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青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第二十九回 朋友と祭祀

ともからの きづなふかむる おやまつり あれとともとの かよひあふおや
  (朋友の 絆深むる 祖先祭祀 吾と朋友との 通ひ合ふ(共通する)祖先)


友人を人質にして処刑を三日間猶予された男が、さまざまな誘惑と障害を乗り越えて、戻れば自分が処刑されるのに友人との約束を果たすために帰つて来る姿を描いた、太宰治の『走れメロス』といふ短編小説があります。


「メロスは激怒した。」といふ書き出しで始まる、この物語のあらすじはかうです。


牧人であるメロスは、村で妹と二人で暮らしてゐましたが、妹が間近に結婚式を挙げることになり、その準備のため町へ買ひ物に出かけました。すると、その町では、人を信ずることのできない邪智暴虐の暴君ディアニスが次々と人を殺してゐることを聞いて、その王を殺そうしてのそのそと王城に入つて行き、捕まえられて王の前に引き出され、メロスは、人の心や忠誠を疑ふ王と言ひ争ひます。

その結果、メロスは磔にされることになり、これを受け入れた後、最後の頼みとして、妹の結婚式を挙げさせて必ずここに帰つてくるので処刑までに三日間の猶予を求めますが、人を信じない王は聞き入れません。そこで、メロスは、「そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」と頼みます。王は残虐な気持ちで、この嘘つきに騙だまされた振りして、メロスを放し、身代りの男を三日目に殺し、正直者といふ奴らに見せつけることにし、メロスに「おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」とそそのかしたり挑発したりします。

そして、メロスの竹馬の友、セリヌンティウスは王城に召され、王の面前でメロスと再会し、友に一切の事情を語り、セリヌンティウスに人質になつてくれと頼みますと、セリヌンティウスは無言で頷き、メロスをひしと抱きしめた後、メロスは、すぐに妹のところへ出発し、一睡もせずに妹の村へ向かひ、結婚式を済ませます。妹らには処刑されることを知らせずに、夫婦を祝福し、嘘をついてはならないことを戒めて帰路につき、その途中に、王の放つた刺客に襲はれたり、疲労による迷ひと戦ひながらも走り続け、やつと約束の三日目の日没ぎりぎりにやつと間に合ひ、セリヌンティウスの身代はり処刑は中止されます。


そして、ここからがクライマックスです。原作では、このやうに結んでゐます。


「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若(も)し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯(うなづ)き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑(ほほゑ)み、「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」メロスは腕に唸(うな)りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。群衆の中からも、歔欷(きょき)の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」どっと群衆の間に、歓声が起った。「万歳、王様万歳。」 ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」勇者は、ひどく赤面した。


太宰治といふ人は、左翼崩れの自己破滅型の人物であることから、この小説については憶測を含めて様々な評価があります。しかし、この小説は伝説などを題材にしたもので、このやうな作品は、ときにはその作家の人格を越えることがありますから、それほど穿つた評価をする必要はないと思ひます。

この作品を素直に読めば、友との約束といふのは命懸けで守るものであり、真の友情とはさういふものなのだ、これこそ義兄弟の姿なのだ、といふ教訓が得られます。そして、これは、教育勅語の「朋友相信シ」を小説として描いたものであり、そのことを素直に説いた名作と言へます。


朋友の「朋」の字義は、二つ並んだ貝飾りが肩を並べた姿ですから、糸でしつかりと仲良くつながつた意味ですが、そのつながつた糸が切れたりすると、たちまち二つが離れることの意味も含んでゐます。山が両側にくずれ落ちる様を意味する「崩」は、後者の意味です。このやうに、朋友といふのは、ときには一つとなり、ときには離反することがあります。信じたい気持ちと不安な気持ちが交差する心の葛藤がつきまとひます。それが朋友の姿です。そもそも、「朋友」の熟語は、「朋」といふのが同門の友、「友」は同志の友を意味します。同門(崩)と同志(友)の双方を合はせた「友」が「朋友」です。


教育勅語には、「兄弟ニ友ニ」とあり、ここにも「友」が出てきます。この「友」は、同志、同根の友ですから、裏切られても裏切るな、といふ捨て身の強烈な信念を持つことを徳目として掲げてゐることになります。そして、「朋友相信シ」といふのは、「友」であることを誓つたならば、最後までその「信」を貫けといふことですから、兄弟と朋友とは、相似形、雛形なのです。

一度、「友」であることをお互ひに言明したのであれば、最後まで貫くこと、それが「信」であり、それには利害打算はありません。ですから、友になるといふのは、簡単なことではありません。やまとことばでは、「とも」ですから、志を共(とも)にすることなのです。友となれば死ぬまで縁が切れないとする覚悟がなければ「友」になることはできません。昨今では、「みんな友達」といふ軽薄な言葉を吐いて上辺だけの仲良し的な取り繕ひをする傾向がありますが、これは困つたものです。「友」の安売りです。真の友とは親友の意味ですから、そんな簡単に誰でも親友にはなれません。


友となるためには、お互ひに友であることを言明することが必要であり、誓(うけひ)することです。これは神事であり祭祀です。杯事もその一つです。神前で誓(うけひ)をして友になるのであり、義兄弟と同じ儀式が必要です。友の場合は、どちらが兄で弟といふ関係にはありません。いはば、五分の兄弟分です。これに対し、義兄弟といふのは、五厘下がり(五・五と四・五)、六分四分(四分六)、七分三分などの関係です。このやうな風習は今でも任侠などの世界に残つてゐますが、昔は、広く行はれてゐました。


真の友となると、決してお互ひに迷惑をかけないものであり、自分を犠牲にしてでも最後まで友を守り続けるものです。世俗的な人間関係を超越したものです。金銭の貸し借りがなされたり保証人になつてもらつたりすると、いつかその友情が損なはれることがあります。もし、友を助けるために金銭を渡すのであれば、返済を求めないことです。もし、逆の境遇となつていつか自分が困つたときは、そのときには助けてくれと言つて、友の負ひ目を和らげることしかありません。ましてや、友からの真摯な申出がないのに、命を預けてもらふことを軽々に要求するなどはできません。自分の都合だけで友を危険にさらしてはならないのです。


その意味では、この「走れメロス」の話の組み立ては、我々日本人の感性からすれば大きな違和感があります。メロスとしては、死を覚悟した最後の望みとして処刑前にセリヌンティウスと会はせてもらひ、自分に代はつて妹の結婚式に出席してもらつて、これまでの事情を伝へてもらふことを求めるべきであり、それ以上にセリヌンティウスを一方的に巻き添へさせてはならないのです。それを聞いたセリヌンティウスの方から、自らの命を人質として差し出し、メロス自身にどうしても妹の結婚式に出席させてやりたいので、それを済ませて帰るまで処刑を猶予してやつてほしいと熱心に懇請し、メロスもその捨て身の申出に深い友情の絆を感じて感謝し、親友の信頼を裏切らず最後まで信義を守つたといふ、まことに麗しい友情の物語であれば納得が行きます。ところが、たつた一人の妹の結婚式が間近に迫つてゐるのに、「激怒」に身を委ねて王の命を狙ひ、捕まつてからも王と言ひ争ひまでしたメロスが、妹の結婚式に出たいといふ個人的な理由のために親友を人質に差し出すことを勝手に交渉するやうなことは日本人の美意識に合致しません。

また、王が友情と信義に感銘して最後に突如として改心することは余り重要なことではありません。むしろ、約束通りメロスが処刑されるといふ悲劇の結末であつても、真の意味で友情と信義の壮絶な物語として完結するのです。


しかし、いづれにせよ、このやうに命懸けで友情を貫くといふことは何のためかといふと、それは、自分と友とのそれぞれの祖先が遠くで融合し、それが皇統へとさらに統合されて行くことの確信を抱いて、皇統護持、國體護持をその末裔である友人同士が共同にて祭祀を実践することの歓喜を得るためなのです。これこそが「朋友相信シ」の実践であり、祭祀の原点なのです。

平成二十三年八月一日記す 南出喜久治


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