各種論文

トップページ > 自立再生論目次 > H26.01.01 青少年のための連載講座【祭祀の道】編 「第五十八回 家産と貨幣経済(その四)」

各種論文

前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ

青少年のための連載講座【祭祀の道】編

第五十八回 家産と貨幣経済(その四)

かてともの こづちふれども うみだせず くがねもでずに おとのみぞする
  (食料と商品打出の小槌振れども生み出せず黄金も出ずに音のみぞする)

「経済学を学ぶ目的は、経済の問題に対して一連の出来合ひの答へを得るためではなく、どうしたら経済学者に騙されないかを学ぶことである。」


これは、ケインズ革命と称された、あのジョン・メイナード・ケインズの弟子で、当時は女性初のノーベル経済学賞候補にまでになつたケインズ学派の女性経済学者ジョーン・ロビンソンの言葉です。この言葉は、現在の経済学が科学ではなく、宗教にも似た擬似科学の偏向思想であることを端的に自白してゐることになります。こんな正直なことを言ふ人だつたために、彼女はノーベル経済学賞を逃したのです。


彼女の師匠であつたケインズは、大東亜戦争末期の昭和19年、アメリカのブレトン・ウッズの国際会議にイギリス代表団を引き連れて参加し、ブレトン・ウッズ体制の基軸となる国際通貨貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(世界銀行、IBRD)の設立に尽力し、この会議でバンコール・システム(bancor-system)の導入を提唱しました。これは、イギリスなどが提唱したもので、金(gold)など30種類の基本財を本位財とした「バンコール」(bancor)といふ人工貨幣単位(世界通貨)を導入する案であり、アメリカ一極支配に反対したケインズの提案でした。

しかし、ドルを世界通貨として通用させたいFRBの金融傀儡国家アメリカの強い反対を受け、しかも、この提案を阻止するため、アメリカはイギリスに実質的に無担保で大量の貸付を行ふ米英金融協定を破棄することになると申し入れたことから、イギリスはこの提案を断念し、金本位制を維持することを条件としてドルの一極体制を支持することになつたのです。ケインズは、第一次世界大戦後においては、金本位制への復帰に反対して管理通貨制度を提唱しましたが、第二次世界大戦後は金本位制を支持したのです。経済学者といふのは、まさにご都合主義に身を委ねた職業であることが、これだけでも判ります。


大航海時代から、世界的規模で金本位制や銀本位制(併せて金銀本位制)が採用されるやうになり、最終的には現在のやうに、いはゆるニクソン・ショックによつて金銀本位制を完全に放棄して管理通貨制度となつて変動為替相場制になりましたが、それまでにおいて、本位制を廃止したり復活させたりする紆余曲折の複雑な歴史を経てきました。


19世紀から20世紀の時代は「戦争の世紀」ですが、その主な原因は、食料、エネルギーなどの物資争奪であり、それを正当化する思想の戦ひでありましたが、どの思想であつても、つまるところは通貨制度についての明確な理論とその実践がなかつたことが、世界の混乱を増幅したと言へます。


これまでの通貨制度の歴史について詳しく解説してゐる経済学の書物は沢山ありますが、どうして世界がこれまで金銀本位制に拘つてきたのかの理由について述べた書物はどこを探してもありません。ましてや、通貨の本質論については、アダム・スミス、ワルラス、マルクス、ケインズ、フリードマンなど、誰も探求した人は居ませんでした。


通貨といふものは、使用価値のある物資同士を等価交換したり、その物資を生み出す労務の価値を計数的に表現したりするなどのために間接的に必要となる道具であり、それ自体に使用価値があるものではないのです。つまり、通貨は、その価値を生み出した人が、それを別の物資や労務と交換するために必要となるもので、通貨を発行する権限は、本来は、価値を生産する人それぞれが持つてゐるものなのです。通貨は、物資を生産すれば、それと等価のものが発行され、それを消費してなくなれば、交換できなくなるために通貨は破棄されなければなりません。ある個人が生産した生産物(A)の価値に対応して個人的に作つた通貨(a)を発行し、その通貨(a)を支払つて別の物資(B)を求めることができますが、その通貨(a)を回り回つて取得した誰かが、初めの生産物(A)との交換を求めてきたときは、それを引き渡すことになります。

ところが、生産物の量と価値はAなのに、それを超えて通貨を発行するとなると、とんでもないことが起こります。例へば、2倍や3倍の通貨の量(2a、3a)を発行するとなると、その余剰の通貨を取得した人は、その通貨量に見合つた物資Aが取得できないことになります。まさに、「椅子取りゲーム」になつてしまふのです。こんな過剰発行は、詐欺、ペテンの行為で許されないのです。しかし、そのことが容易には発覚しません。椅子取りゲームであれば、合図のホイッスルが鳴つたときに、座りそびれた人が、自分の座る椅子がなかつたことに気付くのですが、次の年も、また次の取りも米を生産し続けてゐると、年次生産量と年次消費量とが詳細に把握しにくくなり、通貨の不正発行や水増し発行があつても判らなくなります。ホイッスルが鳴るときといふのは、戦争や災害の時ですから、そんなときが来ない限りは、いつまで経つても合図のホイッスルが鳴らないのです。全員が座れると信じ込ませて、いつまでもいつまでも永遠に回り続けてゐる状態なのです。


ところが、このやうに、誰もが個人個人が自己の生産物の価値に見合つた通貨を発行するとなると、それは技術的にも不可能で、バラバラで統一性のない個人発行の通貨では社会的な信用性がありません。そこで、個々人の持つ通貨発行権を一括して取り纏めて、それを全部政府に委託し、政府が統一して発行することが合理的であり、これによつて個々人の不正発行、水増し発行を防ぐことができて、通貨に対する信用不安を解消することができます。かういふ経緯で、政府が通貨発行権を取得してゐるといふのがその理由なのです。こんな当たり前の理屈をこれまで誰も議論してこなかつたのです。


このやうに考へてくると、政府が国民全体から委託を受けて発行する通貨総量といふのは、国民全体が生み出す「国富」を限度とすることになります。実体経済における生産物の実物総量を限度とすることになります。次回に述べますが、これは、「GDP」(国内総生産)とは全く異なるものです。

国富の一部を形成する米(コメ)を例に説明するとかうなります。年間のコメの生産量をAとし、これと交換できる通貨(お米券)の総量をaとします。そして、お米が年間で消費される量をB、これに見合ふ通貨(お米券)の量をbとすれば、米の現存量(コメの国富量)は、A-Bと減少し、これに対応する通貨量もa-bと減少させなければなりません。ところが、現代社会の経済では、まさにバーチャル経済であり賭博経済ですから、生産も消費もすべて価値の「増加」として認識するのです。


つまり、1通分の手形しか決済できない資金だけしかないのに、資金繰りのために何通もの手形を濫発をするかのやうに、お米の量(A)に対応するお米券(a)を1通だけ発行するのではなく、これを何通(na)も発行したり、さらに、そのお米券(a)をそれ自体商品として、お米券(a)買へる券(a’)を作り、さらには、その券(a’)を買へる券(a”)を作るといふやうに、これらを際限なく続けて「券」を作り出すのです。これらは債権とか有価証券とかいふ代物であり、将来において、いつかは取得できるかも知れないといふ期待があるといふ程度にすぎないものを、コメの実物と同じ「価値」があるものと偽つたものなのです。お米を食べて全部なくなつたとしても、お米券(a)はそのまま流通させて消却されませんし、お米の実物量(A)に対応するお米券(a)1通だけではなく、na+a’+a”+・・・・と際限なく発行された通貨の総量が存在して、賭博取引やバーチャル取引が際限なく続けられ、これらもいつまで経つても増加することはあつても消却されることはありません。椅子取りゲームにおいて、合図のホイッスルが鳴らない状態ならば、椅子の数や参加者の数を勝手に変へてルールを無断で変更したとしても、参加者は必ず座れると信じ続けてゐるので、不満を言ふ人は出てこないのです。


こんなことを個人がすれば詐欺罪で捕まりますが、理不尽にも政府はそれを続けることができるのです。ましてや、アメリカ政府から独立した財閥集団(FRB)や、日本政府から半独立状態の日本銀行などが、政府と共謀し、管理通貨制度の下でいくらでも理屈をつけて通貨を「ジャブジャブ」と発行し続けて行くのです。

そして、国富の実体である生産実物の価値とは全くかけ離れた通貨量が国内と世界を駆け巡り、株式相場や為替相場に流れ込み、賭博経済を加速して価格の乱高下を起こして、真面目に汗水を流して働く多くの人々の生活を困窮させます。博奕打ちは堅気の人に迷惑を掛けてはならないといふ昔の掟は、いまや通用しません。政府や財閥、そしてマスコミは、挙つてこの博奕を奨励し続けてゐるのです。博奕打ちのための株価や為替の相場は、天気予報と並んで毎日報道し続けて、賭博経済を奨励し正当化してきたのです。


国富は、物資の生産によつて増加しますが、消費によつて減少します。食料やエネルギーは、人が生活をするのに不可欠な消費であり、それを超える生産活動を続けない限り国富は減少するのです。また、生産や生活のために必要な消費だけでなく、災害や戦争などによつても物資が消滅したり消費されたりして減少します。

つまり、人々から通貨発行権を委託された政府としては、通貨の発行総量は国富を限度とするものでなければならず、その意味では、「国富本位制」でなければならないのですが、当時は、その国富を測定し認識する理論も技術もなかつたために、これ(国富本位制)に代はるものを探したのです。

そこで、国富の変動を観察すると、急激な生産技術の向上などによつて生産量が飛躍的に増大する場合や戦争や災害の場合などを除いては、生産量は自然増として漸増するものです。さうすると、その漸増の状態は、金銀の生産量と類似してゐます。大鉱脈が発見されたとしても、金銀はそれ自体に使用価値があるために消費もされるので、全体としても金銀の地金総量は、国富と類似した増減状態であることから、国富本位制に代用制度として、国富総量の変動と金銀の地金総量の変動と対応させたのが金銀本位制を採用したことの理由だつたのです。


ところが、ニクソン・ショック以降、国富の変動に類似した金銀本位制による通貨制度を捨て、管理通貨制度と変動為替相場制に移行したことによつて、通貨総量に実質的な歯止め無くなつてしまひました。


冒頭のジョーン・ロビンソンの言葉のやうに、私達は、経済学者とか経済評論家、経済アナリストなどと呼ばれるやうな、いまではまるで競馬の予想屋にも似た賭博経済のスポークスマンたちの話を鵜呑みにしてはなりません。これらの者の話を根底からすべてを疑ふことが祖国と世界を再生させる第一歩になるはずです。


(つづく)

平成二十六年元旦記す 南出喜久治


前の論文へ | 目 次 | 次の論文へ