國體護持總論
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著書紹介

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山鹿素行

「國體」といふ概念の萌芽は「國學」に由來する。この國學とは、江戸時代前期の國學の祖とされる下河邊長流や契沖が、儒學、蘭學、佛教などに囚はれない『萬葉集』の學問的解釋研究に始まり、國學の四大人(しうし。荷田春滿、賀茂眞淵、本居宣長、平田篤胤)によつてさらに展開された學問體系である。そして、ここにおける中心概念である國體とは、言語的には、「國の體質」に由來し、「國幹(國柄)」(くにから)と同義である。それは、萬世一系の皇統と「やまとことのは」の言語體系を核として構成された我が國固有の惟神の道、古代精神と歴史、傳統から抽出される祭祀、政治、産業、經濟、宗教、道德、規範、武道、學問、藝術、技術、民俗、生活樣式などのこれまで歴史的事實として累積されてきた文化の總體(これを「文化國體」といふ。)を意味することになる。

そして、後述するとほり、國體といふ概念の中には、この文化國體の中で、とりわけ規範性を有するものを「規範國體」と名付けるとすれば、文化國體と規範國體とは、存在と當爲の關係にある。すなはち、「事實」の領域に屬する「文化」といふ存在(Sein)の側面(文化國體)と、「規範」の領域に屬する「古道(ふるみち)」といふ當爲(Sollen)の側面(規範國體)とがあつて、兩者は、等價値的な對極事象にあるのである。

この區別の意義と詳細については後に述べるとして、平易に云へば、文化國體とは、それを失へば日本が日本ではなくなるもの、何があつても守り通さねばならないもの、つまり、皇室、言語、祭祀、歴史、傳統、傳承、道德、氣質、民俗などで織りなされた時空間の廣がりを持つ文化總體のことである。水平の同心圓の中心を上下垂直に貫かれた一本の基軸がある構造を想念したとき、その水平の同心圓は現世空間であり、上下は過去から現在、未來へと續く時間であり、當今(今上天皇)はその同心圓の中心と基軸との交點にあり、基軸とは萬世一系の皇統を意味することになる。

しかし、これらの有樣を學問として詳細に究明したところで、これらを護持する方途を講じなければ全く畫餠に歸する。これを護持するには、平和裡に祭祀、行事や儀式などが不斷に續けられることは勿論である。しかし、それだけで實現できることが望ましいものの、歴史的に見れば決してさうではなく、樣々な紆餘曲折があり、ときには謀略や武力を行使してでも不斷の努力を積み上げなければ實現しえないのである。

國體は學者だけでは守れない。國體護持の志を持つた者の血と汗によつて守られるのである。吉田松陰、西郷隆盛、松平容保は言ふに及ばず、「今上樣の御心をやすめたてまつらんとの事、御案内の通り朝廷というものハ國よりも父母よりも大事にせんならんというハきまりものなり。」(文獻286)といふ手紙の主である坂本龍馬も、坂本龍馬と共に受難し「大君の大御心をやすめんと思ふ心は神ぞ知るらむ」との辭世を遺した中岡愼太郎もまた然りである。いづれも「大義、親を滅す」(左傳)と悟つて國體護持に身命を賭した先哲である。

これは、いふまでもなく「尊皇の志」であつて、連合國軍最高司令官總司令部(General Headquarters/ Supreme Commander for the Allied Powers 以下「GHQ/SCAP」又は單に「GHQ」といふ。)の軍事占領統治下で『大日本帝國憲法』(以下「帝國憲法」といふ。資料十二)を改正して成立したとする『日本國憲法』(以下「占領憲法」といふ。資料三十二)での象徴天皇制(傀儡天皇制)が豫定する名門家系への「敬愛の念」とは全く異なる。この相違は、身命を賭して國體と皇統を護持奉ることができるか否かにある。

この國體護持運動は、江戸期以降における國學などの隆盛もさることながら、山鹿素行の『中朝事實』(文獻3)に始まると云つても過言ではない。山鹿素行は、儒學者であり、かつ、山鹿流軍學の創始者として有名ではあるが、古學(原典主義)の開祖として、『聖教要録』を著して朱子學批判をしたことから幕府の怒りを買つて播州赤穗藩へ配流され、その謫居中に著したのが寛文九年(1669+660)に完成した『中朝事實』である。これは、我が國の古代史を論じたもので、神道と皇統の正統性、普遍性及び世界性が力強く説かれたものである。これは、契沖の『萬葉代匠記』が著された約二十年前のことであり、これが國學發祥の契機となつたと云つても過言でない(文獻3、14、85、245)。

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