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オノコロシマと自立再生論

今まで、古事記と日本書紀(以下「記紀」と総称)は日本独自の神話であり、聖書のような世界性や普遍性がないというのが定説でした。そして、そのことが、日本的なるものの否定と、西洋思想への盲従やコンプレックスの源泉となっていました。しかし、本当に記紀には世界性や普遍性がないのでしょうか。否、そうではありません。記紀には、聖書をはるかに凌ぐ世界性と普遍性があり、ここには宇宙創造の真相と八紘一宇の國體思想の原形が語られているのです。

記紀によれば、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神が「修理固成」の御神勅を受け、天の浮橋に立って天の沼矛を指し下ろし、掻き均して引き上げて出来た島が「オノコロシマ(淤能碁呂島、オノゴロジマ)」です。この島に天降り、天の御柱と八尋殿を見立てて国産みが始まるのです。この「オノコロシマ」については、ひとりでに凝ってできた島だとか、あるいは、神皇正統記によれば、「おんころころせんだりまとおぎそわか」という薬師如来真言による説明まで紹介されていますが、実際のところ、この島がどこにあるのかわからないとされています。

ところが、それほど難しく考えることはありません。「オノ」というのは、ひとりでに、自ずと、という意味の大和言葉です。また、「コロ(ゴロ)」というのは、物が転がる様を現す擬音語です。そして、「シマ」というのは、島宇宙、星のことです。いずれも大和言葉です。そうであれば、「オノコロシマ」とは、自ら回転している星、自転星、そうです「地球」のことであると私は確信しています。青い鳥のように、どこにあるのかわからなかったオノコロシマは、我々の足元そのものであったわけです。その意味で、記紀は、竹内古文献などとは決して矛盾しません。紛れもなく、皇祖皇宗から連綿とする万世一系の皇統は、まさしく世界の宗家なのです。

そして、オノコロシマから始まるその後の国産みの話は、日本を世界の「雛形」として捉えればよいのです。そして、地球という生命体の創造において、天の御柱を二柱の神が廻る姿は、個体細胞の染色体DNAの二重螺旋構造を暗示しているのです。これは、惑星運動と原子運動などのように、極大のものと極小のものとは相似形象になっているという、宇宙フラクタル構造やスパイラル構造を意味しているのです。これがまさに、日本に伝統的に伝わる「雛形」のことです。

我々の個体は、祖先から子孫へと受け継ぐDNAを運ぶ船です。命の橋渡しするための存在です。個体にもDNAがあるのと同様、社会にも国家にも地球にもDNAがあります。蜂や蟻の社会についての研究が進んでいますが、個々の蜂や蟻に共通したDNAが存在することは勿論ですが、女王蜂や女王蟻を含めた蜂と蟻の全体社会のDNAが存在すると理解しなければ、統一された社会の有様の説明がつかないようになっています。蜂や蟻の社会は、人間の世界であればその原形は民族社会や民族国家に該当するでしょう。国民国家についても国家の同質性が維持されている限り、国家のDNAは存在するはずです。このように、これを失えば、人でなくなるもの、社会でなくなるもの、国家でなくなるもの、地球でなくなるもの、そういう、社会、国家、そして地球のDNAが何であるかを探求する学問が國體学なのです。

その意味では、古事記、日本書紀は、決して日本の神話ではありません。世界の神話、宇宙創造、人類創世の物語です。

私は、この宇宙創造の真相と「修理固成」の御神勅などから、國體とは何か、を探求した結果、一つの結論に至りました。それは、自立再生論という考え方(拙著『日本国家構造論ー自立再生への道ー』(政界出版社)など参照)です。これは、決して抽象論ではなく、社会経済構造の國體的再生を目的とし、市場経済や資本主義経済に代わる循環無端の社会構造を世界的規模で実現する具体的な方法論と産業技術の伴う実践運動です。その運動を私は「祓庭復憲」と名づけ、現行憲法絶対無効論の主張、政治における効用均衡理論の導入による憲法や政治制度の変革についても具体的な方法論をも提示しています。詳しくは個別にお尋ねいただくとして、この趣旨を十分ご理解いただき、皆様のご協力をお願いする次第です。

平成9年10月25日記す 南出喜久治

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