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忘れられたもう一つの「憲法調査会」

平成九年五月に、社民、共産両党を除く超党派の国会議員で構成する「憲法調査委員会設置推進議員連盟(憲法議連)」が発足して以来、衆参両院に「憲法調査会」を設置しようとする動きがある。現行憲法制定から五十年以上経った現在において、激変する内外の様々な問題の解決に対応できないというのが議連発足の動機とされるが、それが目指す方向は、各党の思惑とも絡み合って複雑な様相を呈しており、この憲法の何を問題としているのか、どこが問題なのかについては明確にはなっていない。第九条の改正を視野に入れているのであれば、「憲法改正問題」とすればよさそうなものである。しかし、現行憲法には、改正問題以前に大きな問題が横たわっているのである。

 

ところで、「憲法調査会」という名前を聞いて、昭和三十一年の「憲法調査会法」に基づいて設置された「憲法調査会」を思い出す人は少ないだろう。この憲法調査会は、内閣に設置され、国会議員三十名、学識経験者二十名の計五十名の委員で構成され、「日本国憲法に検討を加え、関係諸問題を調査審議し、その結果を内閣及び内閣を通じて国会に報告する。」(同法第二条)というものであった。そして、昭和三十九年七月三日、なんと八年余の歳月をかけて、本文約二百頁、付属書約四千三百頁、総字数約百万字にのぼる「憲法調査報告書」が完成したのである。ところが、とんでもないことに、この報告書には、致命的な欠陥と誤魔化しがあった。それは、当時、現行憲法の制定経過の評価において、根強い「現行憲法無効論」があったにもかかわらず、無効論の学者を一切排除し、有効論の学者のみをもって憲法調査会が構成され、しかも、有効論と無効論の両論を公正に併記し、それぞれ反論の機会を与えるという公平さを全く欠いた内容となっていたからである。

マッカーサー草案の翻訳である「現行憲法」は、GHQに銃口を突きつけられて制定されたものであり、「マッカーサーの原稿を翻訳した憲法」ということで、「現行憲法」ならぬ「原稿憲法」という呼称の方が本当は似つかわしい。とても「日本国憲法」と呼べる代物ではなく、GHQの占領基本法にすぎず、我が国が「非武装、非独立」の軍事占領下時代に作られたものである。従って、現行憲法には制定過程の問題だけではなく、様々な矛盾を抱えていたのである。すなわち、ポツダム宣言を受諾して非武装(武装解除)国家になったのであるから、それに基づいて第九条が定めらて軍隊を持てないのは当然なのに、朝鮮戦争後は軍隊(自衛隊)を持つことになったという矛盾、それに、現行憲法が制定された時期には日本は独立が奪われていたので、未だ主権国家ではなかったのに、その主権が国民にあると高らかに謳い上げるという欺瞞と虚偽に彩られた矛盾なども、なお解決できていない様々な問題があったのである。それゆえ、この憲法調査会の使命は、これら制定過程の問題などを独立国家としての自主性をもって充分に検証することにあり、それを行わない限り、日本は真に独立したとは言 えなかったのである。ところが、この憲法調査会は、その様々な問題点を強く主張していた無効論者を委員から一切排除し、有効論者だけでお手盛りの審議をして報告書を作成したのである。したがって、その内容には、政治的な「深み」や学問的な「誠意」といったものが全く感じられない無意味なものとなっている。

このように、無効論は、憲法学説として厳粛に存在していたにもかかわらず、政治的な意図によって排除された。学問が弾圧された戦後初めての事件であった。

しかし、この無効論は、このような弾圧に耐えながら、今なお脈々として根強く存在している。学校では誰もそのような見解が存在することすら教えない。それは、無効論が学問的に無力であるからではない。現行憲法は、その出生の秘密を隠さなければ、その存続自体が危ぶまれたので、このような思想統制を今もなお続けなければならないからであり「禁断の学説」、それが無効論なのである。

 

そもそも、殆どの憲法学者というのは「現行憲法解釈学者」であって、これで飯を食っている御仁である。そのため、現行憲法が無効ではないかという議論がなされてくると、今まで、現行憲法の絶対無謬性を唱えてきた「現行憲法真理教」の教義が揺らぎ、今まで嘘を教えたと学生や大衆から非難され、オマンマが食べられなくなるからである。無効論に説得力がないと思うのであれば、堂々と議論して論破すればよいではないか。しかし、それは死んでもできない。なぜなら、無効論には明確な法的根拠と充分な説得力があるので、これと議論すれば必ず負けるからである。

しかし、本音では、無効であることを認めている。現に、私は究極の無効論者であるので、そのような学者の欺瞞と保身を暴いた経験がいくつもある。現行憲法を無効とする理由は、拙著(『日本国家構造論ー自立再生への道ー』政界出版社)に詳しく、別の機会が与えられればここでも紹介するが、いずれにせよ、これに対する説得力ある反論を有効論者の方から聞いたことがないことだけは確かである。

ところで、この報告書では、当時の無効論をどのように扱ったかと言えば、僅か半頁、しかも実質には約百字で紹介されたに過ぎない。たった百字で無効論が語れるとでも言うのか。百万字の報告書のうちのたった百字。一万分の一である。そして、報告書曰わく「調査会においては憲法無効論はとるべきでないとするのが委員全員の一致した見解であった」としている。誰一人無効論を唱える者を委員に入れずして、「委員全員の一致した見解」とは誠に恐れ入った話である。

ここまで説明すれば、殆どの読者は、このような憲法調査会が、現行憲法でも保障している罪刑法定主義と戦時国際法に違反する極東国際軍事裁判(東京裁判)と全く同じような不正義かつ不公正な構造的矛盾をもっていたことに気付かれるであろう。現在、現行憲法の抱えている様々な矛盾は、その殆どが制定過程の問題であり、制定過程に問題提起されていた問題である。冷戦構造の中で冬眠してきた矛盾が、冷戦構造の氷解で再び蘇ったに過ぎない。

 

温故知新というべきか、この憲法調査会の教訓を忘れては、新たな憲法調査会を設置する意義は失われる。今、我々がなすべきことは、現行憲法の制定過程の問題をタブー視するのではなく、日本の光と影で織り成す戦前戦後の日本の実相を見つめ、先の憲法調査会が抱えていた問題と矛盾を克服し、その反省のうえに立って、平成の憲法調査会を設置することであろう。そして、その場合、調査会委員の人選や審議内容において、無効論を問答無用に排斥するなど、再び、思想による差別と弾圧が行われるような事態が絶対あってはならないということである。そのような事態にならなければ、現行憲法の無効性が証明されるのは時間の問題となろう。

しかし、もし、再びそのような事態になれば、それは、羊頭を懸げ狗肉を売る「現行憲法真理教」の自己矛盾が露呈し、早晩、教団の崩壊は必至である。この教団は、進むも地獄、退くも地獄。必ずや現行憲法という教義とともに淘汰される運命にあり、また、そうでなければ日本の真の独立は実現できないのである。

平成9年11月19日記す 南出喜久治

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