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國體護持:憲法考

國體の最高規範性

前々章(クーデター考)、前章(革命考)により、國體と憲法と典範について述べてきたが、これらを踏まへて、國體に関する結論を要約すれば次のとほりとなる。

すなはち、我が國は、最高規範たる國體の支配する国家であり、臣民は言ふに及ばず、天皇と雖も國體の下ある一視同仁の国家である。「正統憲法」と「正統典範」、その下位法令である条約、法律、命令なども全て國體の下にある。「正統憲法」とは、明治22年2月11日公布、同23年11月29日施行の「大日本帝國憲法」(帝國憲法)のみならず、推古天皇12年(604)の「憲法十七條」、慶應3年(1867)6月の「舟中八策(舟中八策)」、慶應4年3月14日(1868)の「五箇条ノ御誓文」、明治23年10月30日の「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)などを意味し、「正統典範」とは、明治22年2月11日の「皇室典範」(正統典範)を意味する。

國體とは「憲法の憲法」とでもいふべき神聖不可侵の最高規範であつて、皇祖皇宗のご叡慮と臣民の祖先の遺風で築かれた歴史と伝統で構成されるものであるから、いま生きてゐる者だけでこれらを自由に変更できるとする、外つ国の「主権」概念とその本質を根本的に異にするものの、その最高性、絶対性などの属性を共通してゐることから、もし、あへてこの用語を用ゐるとすれば、「國體主権」と呼んでもよい。しかし、これは便宜的なものであつて、「天皇主権」でも「国民主権」でもなく全く似て非なるものとして留意すべきものである。

占領憲法、占領典範が無効であることの法的根拠

いづれにせよ、この國體の最高規範性からして、GHQの完全軍事占領下の「非独立」状況で制定された「日本国憲法」といふ名の「占領憲法」は、國體及び正統憲法に違反してゐるので絶対無効である。

また、占領憲法の下で「法律」として定められた同名の「皇室典範」(昭和22年法律第3号)といふ名の「占領典範」は、「正統憲法」とは同格であつた「正統典範」をその下位の法律で廃止して制定したに等しく、それだけでも無効である。また、正統典範第62条には、「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ」とあり、さらに、帝國憲法第74条には、「皇室典範ノ改正ハ帝國議會ノ議ヲ經ルヲ要セス 皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ條規ヲ變更スルコトヲ得ス」と定められてゐたのであつて、これらの規定にも明らかに違反してゐる。

そもそも、占領憲法と占領典範の制定は、東京裁判(極東国際軍事裁判)の断行と並び、我が国の解体を企図したGHQの占領政策における車の両輪とも云ふべき二大方針として敢行されたものであり、占領憲法と占領典範の無効性は、これが最高規範である國體に違反することだけで必要かつ充分な根拠となるのであるが、さらにこの理由に加へて、次の12の理由によつて法律論的にも絶対無効なのである。

理由1 改正限界超越による無効

当時の通説的見解によれば、占領憲法と占領典範とは、帝國憲法と占領典範の改正法といふ形式でありながら、改正によつては変更し得ない根本規範(國體、制憲権の帰属、欽定憲法性、皇室の自治など)の領域まで、その改正権の限界を超えてなされたものであるから絶対無効であるとされてゐた。変節学者の代表とも云ふべき宮沢俊義の「八月革命説」が説得力を持たないことについては、現在では定説となつてゐる。

理由2 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」違反

我が國及び連合国が締結してゐた「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(1907年ヘ-グ条約)の条約附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」第43条(占領地の法律の尊重)によれば、「国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ。」と規定されてゐた。そして、ポツダム宣言は、「民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし」(第10項)との表現をもつて、改革すべきは帝國憲法自体ではなく、その運用面における支障の除去にあつたことを強く指摘してゐたものであり、「絶対的ノ支障」などは全くなかつたのであるから、占領下の改は国際法に違反する。ましてや、正統典範に至つては、そもそも何ら「支障」と考へられる点すらなかつたのである。

理由3 軍事占領下における帝國憲法と正統典範の改正の無効性

ポツダム宣言では、「全日本国軍隊の無条件降伏」(第13項)を要求し、その目的のために「聯合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、吾等の茲に指示する基本的目的の達成を確保する為占領せらるべし」(第7項)としてゐた。これは、我が軍の武装解除などの目的のために、我が国の一部の地域を占領し、その地域内における統治権を制限することを限度とする「一部軍事占領」の趣旨であり、国土全部を占領し、統治権自体の全部の制限、即ち、「完全軍事占領」を意味するものではなかつた。ところが、降伏文書によれば、「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ、本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」とされ、ポツダム宣言第7項に違反して「完全軍事占領」を行つたのである。ポツダム宣言受諾後に武装解除が進み、一切の抵抗ができなかつた状況で、「日本軍の無条件降伏」から「日本国の無条件降伏」への大胆なすり替へである。このやうに、我が国は、その全土が連合国の軍事占領下に置かれ、統治権を全面的に制限することを受忍してポツダム宣言を受諾したのではないので、その後の完全軍事占領は国際法上も違法である。このやうな完全軍事占領下で、連合国が帝國憲法と正統典範の改正作業に関与すること自体が違法である。また、独立した国家の憲法解釈として、明文がなくとも、外国軍隊の占領中の憲法改正は当然に禁止されるものである。

「フランス1946年憲法」第94条には、「本土の全部もしくは一部が外国軍隊によって占領されている場合は、いかなる改正手続も、着手され、または遂行されることはできない。」と規定されてをり、これは我が國にも妥当する普遍の法理と考へられる。

理由4 帝國憲法第75条違反

この普遍の法理は、帝國憲法にも規定がなされてゐた。「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」(帝國憲法第75条)との趣旨は、摂政を置く期間を国家の「変局時」と認識してゐることにある。従つて、「通常の変局時」である摂政設置時ですら憲法改正及び典範改正をなしえないのであるから、帝國憲法の予想を遥かに越えた「異常な変局時」であり、マッカーサーといふ「摂政」を遙かに超えた権限を有する者によつて、天皇大権が停止、廃止、剥奪されてゐた連合軍占領統治時代に憲法改正と典範改正ができないし、また、それを断行したとしても絶対無効であることは、同条の類推解釈からして当然である。この事由こそが占領憲法と占領典範とが法的に無効であることの根幹的な理由である。つまり、帝國憲法と正統典範に違反した帝國憲法の改正と正統典範の改正はいづれも無効であるといふ単純な理由なのである。

理由5 憲法・典範の改正義務の不存在

ポツダム宣言には、帝國憲法と正統典範の改正を義務づける条項が全く存在しなかつたのである。また、ポツダム宣言は、日本軍の無条件降伏・武装解除と民主主義的傾向の復活強化等を促進させることを要求してゐたのであり、降伏文書をも含めて総合的に判断しても、決して憲法改正、典範改正までを要求してゐなかつたのである。

理由6 法的連続性の保障声明違反

内容的に比較すると、占領憲法と占領典範は、前述のとおり帝國憲法と正統典範の改正の限界を超えた改正であつて、全く法的連続性がなく絶対的に無効であることは前に述べたとほりである。昭和21年6月23日の「帝國憲法との完全な法的連続性を保障すること」とするマッカーサー声明と比較しても、「完全な法的連続性」を保障した結果にはなつてをらず、改正の限界を保障した同声明の趣旨に自ら違反してゐる。ましてや、帝國憲法と同格の正統典範を廃止し、占領典範を法律として制定したことは、法形式においても正統典範と法的連続性がないことは明らかである。

理由7 根本規範堅持の宣明

ポツダム宣言受諾日の昭和20年8月14日の詔書によれば、「非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾」せんがためにポツダム宣言を「受諾」したものであり、敗戦後も「國體ヲ護持」すること、即ち、正統憲法と正統典範の上位に存在する根本規範である國體を堅持することを宣明してゐた。

理由8 憲法改正発議権の侵害

占領憲法の起草が連合軍によつてなされたことは、帝國憲法第73条で定める憲法改正発議権を侵害するもので無効である。帝國憲法発布勅語及び帝國憲法第73条第1項により、憲法改正の発議権は天皇に専属し、帝國議会及び内閣などの機関、ましてや、外国勢力の介在や関与を許容するものではないからである。これは帝國憲法第73条の解釈の定説である。

また、正統典範第62条には、「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ」とあるので、この勅定についても外国勢力の介在や関与を許容するものではないから、正統憲法の廃止は無効である。

理由9 「帝國憲法発布勅語」違反

帝國憲法は欽定憲法であるからその告文と勅語も憲法典と同様に憲法規範を構成することになる。そして、その勅語には「不磨ノ大典」とあり、さらに「将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ」とあることから、これは、帝國憲法改正に関する形式的要件である第73条とは別個に、改正のための実質的要件を定めたものと解釈しうる。即ち、その実質的要件は「紛更ヲ試ミルコト」を禁止したことであるから、占領憲法の制定による改正は「紛更」そのものに該当するので無効である。

また、正統典範には、「宜ク遺訓ヲ明徴ニシ皇家ノ成典ヲ制立シ以テ丕基ヲ永遠ニ鞏固ニスヘシ」とあるので、これに明らかに反した占領典範は、そもそも典範の名に値しないものであつて無効であることは明らかである。

「天皇といえども國體の下にある」ことから、「紛更」が明らかな占領憲法と、皇室家法の「丕基」を破壊した占領典範とは、いづれも天皇による公布がなされたといへども絶対無効であることに変はりはない。当今の一天皇に國體を変更できる権限はない。従つて、先帝陛下の公布がなされたことから「承詔必謹」論を以て有効説に与するのは、反國體的見解である。

理由10 政治的意志形成の瑕疵

その改正過程において、日本プレスコード指令による完全な言論統制と検閲がなされてゐたことは厳然たる歴史的事実である。これは、臣民の政治的意志形成に瑕疵があり、表現の自由等を保障した帝國憲法第29条等に違反する。

表現の自由(知る権利)は、民主社会を維持し育成する上で極めて重要な機能を有し、実質的には政治参加の機能を持つてゐる。いはば、参政権行使の前提となる権利であつて、この行使が妨げられることは実質的に参政権の行使が妨げられたと同視されるから、言論統制下での改正行為自体が違憲無効なのである。

我が國政府が連合国側へポツダム宣言受諾に関する照会をしたことに対し、昭和20年8月12日の連合国側(バーンズ米国務長官)の回答によれば、我が国の最終的政治形態は「日本国民の自由意志」に委ねるとしてゐたのであつた。このことは、憲法改正を義務づけず、連合国の占領統治下においても「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」を遵守し、国内手続においても憲法改正発議権を侵害せずに、かつ、我が臣民の自由意志によるとの意味である。しかし、連合国は、これらを悉く踏みにじつたのである。

理由11 改正条項の不明確性

改正条項の条文の対応関係においても著しい問題がある。即ち、帝國憲法第73条第1項によれば、「此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキ」とあり、各条項毎の改正を予定してゐたのである。ところが、占領憲法は、帝國憲法の各条項を改正するといふ手続をとらず、差換へ的な全面改正を行つたのである。しかし、帝國憲法と占領憲法とは条文の各条項毎に一対一に対応してをらず、占領憲法の各条項が帝國憲法の、いづれの条項を改廃したのかが不明である。また、帝國憲法の各条項に対応する占領憲法の類似条項についても、それが交換的改正なのか追加的改正なのかは、占領憲法の補則(第11章)によつても一切明らかにされてゐない。従つて、帝國憲法の各条項がどのやうに改正されたかについて不明確なものは形式的連続性をも欠いてをり、帝國憲法の改正と認めることができない。

また、正統典範第62条には、「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シテ之ヲ勅定スヘシ」とあつて、これも正統典範の各条項の改正するといふ手続をとらず、占領典範により実質的には差換へ的な全面改正を行つたのであるから、前記同様の理由で無効である。

理由12 帝國議会審議手続の重大な瑕疵

最後に、帝國憲法改正案の帝國議会における審議は、極めて不十分であって、審議不十分の重大な瑕疵があるため、その議決手続は違法であり、かつ、GHQが、帝國憲法第40条で保障する両議院の建議権(一種の国政調査権)の行使を実質的に妨げ、かつ、その不行使を強要した事情が存在するので、手続自体が違憲無効である。このことは、正統典範の廃止と占領典範の制定についても同様である。

その事情及び理由は次のとほりである。

ポツダム宣言受諾後、帝國憲法改正案を審議した第90回帝國議会(昭和21年6月20日開会)までに開会された帝國議会は、敗戦直後の第88回(同20年9月4日開会)と第89回(同年11月27日開会)の二回のみである。そのいづれの帝國議会においても、国家統治の基本方針についての実質的な討議は全くされなかつた。

その間に、昭和20年9月20日、連合軍の強要的指示によつて帝國憲法第8条第1項による「ポツダム緊急勅令」(昭和20年勅令第542号「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」)が公布され、これに基づく命令(勅令、閣令、省令)、即ち、「ポツダム命令」が発令されることになる。この「ポツダム命令」が占領中に約520件も発令されたことからしても、「ポツダム緊急勅令」の公布及び「ポツダム命令」は、占領政策の要諦であつたことが頷ける。

この緊急勅令は、「法律ニ代ルヘキ勅令」であり、帝國憲法第8条第2項により「此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝國議会ニ提出」しなければならないものであつたため、次の第89回帝國議会で提出され、承諾議決がなされてゐるものの、全くの形式的審議に終始したのである。

しかし、法律事項を規定した命令は、たとへ帝國憲法第8条の「法律ニ代ルヘキ勅令」である「ポツダム緊急勅令」に基づくものといへども、この緊急勅令は命令に対して法律事項の白紙委任を定めてゐるため、帝國憲法下の解釈においても「絶対無効」である。ところが、帝國議会では、このやうな議論すらされなかつた。

そもそも、昭和20年8月14日詔勅及びこの緊急勅令は、この敗戦が日本国の経験した未曽有の国家非常事態であつたことから、帝國憲法第9条の命令大権、同第10条の官制・任免大権、同第14条の戒厳宣告及び同第31条の非常大権などに基づく措置を同時に発動しなければならない程度に重大な政治的・法律的意義を有するものであつた。

従つて、帝國議会において、この緊急勅令の審議はもとより、国家再建の基本方針が十二分に審議されるべきであつて、これが帝國憲法改正案の審議の前提条件であり、先決事項でなければならない。特に、敗戦に至るまでの原因に関して、憲法的要因や運用上の問題などを徹底究明すべき必要があつたはずである。そして、さらに、これらの議論をふまへて、帝國憲法改正の必要性の有無及び程度並びに各条項的な個別的検討などについて充分討議する必要があり、これらの討議を経たうへでなければ、具体的な改正案の審議ができないはずである。敗戦後の占領下で、帝國憲法の「全面改正」に初めて着手することは、帝國憲法の「制定」に勝るとも劣らない国家の根幹を定める大事業であつたにもかかはらず、そのことの認識が全く欠如してゐたのである。

帝國憲法が10年以上の歳月を経て制定されたのに対し、わずか10日足らずの日数で、しかも、我が国政府の手によらずして連合軍で起草されたGHQ草案に基づき、これと内容同趣旨の「政府原案」(占領憲法原案)が作成され、これについて、衆議院では僅か4日間の本会議における審議がなされたにすぎず、それも、法律専門家等の見解の聴取もせずに直ちに委員付託となつて秘密裡のうちに検討されることとなり、その間にも多数の委員が更迭されたため、充分に検討審議の余裕もないまま、間もなく可決成立したやうな憲法改正行為は、たとへ占領下でなかつたとしても、審議不十分として無効であると言はざるをえない。

このやうに、性急な「お手盛り審議」により憲法改正案を全会一致に近い圧倒的多数で可決させたのは、占領軍の強い意志に基づくものであって、我が國政府に対する直接の強要的指示があつたからである。そして、その前月の5月3日から極東国際軍事裁判を開廷させるとともに、この事実を帝國議会審議より重大事件であるかのやうな厳重な統制による報道をさせることによつて、臣民及び帝國議会議員に対しても、帝國議会の審議において帝國憲法改正案に反対することは、如何なる不利益を蒙るか計り知れないとの心理的圧力による間接的な恫喝をなし、その萎縮効果を狙つたものであり、極めて卑劣かつ巧妙な作戦と演出が実行されたのである。そして、帝國憲法改正案についての帝國議会の審議過程の詳細は全く報道されず、国民はこれについて全く知らなかつたのである。

このやうな経緯の評価に対して、占領憲法は「占領軍の『圧力』の下で、議会も『混声合唱』をしたにすぎぬとみる見方もあるが、『改正』審議のために選挙をおこなって構成された議会において議論をつくしたうえでの、全会一致にちかい『圧倒的多数』の賛成を、無意志の人形の協同動作だとするのは、あまりにも偏った極言だといわねばならない。議員の賛否の意志の表明も、自由な決定だったはずだからである。」とする見解があるが、これは前述のやうな審議過程やその背景事情を全く考慮してゐないものであり、それこそ「あまりにも偏った極言」である。

従つて、このやうな諸事情からすれば、帝國議会の帝國憲法改正案審議自体に実質上も手続上も著しく重大な瑕疵があつたことになり、占領下の憲法制定ないし改正としての占領憲法は、帝國憲法の改正として、かつ、実質的意味の憲法としては絶対的に無効である。

ハーメルンの笛吹き男

以上のやうな論理に対して、自覚的に、または無自覚的に國體と憲法と典範を否定し、占領憲法を有効とする反國體派の言説がある。

八月革命説といふ噴飯ものもあるが(「現行憲法無効宣言問答集」総括編・問5、問6参照)、我が國は「國體論の国家」であり、「主権論の国家」ではないのに、いきなり敗戦後に主権論を持ち出すこと自体が國體に違反して許されないことを理解し得ない反國體派の見解である。

それにはいくつかあるが(「現行憲法無効宣言問答集問答集」総括編・問4参照)、現在、影響があると思はれるのは、次の3つである。

一つは、承詔必謹論による占領憲法有効論である。これが謬説であることは既に繰り返し述べたので省略する(「承詔必謹と現行憲法無効論」、「現行憲法無効宣言問答集」中級編・問18、総括編・問18参照)。

二つ目は、これも既に述べたが、追認による占領憲法有効論である。これも、國體論の国家が、主権論による追認を主張しても国法学的な脈絡としては論理矛盾がある。仮に、臣民の追認があつたとしても、それだけでは國體の変更を産む力はないからである(「現行憲法無効宣言問答集」初級編・問15、上級編・問6、総括編・問8、問9参照)。

最後の三つ目は、時効による占領憲法有効論である。つまり、占領憲法の制定時から、あるいは我が國が独立回復した時期から、50年以上経過してゐるので、時効により占領憲法は有効となるといふ見解である。これは、神話の煙る悠久の太古から数千年の長大な歴史伝統と、異体による歪みをもたらした、たかが50年程度の時間とを比較して、50年の方に重きを置くといふ本末転倒の謬説であり、「似非時効論」である。時効の意味が解つてをらず、民法レベルの時効期間を国法学のレベルにそのまま持ち込む暴論でもある。このやうな論者は、似非保守であり、國體破壊者に他ならない。

我々は、「ハーメルンの笛吹き男」のやうな似非保守によつて駆除される「ネズミ」になつてはならない。この男は、町の人が謝礼の金品を呉れないので、國體護持の担ひ手となる臣民の子供達を誘拐してしまつた身代金誘拐犯であつて、我々は、こんな「ほら吹き男」による追認説や似非時効説を断固として糾弾し排除しなければならない。

平成17年5月19日記す 南出喜久治

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