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トップページ > 各種論文目次 > H17.01.07 似非保守の正体2(続き)

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続き

其の四

ところで、この戦後体制保守と伝統保守との決定的な相違について、どうしても話しておきたいことがある。少し長くなるが聞いてもらひたい。

職業柄、相続関係事件を受任することが多いが、その中で農地の相続については、現行法制に疑問と憤りを感じることが頻繁にある。それは、均分相続による「田分け」についてである。特に、典型的なものを挙げると、親が専業で農業を営みそれを長男(農業承継者)の夫婦が同居して一緒になつて営み、長男夫婦が親の老後も介護を尽くしてきた場合の相続において、既に家を出て農業以外で生計を立ててゐる兄弟が長男と同じ相続分を主張して遺産分割になるやうな事例である。

法律的には、兄弟たちの主張は合法だし、長男夫婦の言ひ分を法的に反映させるとしても、それは寄与分の主張しかない。これは、昭和55年の民法改正で創設された規定であるが、それまでは、親との同居や介護の有無とは全く無関係に完全に均分に相続することになつてゐた。そこで、その不公平感を是正するために設けられた規定はあつたが、この寄与分の主張は、実際のところ、殆ど認められないのが現状である。それは、遺産の維持または増加について特別の寄与がなされたことが要件として、その貢献にかかる分を特別に認めてくれるといふものであるが、この「特別」が殆ど認めてもらへない。先に典型例とした事例などはそれが認められない典型例でもある。

そこで、農業の安定継続のためには農業継承者の長男に相続させることを遺言することも多く行はれてはゐるが、その他の兄弟から遺留分減殺請求がなされ、やはり混迷することも多く見受けられる。

そのため、農地は、一部又は全部が現物分割されるか(田分けされるか)、あるいは長男が全部相続して兄弟たちの相続分に見合ふ価額を借金してでも賠償する方法をとることになる。これによつて長男の農業経営基盤が不安定になり、農地が細分化されたり、設備投資とは無関係な資金負担が加重されることは農家の小農零細化を促進し、農業自体が衰退する結果になるのである。

このやう現象は、現代において始まつたことではない。既に江戸時代から起こつてゐた。三代将軍家光の時代の寛永20年(1643)には、まづ、疲弊してゐる本百姓の没落を防止するために、永代売り、すなはち、完全に田畑を売却することを禁止した田畑永代売買禁止令が出された。しかし、年季売り、すなはち期限付売買(譲渡担保ないしは売渡担保)は可能で、しかも、質流れによる譲渡は合法だつたので実効性はなかつた。そこで、幕府はさらに、四代将軍家綱の時代の延宝元年(1673)に、分地制限令を出す。これは、田畑永代売買禁止令と同様に、小農零細化の防止して農家の経営基盤を安定させるために、20石以下になるやうな農地に分割して相続させることを禁止したのである。これは、その後も度々発令され、後には10石基準に改められた。つまりは「田分け」を禁止したのである。

ちなみに、愚か者を意味する「戯け者」は、この「田分け者」に由来すると云ふ人が居るが、これは謬説である。そもそも、正統仮名遣ひによれば、「戯け者」とは「たはけもの」と表記し、「田分け者」は「たわけもの」と表記するので、両者は同じではない。占領仮名遣ひの場合は同じになるので、「田分け」は「戯け」であると語呂合はせとしては面白いが、ただそれだけのことである。「田分け」が「戯け」であることは充分に解つてゐても、それがやむを得ない選択であつたといふ、姥捨山(姨捨山)の養老伝説の悲劇に似たものであつたことを認識すれば、これを嘲けるにも似た蘊蓄を傾けることは謹みたいものである。

とまれかくまれ、たとへ実効性がないとしても、江戸期は田畑永代売買禁止令が最後まで続いたが、明治政府は、明治5年(1872)にこれを解除し、民法典が整備される過程で分地制限令も廃止された。これによつて、田畑の売買や相続は自由になり、小農業零細化に拍車がかかり、それが大地主への下へと集束して行き、小作貧農化を促進させることになつたのである。

そしてその後何度も農地改革が叫ばれたが実現せず、皮肉なことに、結果的にはGHQの手によつて断行された。しかし、GHQは、農地改革を不可逆的に維持する措置を講じなかつたため、現行民法によつて「田分け」現象による貧農化を進行させてきた。しかし、そもそもGHQにそこまで期待することは自己矛盾であつて、これは我々の手で根本的な改革をしなければならない。

其の伍

それには、相続制度や税制などを含め総合的な見地から具体的かつ詳細に見直す必要があるが、やはり、真柱としての改革の要諦は、民法の身分法(民法の親族・相続法)の領域において、「家」の制度を復活することにある。我が国には古来からの伝統的な家父長制度があり、これが教育勅語の精神文化と國體を護持してきた。そのむかし、フランス民法を基礎としたボアソナード草案による「旧民法」を、明治23年に公布、同26年から施行しようとしたが、「民法出でて忠孝滅ぶ」との大論争の結果、その施行が無期延期(実質的な廃案)となつた。そこで、今度はドイツ民法を基礎とした「明治民法」が明治31年に公布・施行された。これには「家」の制度が取り入れられたが、それでも伝統に適さないとの批判があり、大正時代に改正が企てられたものの成功しなかつた。「家」の概念は、「先祖(ancestor)」といふ縦軸と「家族(family)」といふ横軸とで成り立つものであつて、その各々の祖先の宗家が萬世一系の皇統に連なるので、皇祖皇宗の末裔であらせられる当今を「総命(すめらみこと)」として尊崇するのである。教育勅語に「恭儉己レヲ持シ・・」などとあるやうに、本来、日本は階級分化の利益社会(Gesellschaft)ではなく「一視同仁」の共同社会(Gemeinschaft)であるから、日本を解体するためには、利益社会化する必要があつた。そのため、ルソーの思想に基づいて、この日本弱体化政策にとつて最も障害となる「家」の制度を解体し、個人個人に分解して対立抗争を促進させた。家族制度が崩壊すれば、これに近似した同族会社など事業体の調和も崩壊し、その結果、日本の解体が完成するからである。そこで、現行憲法を押しつけ、占領化の昭和23年6月19日に衆参両院で教育勅語の失効決議をさせ、以後は、国会、内閣、裁判所などすべての国家作用において、「家」は封建制度の残滓であるとの誤つた喧伝により教育勅語の精神を公然と否定することが奨励された。

今、夫婦別姓や子供の人権などの過度の主張は、そもそも家族の崩壊をたくらむルソーの思想に基づくものである。マルクスなどの共産主義思想の故郷は、このルソーの思想である。極東では未だに中共と北朝鮮と云つた共産党一党独裁国家が存在するものの、世界的に見れば東西冷戦構造が崩壊し、共産主義思想はマイノリティーとなつて説得力を無くした。人々は、面と向かつて共産主義者だと名乗られると警戒心を抱くものの、共産主義者ではないと宣言されれば、ついつい警戒心が緩む。ましてや、ルソー主義者だと名乗られれば、何か共産主義に代はる正しくて新しい思想であると勘違ひしそうである。ところが、これがとんでもない曲者で、共産主義以上に始末が悪い害毒である。

ルソーはフランス革命の知的原因となつたが、このフランス革命の歴史を調べれば調べるほど、フランス革命とその背景にある思想こそが世界の人々を堕落と混乱に導いた元凶であることが解る。ルソーの思想は、確かに知的に肯認できる点もあるが、特に、家族と個人との関係については絶対に容認できる考へではない。家族から親も子供も兄弟も親戚も全てバラバラに切り離した完全な個人主義を唱へる。これが現代人権論の根源となつてゐる。つまり、「家族」の存在自体を「悪」とするのである。ルソー自身が家庭的に不幸な身の上であつたことから、その妬みによつてこのやうな思想が生まれたと想像することもできる。むかし、三島由紀夫が、一番この世の中を悪くする奴は、「真面目に不真面目なことを考へる奴」であるといふ趣旨のことを云つた思ふが、ルソーはまさにその御仁なのである。

ともあれ、「私は家族否定のルソー主義者です」などと面と向かつて主張する人はゐないあらう。しかし、これまで、我々と共同戦線を組んでゐた反共思想の持ち主の中には、自由の抑圧に反対するルソー主義(この程度のことはルソーでなくても誰でも主張できる)にどつぶり漬かつた者も多くゐた。それが、冷戦構造の崩壊で反共共同戦線が解かれた後に、今度は、むかし共に戦つた仲間であると安心させて、我々の心の隙間を狙つて、今度は我々を攻撃してきたのである。それも、はつきりと家族の崩壊を目論む確信犯の連中だけが攻撃してくるとは限らない。自分の考へがルソーの思想であるとか、その方向が家族の崩壊をもたらすといふ認識も自覚もない付和雷同者も多いのである。これは、三島由紀夫が言つた、二番目に始末の悪い奴であるところの「不真面目に不真面目なことを考へる奴」なのだ。

其の六

これから我々の思想戦における最大の敵は、このやうなルソー主義者(隠れルソー主義者も含む)なのであり、これが反日思想をまき散らす源泉であり、似非保守の正体である。

我々は、いはゆる保守層の言説をこれからも注意深く観察し続けなければならない。いかに巧言令色で飾られようとも、現行憲法と現行皇室典範の無効ないしは破棄を主張しない者は、反日思想家であると断定すべきであろう。

現行憲法第24条には、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」とある。これは、つまるところ家族関係の中心に婚姻(夫婦)を据ゑて、しかも「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」に立脚せよといふのである。親子関係において「個人の尊厳」を導入すれば、親が未成年の子を養育する義務の根拠が希薄になる。根拠があるとしても、それは法律上の義務であつて、憲法上の義務ではない。子に対する憲法上の義務として認められてゐるのは、「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」(第26条)とするものだけである。つまり、親の子に対する「養育、療養、看護する義務」といふ親子関係の本質的義務が法律上の義務に過ぎず、その派生的な「普通教育を受けさせる義務」だけが憲法上の義務となつてゐるといふ不合理さがここにある。また、子の親に対する療養、看護の義務(孝行)は、憲法上の義務でもなく、法律上の義務としても、民法では扶養義務として限定され、しかも具体的には状況によるのであつて当然には認められてゐないのである。

これこそ現行憲法がルソー主義に染まつてゐることの証左なのであつて、これでは家族はさらにバラバラになる。従つて、東京裁判を無効としながら、ルソー主義で染まつた謝罪憲法の基本的な価値観を肯定して、その不備な部分の是正として改正論を主張するに留まり、現行憲法と現行皇室典範の無効を主張しない者や団体は、伝統保守とは似て非なる似非保守であつて、我々は、これらを「内なる敵」として早くその正体を見破り、これと決別して糾弾し続けることが急務である。

「往者諫むべからず、来者猶追ふべし。」

平成17年1月7日記す 南出喜久治

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