國體護持總論
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著書紹介

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雛形理論

そして、このことと竝んで重要なことは、この極小事象である生命科學における個體の「いのち」から、極大事象である宇宙構造まで、自然界に存在するあらゆる事象には自己相似關係を持つてゐるとする雛形構造(フラクタル構造理論)の發見である。フラクタルとは、フランスの數學者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何學の概念であるが、いまやコンピュータ・グラフィックスの分野で應用されてゐる理論でもある。この雛形理論(フラクタル構造理論)とは、全體の構造がそれと相似した小さな構造の繰り返しでできてゐる自己相似構造であること、たとへば、海岸線や天空の雲、樹木、生體など自然界に存在する一見不規則で複雜な構造は、どんなに微少な部分であつても全體に相似するとするものである。そして、マクロ的な宇宙構造についても、いまや雛形構造(フラクタル構造)であることが觀察されてをり、また、恆星である太陽を中心に地球などの惑星が公轉し、その惑星の周圍を月などの衞星が回轉する構造と、原子核の周圍を電子が回轉するミクロ的な原子構造モデルとは、極大から極小に至る宇宙組成物質全體が自己相似することが解つてゐる。さらには、海岸や雲の微小部分における輪郭線が全體部分の輪郭線に相似し、樹木でも、放射状構造の葉脈や根毛の微小部分が葉、枝振り、根、樹木全體の放射状構造と段階的に相似してゐるし、生物一般についても、個々の細胞とその集合體である細胞組織や臓器とが、さらに、臓器と個體とがそれぞれ相似してゐるといふことである。それは、生體が單細胞動物を原型として、多細胞生物が存在し、體細胞分裂によつて個體の統一性が維持されてゐるといふ雛形構造(フラクタル構造)にあるといふことである。

ヘッケルは、「個體發生は系統發生を繰り返す。」として、生物發生の相似性を提唱し、また、現代科學においても、蜂の巣状の銀河とグレートウォール、温度の上昇と物質の相轉移、波動性と粒子性の共存、遺傳子構造、大腦皮質のニューロン・ネットワーク構造などを踏まへて、宇宙開闢から今日までをインフレーション理論で説明したり、大統一理論を構築しようとする試みなど、マクロからミクロに至る全事象において、連續した自己相似構造を有してゐることが解明されてきた。

このことについては、我が國でも、古來から「雛形」(ひひなから)といふものがあり、形代、入れ子の重箱、盆栽、造園などに人や自然の極小化による相似性のある多重構造、入れ子構造を認識してきたのである。ジェラルド・ワインバーグのいふ、入れ子状の階層構造といふのも同じ意味である。

物事の眞理を説く場合に、比喩を用ゐることがあるのも、この「雛形理論」で説明がつく。つまり、『法華經』(文獻201)の比喩法による經説は、壮大な眞理の構造を説明するについて、そのままでは理解しえないことから、その雛形を示して理解させるためである。

また、『般若心經』(文獻258)の「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」といふのも、物質現象としてのイオン化現象、プラズマ現象、臨界、超臨界、超傳導、ラジカル反應などや、質量保存法則、エネルギー保存法則、熱力學の法則、量子論などの現代科學の理論的先驅ともいふべき唯物論的な廣義の「相轉移」が語られてゐるのである。

このやうな廣義の相轉移については、御靈(みたま)の世界についても同樣である。伊勢の皇太神宮御祭日の參拜の折に「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる」と詠んだ西行法師や、尾張一宮の眞清田神社の參拜の折に「一の宮名さへなつかしふたつなくみつなきのりをまもるなるべし」と詠んだ阿佛尼(『十六夜日記』)が抱いたやうに、「かたじけなさ」とか「なつかしさ」といふ人の高尚な情緒の源泉は、平田篤胤の輪廻轉生譚である『勝五郎再生記聞』などにもあるやうに我が國の生死觀における根強い輪廻轉生の信仰風土に求められる。

そして、『古事記』や『日本書紀』には、この唯心と唯物の世界、形而上學と形而下學とを統合した大宇宙の壮大な雛形構造の原型が示されてゐる。つまり、記紀によれば、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神が天津神の宣らせ給ひた「修理固成」の御神敕を受け、天の浮橋に立つて天の沼矛を指し下ろし、掻き均して引き上げて出來た島が「オノコロシマ」(淤能碁呂島、オノゴロジマ)とされる。そして、この島に天降り、天の御柱と八尋殿を見立てたまひて國産みが始まる。この「オノコロシマ」については、ひとりでに凝つてできた島だとか、あるいは、北畠親房の『神皇正統記』によれば、「おんころころせんだりまとおぎそわか」といふ藥師如來眞言ではないかとの説明まで紹介されてゐるが、しかし、これは紛ふ方なく「地球」のことである。「オノ」といふのは、ひとりでに、自づと、といふ意味の大和言葉であり、「コロ(ゴロ)」といふのは、物が轉がる樣から生まれた擬音語である。そして、「シマ」といふのは、島宇宙、星のことであり、いづれも大和言葉であつて、これをつなげた「オノコロシマ」とは、「自ら回轉してゐる宇宙」、「自轉島」、つまり「地球」なのである。

そして、このオノコロシマから始まるその後の國産みの話は、我が國が世界の雛形であることを意味してゐる。また、地球といふ生命體の創造において、天の御柱を二柱の神が廻る姿は、個體細胞の染色體が二重螺旋構造をしてゐることを暗示し、まさに極大から極小に至るまでの相似形象を示す我が國の傳統である「雛形理論」を示してゐる。洋の東西を問はず、雛形理論は發見され提唱されてきたが、その發見の源流は記紀にあつたのである。記紀には、宇宙創世から地球の誕生、そして、その創世原理としての雛形理論といふ比類なき壮大な宇宙性、世界性、普遍性が示されてゐるとともに、我が國が世界の雛形であるとの特殊性が描かれてゐることになる。つまり、「上つ代の かたちをよく見よ いそのかみ ふることふみは まそみの鏡」と本居宣長も詠んだとほり、古事記(ふることふみ)は、極大から極小までの時空間を貫く全事象を包攝する雛形を寫し出す眞澄の鏡であると認識されてきた。それは、いはゆる「本田靈學」を確立した本田親德(ちかあつ)も、人心は天之御中主神の分靈であるとし、また、本田親德の豫言によつて丹波から出てきた出口王仁三郎も、「人間は宇宙の縮圖であつて天地の移寫である」として萬物に相似性があるとして、靈主體從の雛形理論を肯定してゐるのである。

このやうな相似性に着目すると、圖形や文字などを用ゐて視覺的に極大から極小までの世界觀などを表はした「曼陀羅」の思想も雛形理論に基づくものであり、『大學』でいふ「修身齊家治國平天下」といふのも同じである。これらは、森羅萬象や社會構造の全てについて、この雛形理論で説明できることを示したものであつて、人の個體、家族、社會、國家、世界のそれぞれの人類社會構造の解明についても、この理論が當然に當てはまる。福澤諭吉が「一身獨立して一國獨立す」と云つたのもこの部類である。萬物を掬するが如く慈しんできた多神教(總神教)の精神風土において、萬物に神が宿り、ひと粒ひと粒の米粒の中にも佛が宿るとする教へも、最先端の生命科學の研究により、皮膚、肝臓、胃などの細胞から、樣々な細胞や組織になる可能性がある萬能細胞(人工多能性幹細胞 iPS細胞)ができるとする發見についても、人體とそれを構成する細胞とが雛形構造(フラクタル構造)であることを證明してゐる。また、「一切即一(多即一)」、「一即一切(一即多)」といふ佛教の教への意味するところも、インドのバラモン教のウパニシャッド哲學において宇宙の根本的統一原理であるブラフマン(梵)と人間の本能(本性)であるアートマン(我)とが合一するとの教へ(梵我一如)も、極大事象と極小事象との間に自己相似性があるとする雛形理論(フラクタル理論)ですべて説明ができるのである。

そして、この理論から導かれる結論は、極めて重要なものがある。それは、森羅萬象は雛形構造であり、それが「安定構造」であるといふことである。さらに、ある事象において混亂が生ずるのは、その全體あるいは構成要素が、その事象より上位の事象及び下位の事象との相似性が保たれてゐないためであつて、その事象の混亂を鎭めて安定化させるためには、相似性のある構造に戻ることが必要であるといふことになる。

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