國體護持總論
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擬似祭祀と國教

では、他方、革命國家についてはどうか。その典型例であるアメリカ合衆國(以下「アメリカ」又は「米國」といふ。)の場合は、先住のインディアンの祭祀的要素を受け繼いで建國されたのではない。むしろ、それを否定して破壞することが建國の精神であつたため、祭祀的要素は皆無である。つまり、イギリスからの獨立戰爭といふ建國の原點は、「領土擴大主義」に由來するもので、それを「西部開拓」といふ理念なき征服欲、支配欲、所有欲を正當化した「西進主義」に脱皮させ、それをキリスト教に基づく「神から授けられた明白な使命」(マニフェスト・デスティニィ、Manifest Destiny)であるとした。

この血塗られた使命なるものを口實として財務的要素のみで建國を果たしたことから、米國は、獨立戰爭とその後の國家經綸に必要な國家財政を民間の金融機關に依存して通貨發行管理權を與へた。それが「民間の所有する中央銀行」(文獻197)である連邦準備制度理事會(FRB)である。FRBは、米國の通貨發行管理權を取得して米國に資金貸付をし、米國の「國債」を取得して、その見返りに發行した「ドル通貨」を米國から市場に流通させる。米國は、建國當初から國立銀行としての中央銀行を持たず、自國の通貨發行管理權を民間の私企業に擔保提供して融資を受け、經濟主權を制約されながら運營されてゐる財務國家である。從つて、米國は、當初から財務目的で設立されたものであるため、宗教團體のやうな祭祀部門を當初から當然のことながら有せず、しかも、自己資金がないために民間銀行からの全額融資で設立された株式會社と同樣の性質を有する實驗國家なのである。

ところで、歴史的に見れば、革命國家や不眞正傳統國家においては、國教(國家宗教)を定めたことがあつたが、この現象はどのやうに説明しうるのであらうか。思ふに、國教を設けようとする動機の源泉は、國教といふ「擬似祭祀」を設けることによつて、本來の國家である傳統國家(自然國家)に近づかうとする革命國家の自己保存本能と云へる。近づくことができなければ、革命國家は、雛形理論から外れた存在として、早晩崩壞する運命にある。革命國家といふのは、傳統國家(自然國家)に擬似した人工國家であるから、國民の宗家としての祭祀主宰者が不在である。そこで、何らかの方法により統治主宰者を祭祀主宰者に擬制することによつて、國家の正統性を得ようとするのである。それゆゑに、國教とは「擬似祭祀」と云へる。たとへば、その國教が、民俗祭祀(祖先祭祀)を肯定しつつ、その上位の神の存在を説くものである場合は、比較的に擬似祭祀化が容易となる。それは、國民は、その祖先祭祀の延長線上に宗教上の神に信仰歸依するといふ雛形構造を以て国家祭祀に代用させる。統治主宰者は、国家祭祀の祭祀主宰者に擬制されて、全體としての擬似祭祀の相似的構造となる。

これに對し、祖先祭祀を排除し、あるいはこれと隔絶した絶對神(唯一神)の存在を説く宗教が國教である場合には、祭祀の相似性が崩壞する。國民が、家族を飛び越えて個々人が直接に絶對神に信仰歸依する關係を構築することは、民俗祭祀を否定することになつて軋轢が大きくなる。その上、統治主宰者は、國民と絶對神との直接的な關係から疎外されて蚊帳の外に置かれ、統治主宰者の地位及び統治自體の合法性はあるとしても、統治の正統性を導き出すことができなくなる。そこで、その宗教主宰者である教皇などから統治の正統性を附與してもらふことになつた。

しかし、教會との對立やその權威の失墜などによつて國家の正統性が搖らいでくると、今度は、抽象的にその絶對神から直接に統治權(世襲王權)を授與されたとする思想(王權神授説)が登場する。ところが、この王權神授説によつて擬似祭祀を補強するためには、どうしても王權の正統性の根據となる絶對神を信仰歸依する宗教を國教とする制度を維持しなければならなかつた。しかし、宗教論爭や信仰の自由を求める主張、さらに宗教戰爭などによつて國教制度が維持できなくなつた段階において、今度は、國教制度に依らずともその絶對神に代はる正統性の根據を模索することになる。それが「主權論」である。絶對神に勝るとも劣らない「主權」といふ、實質的には新たな絶對神を觀念の産物として生み出した。これまで「主」と崇めた宗教上の絶對神に賴らずとも、「主權」といふ新たな政治上の絶對神を發明したのである。これもまた、一神教信仰の土壤から生まれたものであり、「主權論」とは「新興宗教」に他ならない。「主(God)」から奪ひ取つた「權利」、それが「主權」である。そして、その主權の歸屬が國王(君主)にあるとする「君主主權論」が生まれ、さらに、その後、國王から主權の歸屬が國民(人民)に委讓され、あるいは國王から國民(人民)が主權を奪取して「國民主權論(人民主權論)」へと移行するのである。これは、人間を越え人智の及ばない存在としてのこれまでの神ではなく、人間自らか神となつた瞬間であつた。

それは、罪刑法定主義を唱へたフォイエルバッハの子、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハが、マルクス、エンゲルス、シュトラウス、 ニーチェなどに後世多大な影響を與へた『キリスト教の本質』(1841+660)を著し、その中で、「人間の唯一の神とは、いまや人間それ自身である。」、「人間が神をつくった。」と述べてゐることからも明らかである(船山信一譯、岩波文庫、昭和四十年)。

また、この思想的源流は、革命國家アメリカの獨立宣言がなされた同じ年(1776+660)にまで遡る。この年の五月一日、南ドイツ・バヴァリア(現在のバイエルン)のインゴルシュタット大學の法學部教授であつたアダム・ヴァイスハウプトが秘密結社イルミナティを創設したのである。當時のバヴァリアはイエズス會の支配下にあり、ヴァイスハウプトもイエズス會員の家に生まれ育つた。しかし、神の僕となる信仰に抵抗し、理性禮贊、合理主義、啓蒙主義哲學、世界主義(コスモポリタニズム)、キリスト教的信仰の否定、唯物論、自由平等思想、革命思想を唱へ、その實現の手段としてイルミナティを創設した。しかし、バヴァリア政府はイルミナティを数回に亘つて彈壓し、遂にヴァイスハウプトは國を追はれ、以後は地下活動を開始することになる。イルミナティ会員には、理神論者、無神論者も居たが、理性禮贊において共通し、自分たちこそこの世界を支配する神あり、神さへ自分たちの前に從ふべきものであると信じたのである。それをフォイエルバッハ、ルソー、マルクス、ニーチェなどが受け繼いだ。そのことは、昭和十三年(1938+660)のトロツキスト裁判で、クジミンの尋問を受けたラコフスキー(ウクライナ人民委員會議長、元駐佛ソ連大使、革命家)の語つた証言に示されてゐる。「君は、歴史的には語られていないが、われわれだけに判っていること、つまり最初の共産インターナショナルの創立者がアダム・ヴァイスハウプトであったことを知っているかね。彼は革命家で、フランス革命を豫見し、事前にその勝利を保証したユダヤ人で、元イエズス会士であった。彼は自分で、或いは誰かの命令によって、秘密結社をつくったのだ。」といふラコフスキーの証言は、革命國家が「主(ヤハウェ、エハボ)の權利」を合理主義(理性論)によつて奪取してきたことの思想的系譜を端的に示してゐるのである(ゲーリー・アレン著、高橋良典譯『ロックフェラー帝國の陰謀―見えざる世界政府 (Part 1)』昭和五十九年、自由國民社)。

かくして、革命國家では「主權論」が、傳統國家では「國體論」が、それぞれ支配することになる。つまり、祭祀を重視すれば國體論となり、これを無視すれば主權論となるのは必然である。特に、主權論に支配された革命國家では、絶對神崇拜に代はりうる主權論による擬似祭祀だけでは國民國家の統一性が強固とならないことから、國旗、國歌による國家への忠誠を義務付け、さらに、國民皆兵制(徴兵制)による國民の統一性を強化する。徴兵制には、その軍事的意義のみならず、このやうな擬似祭祀の補強としての教育的意義も有してゐるのである。そして、このやうな革命國家に對抗する傳統國家もまた、國民國家の統一性の強化のために國旗、國歌、徴兵といふもので補強する同じ方向を歩むのである。

ともあれ、我が國は、典型的な傳統國家として、祭祀部門における祭祀主宰者たる「すめらみこと」と、統治部門における統治主宰者たる「天皇」といふ國家機關を有してをり、「すめらみこと」が常に「天皇」を兼務されてをられる。敷衍すれば、「天皇陛下萬歳」とは天皇統治の御代を稱へるものであり、「すめらみこといやさか」とは天皇祭祀の御代を稱へるものといふこともできる。

「すめらみこと」(總命)が「しろしめす、しらす」(知ろし召す、知らす)といふのは、祭祀と統治との統合を意味する。祭祀と統治とが統合されたものが國體(くにから)なのである。この項でいふ「統治」は「狹義の統治」のことであり、祭祀と狹義の統治とを統合したものを「廣義の統治」といふことがある。帝國憲法第一條の「統治」は、まさにこの廣義の統治を意味し、祭祀を含んだ概念として用ゐられてゐる。また、狹義の統治のことを「うしはく」(領く、主帶)といふことがある。これは權力的概念であり、國體的概念の「しろしめす」とは異なるものである。

そして、この統治部門における國家の側面は、さながら宗教團體が法人化した場合における宗教法人の機能と同種のもので、對外的な意味での「國家法人」と云へる。そして、祭祀主宰者の有する權能である「祭祀大權」は、帝國憲法の憲法發布敕語にある「祖宗ニ承クルノ大権」として國家の正統性を根據付けるものであり、これこそが、國家の合法性の所在となる統治主宰者の權能である「統治大權」の源泉となるのである。

ところが、これまでの憲法學や國法學は、顰みに倣ふが如き歐米の學問の猿眞似しかできないことから、この不文の祭祀大權を全く理解できない。つまり、これまでは、國家の統治部門のみを守備範圍とする學問が憲法學、國法學であつたからであり、祭祀部門をも守備範圍とする國體學が芽生えてこなかつたからである。

かくして、歴史傳統によつて自然發生的に形成された傳統國家には、祭祀部門と統治部門といふ二面性があり、その主宰機能として祭祀大權と統治大權とが存在し、祭祀大權者(王者)が統治大權者(覇者)を任命するといふ「王覇の辨へ」の基礎となつてゐる。しかし、その傳統國家が崩壞し、あるいは變質して形成された革命國家には、祭祀部門が缺落することになる。ところが、革命國家は本來の國家の姿からその機能が缺損してゐる人工的な不完全國家であることから、何らかの方法でその機能を補充させようとする。それは、①祭祀自體を復元させるか、あるいは、②祭祀に代用しうるもの(擬似祭祀)を創造するかである。それが國家の自己保存本能であつて、人體においても機能缺損があれば、その復元力と擬似機能が働くのと同じである。

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