルソーが我が子五人全員を生まれてすぐに遺棄した事件に触れて、「ルソーは自分とは最も遠い関係の無縁な衆生のためには思いやりの気持ちで泣き崩れ、そして次の瞬間にはごく自然な心の咎めさえ感じずに、いわば一種の屑か排泄物であるかのように彼の胸糞悪い情事の落し子を投げ捨て、自分の子供を次々に孤児院へ送り込む」とその悪徳と狂気を糾弾した。また、イボリット・テーヌは、「ルソーは、奇妙、風変りで、しかも並すぐれた人間であったが、子供のときから狂気の芽生えを心中に蔵し最後にはまったくの狂人となっている」「感覚、感情、幻想があまりにも強すぎ、見事ではあるが平衡を失した精神の所有者であった」と評価した。

このルソーの人格の著しい歪みと人格の二重性は、ルソーが重度の精神分裂症と偏執病(パラノイア)であつたことによるものであり、犬猫の仔が親に棄てられても立派に育つので人間の子供も同じにするとのルソーの信念は、十一歳から十六歳にかけて親のない浮浪児であつたために窃盗で生活してきたことの経験からくる怨念による転嫁報復の実行であつたらう。このやうな反吐の出る人でなしの思想が人類の未来を切り開く正しい考へであるとする妄信が現代人権論であり、おぞましい悪魔の囁きに他ならないが、これを真に受けて実践してゐる行政の出先機関が、まさにこの児童相談所なのである。

また、児童相談所には、この思想的なもの以外に、組織防衛的な動機により、児童の拉致を繰り返す。それは、組織の自己保存本能とでもいふべきものである。一時保護といふ児童拉致を繰り返すことによつて「実績」を積み重ね、年々予算を拡大して組織維持と増殖を図らうとする不純な動機がある。

このやうな児童相談所の活動は、子供を家庭から切り離し、家族の解体を促進させる。ロシア革命は、まさにそれを目指した革命であつた。レーニンは、法律により家族制度を廃止し、家族制度存続の一翼を担ふ養子制度をも廃止した。それは、エンゲルスの『家族・私有財産および国家の起源』に基づき、廃絶すべき私有財産制度が家族制度によつても支へられてゐる構造であるとされたからである。この考へは、ルソーからフーリエに引き継がれた家族制度解体論に由来するものであるが、特に、レーニンを支へたアレクサンドラ・ミハイロヴナ・コロンタイといふ女性革命家の貢献が大きい。家族制度は、封建時代の産物であり、かつ、資本主義の温床であるとした上で、資本主義社会における女性労働者の増加により家族の解体が進み、共産主義社会では、さらにそれが促進され、家事と育児の社会化によつて女性は解放されて家族は消滅するとする女性解放論を唱へて事実婚を奨励した。

しかし、その結果、ソ連は一体どうなつたのか。家族の解体に伴ふ性風俗の紊乱、そして、少年の性犯罪や窃盗事犯の増加をもたらし、堕胎と離婚が増加して出生率の低下を招いた。また、その原因の背景には、第一次世界大戦やロシア革命によつて大量に生じた孤児の存在もあつた。そのため、スターリンは、昭和元年に孤児の救済を目的とした養子制度を復活させ、さらに、昭和十九年には、ついに家族制度を廃止した法律を廃止して、逆に家族制度の強化する方針に転換したのである。家族制度は、国家制度との相似性があることから、家族の解体は伝統国家の解体を決定づける。それを断念したときから、革命は挫折したことになつたのである。同様に、中共でも、毛沢東の文化大革命は、毛沢東の失政を隠蔽するために紅衛兵が「造反有理」を掲げて子が親を告発糾弾することを奨励し、家族崩壊を推し進めたものであつたが、当然のことながら破綻した。

このやうな歴史に学べば、現在の児童相談所の存在は、個人主義による家族の解体を目指す革命組織に等しい存在であることが解る。確かに、目を覆ひたくなるやうな児童虐待は戦後著しく増加した。その原因は、占領政策による家族解体にあり、そのやうな「犯罪行為」に対しては警察力で対応しなければならないし、これに児童相談所が対応できる能力も意思もあるはずがない。そのために、児童相談所は、「児童虐待」でないものを「児童虐待」として仕立て上げなければ組織増殖ができないので、児童拉致を繰り返し、益々家庭崩壊に拍車をかける。それゆゑ、我々は、このやうな児童相談所を速やかに解体させ、児童拉致事件の根本解決によつて祖国を再生させなければならないのである。

平成19年10月10日記す 南出喜久治

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