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連載:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編

第百四十三回 祭祀と宗教 その四

いつきすて おやうまごすて ゆだぬれば すくふとだます あだしのをしへ
(祭祀棄て祖先子孫棄て委ぬれば救ふと騙す外國の宗教)


世界宗教の特徴として、まづ第一に注目すべきは、旧約聖書には、神が人間に対し、異教徒を皆殺しにするやうに命令した、といふ記載が至るところにあることです。

そのため、旧約聖書を基礎とする信仰人としては、「異教徒を殺して何が悪い」といふ意識があるのです。


その一つの例として、旧約聖書の「民数記」第31章には次のやうな記述があります。


「彼ら(イスラエル人)は、主がモーセに命じられたようにミデアン人と戦って、その男子をみな殺した。またイスラエル人はミデアンの女たちとその子供たちを捕虜にし、その家畜と羊の群れと財貨とをことごとく奪い取り、そのすまいのある町々とその部落とをことごとく火で焼いた。こうして彼らはすべて奪ったものを携えて戻ってきた。モーセは宿営の外に出て迎えたが、軍勢の将たちに対して怒った。「あなたがたは女たちをみな生かしておいたのか。彼らはパラムのはかりごとによって、イスラエルの人々に、ベオルのことで主に罪を犯させ、ついに主の会衆のうちに疫病を起こすに至った。そこで今、この子供たちのうちの男の子をみな殺し、また男と寝て男を知った女をみな殺しなさい。ただしまだ男と寝ず男を知らない娘は、すべてあなたがたのために生かしておきなさい。」


この時期、イスラエル人は神の命令に従つて、敵の民族を男も女も子供も幼児も、さらにはその家畜をも皆殺しにしてきました。ホロコーストは、神の命じた掟だつたのです。ところが、イスラエル人が、たまたまミデアン人を打ち破つた時、敵となる恐れのある成人男子は皆殺しにしましたが、女と子供は奴隷にしようとして、生かしておいたのです。

そこで、イスラエル人の指導者だつたモーセは、「神様は皆殺しにせよ、と仰つたではないか」と怒り、女も子供も殺せと命じたのです。ただ兵士たちが不満を持つかもしれないと考へたのか、未婚の娘だけは殺さず男たちの妾にしても良い、とモーセは妥協した方針を示したことになります。


これはユダヤ教やキリスト教についてですが、イスラム教についても同じです。

コーランにも、異教徒との戦争を義務付け、信じない者との戦ひ(ジハード)を命じます。平和とは全世界のイスラム化によつて実現するものであり、異教徒との共存による平和といふものは完全に否定します。


異教徒は皆殺しするのが世界宗教の掟ですから、それ以外の非道なことは、何の抵抗もなく平気で行ひます。


小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『お大の場合』(The Case of O-Dai)といふ短編の作品がありますが、イギリス人宣教師が、お大といふ娘に、家の仏壇や祖先の位牌などを捨てさせることに何らの躊躇ひもないのです。

このことについては、「(青少年のための連載講座)祭祀の道 第22回 祭祀と宗教」(平成22年10月1日)で詳しく述べましたが、祖先の位牌を破棄することは異教徒の祖先を殺害することでもないので、朝飯前のことなのです。


また、大友宗麟といふキリシタン大名は、日向国内の社寺の殆どを破却して仏像等を燃やし僧侶等を追放しましたが、これも朝飯前のことなのです。


さらに、仏教でも、比叡山の僧兵、一向一揆、真宗一揆、法華一揆などのやうに、武装化して「仏敵」を殺戮する行為を頻繁に行つてきた歴史があります。


人を救ふとして人を殺す。


この究極の矛盾と倒錯を以て人を心酔させる魔力を持つものが世界宗教なのです。

このやうに、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教などの世界宗教の教団といふのは、偽善の仮面を被つて人々を教化して、その勢力を拡大させる性質を持つてゐます。


しかし、教団の信者として生きる心得として説く教へには、異教徒であつても納得の行くものもあります。

人々は、入信する前に、その甘露の言葉に酔ひ、信心を深めます。ところが、根本問題などで信心が揺らいだり、教義を疑つたり否定したりすると、地獄に落ちるぞと言つて脅かされ、教団から逃れられなくなります。信者としていつまでも引き留められることになります。このやうな手法によつて、これまでも、そして、これからも教団は維持されて行くのです。


では、どうして、モーセは、世界宗教が否定することになつた「孝」、「家族」、「祭祀」について、十戒において「孝」を説いたのでせうか。


それには、次のやうな理由がありました。


「(青少年のための連載講座)祭祀の道」第41回(平成24年8月1日)の「モーセと祭祀」でも触れましたが、エジプトで奴隷の身であつたユダヤ人を救ふのは、脱出して移住するだけの場所的な解放だけでは不充分だつたからです。


また、すべての個人が普遍的な思想に到達するまでの過渡期においては、対立が起こるとしても、最終的には自然淘汰されてすべての人間が同じ普遍的な思想に到達することになりますが、そのやうな自然淘汰的な迂遠な方法よりも、すべての人間に普遍的な思想を示して早急に統一すればよいといふ考へも出てきます。人為的に普遍思想へと統一することです。それが全体主義です。つまり、個人主義も全体主義も、合理的な世界に到達するための手段と方法の違ひに過ぎないのです。


奴隷で染みついた心の病である個人主義を一掃する必要があつたからです。奴隷は、個人主義の最先端の存在だつたからです。

なぜならば、奴隷は、商品として売買されます。子は生まれたときから主人の所有物としての商品であり、奴隷の家族は原則として否定されます。家族を持つことが許されないのです。奴隷は家畜と同じです。

しかし、家畜だと、主人の人間に必要な身の回りの世話をさせることができませんが、人間の奴隷だと、それが可能になつて便利です。

病に伏せて働けなくなり交換価値も使用価値もなくなつた親の奴隷を殺せ(殺処分せよ)と主人が子の奴隷に命じれば、親殺しをすることになります。その逆もあります。


親子間でも兄弟間でも交尾させて子供を作らせます。子供も大きくなれば奴隷になりますので、大切な「財産」ですから、誰に生ませても、誰に作らせても同じだからです。

奴隷と家畜は、その役割分担を異にするだけで、「人畜」として一括りされる存在だつたのです。


エジプトからの解放は、奴隷として徹底的にこのやうな個人主義を刷り込まれたユダヤ民族に、家族主義による民族精神を復興することから始める必要がありました。

その為に、最大の徳目として「孝」を示したのです。個人主義から家族主義へと転換させる必要があつたのです。


ともあれ、当時の奴隷といふのは、今では想像を絶するものです。百年前におけるアメリカの奴隷は、エジプトの奴隷と比べたら、より人間的な扱ひがされてゐました。

ただし、アメリカ奴隷でもさうでしたが、奴隷は「人」ではありません。欧米でいふ「人権」とは、奴隷にはありません。奴隷は家畜と同じです。


会田雄次の『アーロン収容所』に書かれてゐますが、イギリス人は、日本人などの有色人種を猿人とみなして人間と思つてゐなかつたので、イギリス人の婦人は、日本人捕虜の前で、平気で裸になつて着替へをしたさうです。家畜に自己の裸身を晒しても羞恥しないのです。つまり、日本人捕虜は奴隷扱ひだつたのです。約80年前でもそんな状況でしたので、今から約3200年前のエジプトでのヘブライ人奴隷の扱ひは、それとは比べものにならないほど過酷な扱ひだつたのです。


そんな奴隷として、ユダヤ人の多くがエジプトに拘束されてゐました。民族全体が奴隷となつてゐたのであり、そのことは、民族そのものが家畜化して消滅したのも同じでした。モーセは、そのユダヤ民族をまとめて脱出させるだけでなく、民族の誇りを甦らせ、約束の地で民族固有の社会生活を再生させることは並大抵の努力ではできません。


私たちの今に置き換へてみれば、このときのモーセの苦難と努力が、如何に途方もないことであつたことが容易に想像できるはずです。


奴隷には「奴隷道徳」しかなく、前に述べたとほり、親子の秩序関係は完全に破壊されてゐたからです。奴隷道徳とは、奴隷が従ふ掟であり、主人に対する絶対的服従のことです。主命であれば、親殺し、子殺し、兄弟殺しなど何でもします。孝や祭祀のみならず、親子の情愛を捨て去ることが奴隷に求められる奴隷道徳です。


このやうな主体性のない生活の習性は、言ふならば「抑圧された奴隷の個人主義」です。親も子もなく兄弟の序列や秩序もなく、すべて平等で同じ奴隷といふ立場であることは、「個人主義」の基礎条件を満たしてゐるからです。


奴隷には、親であつても子を扶養する生来的な義務はありません。子も商品ですから、商品管理として主人に命ぜられば養育するだけです。

子も親を扶養する生来的な義務もありません。主人が命ずればその命令に従つて商品管理するだけです。

奴隷は孝が否定されるので、親子も他人も平等なのです。


そんな歪んだ奴隷道徳に浸りきつたユダヤ人に、民族の起源と民族祭祀の重要性をいきなり説いても誰も理解できません。ですから、モーセは、まづは奴隷道徳から解放するために、まづは「父母を敬ふ」といふ祭祀の出発点をまづ植ゑ付けたのです。


奴隷の個人主義は、奴隷の主人が奴隷に義務づけた奴隷道徳に基づくものでした。しかし、エジプトを出て解放されたユダヤ人は、これまでの習性によつて主人を懐かしみ、奴隷道徳を抱き続けます。ユダヤ教による民族の統一のためには、奴隷の主人とそのファラオとともに奴隷であるユダヤ人が馴れ親しんだ太陽神を中心とした多神教(総神教)を破棄させなければなりませんでした。


つまり、モーセは、ユダヤ民族の民族性の回復のために、個人主義から家族主義へ、多神教(総神教)から一神教へ、といふ二つの大転換を求めたのです。


そのために、モーセの十戒のうち、第一戒から第四戒までにおいて一神教への大転換を説き、人倫の戒めの第一番目の第五戒において家族主義への大転換を説いたのです。


ところが、一神教への転換を説く過程の中で、第五戒の家族主義に問題を生じてきたのです。それは、親が奴隷時代の多神教(総神教)に執着してゐるのであれば、その孝の実践として一神教への信仰に揺らぎが出てくるからです。


そのため、「孝」は世界宗教の教へとは相容れないものとなつて行くのです。

南出喜久治(令和2年3月15日記す)


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