國體護持總論
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著書紹介

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祖先と宗教

「宗教を持たない者は居るが、祖先を持たない者は居ない」。これは普遍の眞理である。人々には、必ず生を享けた親が居る。その親にもまた親が居る。それが果てしなく連續し、皇祖皇宗、八百萬の神々に至る。これには一切例外はない。そして、そのことから、祖先崇拜と祖先祭祀が生まれ、その彼方に神佛を想起する。それが「信仰」の雛形構造である。ところが、この信仰を基礎として、樣々な「宗教」が生まれるが、その教義などが一樣でないことから、分裂し對立し、宗教戰爭に發展する。しかし、祖先崇拜から始まる信仰であれば、相手の祖先との共通性を見出して、いつかは統合融和する。

「宗教生活」と「祭祀生活」とは異なる。宗教生活は觀念中心の生活であるが、祭祀生活は實踐中心の生活である。宗教と他の宗教とは對立するが、祭祀と他の祭祀とは對立しえない。むしろ、人心を融合させるのである。祭祀生活を守り續ける者は、たとへ他宗の葬祭であつても參列して祭祀的な禮拜をすることができるが、宗教生活を守り續ける者にはそれができない。「宗教的節操」なるものは紛爭の種であり、社會の害惡である。我が國の傳統的民俗である「祭祀的寛容」こそが世界平和を実現するのである。子孫が祖先とは異なる宗教を信じると、宗教的見地からは祖先と子孫とは斷絶し敵對する。しかし、祭祀的見地からは斷絶したり敵對することはありえない。祭祀は宗教を越えるものである。祭祀の實踐における基本德目の源泉は、上代から今日まで一貫して「清明心(きよきあかきこころ)」であり、その呼稱は「正直(せいちょく)」、「誠(まこと)」、「誠實(せいじつ)」と變遷があるとしても、祭祀の執行における純粹無私無欲の心情から出發してゐる(相良亨)。

ところで、推古天皇十二年四月(皇紀一千二百六十四年)の憲法十七條(資料四)に、「二に曰はく、篤く三寶を敬へ。三寶とは佛・法・僧なり。則ち四生の終歸、萬の國の極宗なり。何の世、何の人か、是の法を貴びずあらむ。人、尤惡しきもの鮮し。能く教ふるをもて從ふ。其れ三寶に歸りまつらずは、何を以てか枉れるを直さむ。」とあることから、佛教を受容して國體の變更があつたとする見解もあるが、これは明らかな謬説である。なぜなら、その三年後の推古天皇十五年二月(皇紀一千二百六十七年)には、推古天皇の御詔敕(資料五)があり、「戊子、詔曰、朕聞之、曩者我皇祖天皇等宰世也、跼天蹐地、敦禮神祇。周祠山川、幽通乾坤。是以、陰陽開和、造化共調。今當朕世、祭祀神祇、豈有怠乎。故群臣共爲竭心、宜拜神祇。甲午、皇太子及大臣、率百寮以祭拜神祇。(つちのえねのひ(九日)に、みことのりしてのたまはく、「われきく、むかし、わがみおやのすめらみことたち、よををさめたまふこと、あめにせかがまりつちにぬきあしにふみて、あつくあまつかみくにつかみをゐやびたまふ。あまねくやまかはをまつり、はるかにあめつちにかよはす。ここをもちて、ふゆなつひらけあまなひて、なしいづることともにととのほる。いまわがよにあたりて、あまつかみくにつかみをいはひまつること、あにおこたることあらむや。かれ、まへつきみたち、ともにためにこころをつくして、あまつかみくにつかみをゐやびまつるべし」とのたまふ。きのえうまのひ(十五日)に、ひつぎのみことおほおみと、つかさつかさをゐて、あまつかみくにつかみをいはひゐやぶ。)」として、憲法十七條を作り賜ふた皇太子(聖德太子)にも「祭祀神祇、豈有怠乎」とされたのである。このことからすれば、祭祀は連綿として實踐され、決して國體の變更などはあり得なかつたのである。

なほ、「神道」の初見は『日本書紀』の「用明天皇即位前紀」にあり、聖德太子の父帝である用明天皇は、「佛法を信じ、神道を尊ぶ」とされたが、「孝徳天皇即位前紀」には「佛法を尊んで、神道を軽んじた」とある。しかし、これは佛教受容による一時的な混亂に過ぎず、祭祀は皇統とともに今日まで連綿と繼續してきたのであるから國體の變更などはありえないのである。

このやうに捉へてくると、聖なるものの正體は、動的平衡を保ち續ける普遍不易なものであることが解る。そして、俗なるものは、それ以外のものである。この辨へこそが聖俗の辨へである。人の體(物質)は常に變動するが、それでも人格(靈)は同一性を保つ。それが動的平衡であるから、「靈主體從」といふことは當然のことなのである。

さうであれば、生を享けた祖先の存在といふ嚴肅な事實を受け入れ、祖先への感謝の發現である祖先崇拜(祖靈崇拜)と祖先祭祀、その延長にある民俗祭祀と自然信仰は、まさに動的平衡を保ち續ける普遍不易のものとしての「聖なるもの」であり、これに對し、これを排斥し、あるいはこれと融合しえない樣々な宗教は、「俗なるもの」といふことになる。

ルター、カルヴァンなどによる宗教改革とは、聖俗の辨へにおいて、教會の俗化を指摘したものである。これは、教會が、それまで王權神授説によつて神と國王との間の導管的機能を果たし、國家の正統性を付與してきた宗教的權威を失ふに至る運動であつた。これによつて、教會(宗教)による國家の支配から、逆に、國家による宗教の支配、つまり、國家が特定の宗教を選擇して國教とするに至つた。それが宗教國家間の戰爭(宗教戰爭)を生み、ウェストファリア條約(Westphalia Treaty 1648+660)によつて、國家は對外的主權を聖なるものに賴ることなく獲得するに至つたのである。

聖なるものと俗なるものとの區別は、あたかも「孝行」と「福祉」の關係に似てゐる。國家の祖型は家族であり、親に孝養を盡くすことが家族の維持に不可缺な本能の姿であつて、それが家族に相似して生まれた國家における基本道德の一つとなつた。ところが、この國家の樣相が時代を經て變化してきた。それは、家族、部族、民族、人種を分斷し、神と個々人との直接の關係を強調し、個々人が救濟されるか滅びるかは神によつて豫め決定してをり、人の意志や能力、そして信仰的努力によつてもその決定(豫定)は變更されないとする「豫定説」が浸透してくると、人は神による救濟(他力救濟)を斷念し、自力による救濟思想が芽生えてくるのは必然であつた。それが啓蒙思想や合理主義であり、そして理神論(合理主義的・自然主義的有神論)や個人主義である。そして、これらを推し進めることにより、人が故郷を喪失し、傳統が否定され、均一化する大衆社會を出現させた。すると、個人個人はバラバラの存在となり、家族もまた、大家族から核家族へ、そして、家族自體の消滅の危機に立たされてゐる。このやうな傾向の中で、國家が家族との雛形構造を維持するためには、擬似家族制度が必要となる。それが、後にも述べるとほり、「福祉」であり、「老人介護制度」である。家族の中で營まれる本能による親子間の孝行を輕視あるいは否定して、施設の中で營まれる理性による他人間の福祉こそが正しいとの幻想である。孝行を基軸としない福祉は、經濟的利害打算によつて雛形構造から逸脱するもので早晩崩壞する。まさに、祭祀と宗教との關係は、この孝行と福祉の關係と相似してゐるといふことである。

そもそも、孝行とは、祖先祭祀の入口に位置するものである。孝行が理解できれば祖先祭祀が理解できる。祖先祭祀が理解できれば、孝行がその入口に位置することが自然と見えてくる。宗教には孝行を説くものはあるが、さらに踏み込んで祖先祭祀を説くものは少なく、祖先祭祀やその變形である祖先供養などは儒教や佛教のごく一部の宗派や教派が行つてきたにすぎない。それゆゑ、眞の惟神の道とは、祖先祭祀を基軸とするものであつて、祭神や本尊のみを崇拜崇敬するだけの單なる宗教とは異なるのである。

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